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「淋しい」と「寂しい」

このところ、送り出すとき、「淋しい」「行きたくない」と泣きじゃくる。それも入口まではなんとか向かう気力はある様子。入口直前で必死に身体にしがみつくのですが、これがあとどれくらい続くのかと、ふと想うと「寂しく」なります。

親としてはなんとなく、しがみつく愛おしさの反面、それに従っては社会に適応しにくくなるので、いつかは離れて行くと分かっていて、その時間(瞬間)を大事にしたい感覚です。

送り出し時間(またはお迎え時間)に少しでも関われるのはフリーランスであることも理由のひとつですが、そのフリーランスを維持して行くのもだんだん疲れて来ましたねー。

先日のいくつかの事業再編記事に関しても同様ですが、年齢を重ねるにつれ、労働集約型のフリーランスには限界が来ます。協力者(業務上のパートナー)や投資による側面で維持する方向性を模索します。

でもお客様と直に触れ合えて働いてる感覚(労働集約型)嫌いではないので少し寂しいですねー。

炎天下の中の涼しいカフェより投稿。

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