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一番好きな映画は?と聞かれたら迷わず「リバーズ・エッジ」と答える

生きるのは気怠い、そんな泥ついた絶望と生温い焦燥感に駆られてはこの作品が恋しくなる。

90年代、歪んだ青春

原作は「ヘルタースケルター」「チワワちゃん」などを描いた岡崎京子
舞台は90年代、平成初期の川沿いの高校生。原作にかなり忠実で、配役もぴったりだった。

若草ハルナ(二階堂ふみ):母子家庭でヘビースモーカー。観音崎と付き合っている。

山田一郎(吉沢亮):ゲイ。告白してきたカンナと付き合うことでゲイを隠している。遺骨のことはハルナとこずえだけに話している。死を目の当たりにすると興奮する。

観音崎(上杉柊平):ハルナの彼氏。ハルナの友達のルミとセフレ関係にあり、違法ドラックもやっている。短気で衝動的。ハルナに構ってもらうために山田をいじめている。

ルミ(土居志央梨):ハルナの友達。ルミはハルナに黙って観音崎と体の関係を持ち、観音崎と共に違法ドラックもやっている。売春や援助交際もしている。

こずえ(SUMIRE):学年はハルナたちの一個下の後輩で、売れっ子モデル。過食症でレズ。いつの間にかハルナになつき、ハルナのことを好きになる。

田島カンナ(森川葵):山田の彼女。山田のことが大好き。山田と仲のいいハルナに強い嫉妬する。

ハルナ(二階堂ふみ)観音崎(上杉柊平)にいじめられていた山田(吉沢亮)を助けに行き、それがきっかけである日山田に学校近くのヤブの中に連れられる。そこで山田に見せられたのは、”宝物”だという人骸骨だった。
山田は「死体を見ると勇気が出る」と冷めた温度でハルナに打ち明ける。ハルナは返す言葉が無く絶句する。二階堂ふみのまん丸とした見開いた目は、漫画そのもののハルナだった。

個々の抱えた問題が重すぎるのか、彼らの個性が強すぎてドライなように見えるがかなりウェット。それこそ河川敷に生えてる伸び放題の草の根っこのように、ドロドロとぬかるんでいる。

全体的に暗く、人間の奥底にある憎しみや嫉妬を含んだ悪臭を放つヘドロのようで、取り出したばかりの血塗れの心臓のようにドロドロした感情は、たびたび映し出される濡れ場によって相乗効果を発揮し、余計に生々しく感じた。

高校が舞台の割には、経験豊富なのかセックスの話がやたら具体的だった。

ハルナが山田に「男同士ってどうやってセックスするの?」と聞いたが「若草さんはクリトリス舐められるのと指突っ込まれるのどっちが好き?〜失礼だよ、ゲイだからってすぐセックスの話をするの」と一蹴される。
ハルナは山田に対しての失礼な発言に「ごめん」と謝るが、同性同士のセックスに関する安易な質問は、現代でも解決しない問題定義である。

観音崎の家でドラックを吸引したとアナルに異物を入れられながらゴムなしでセックスをしていた観音崎とルミ(土居志央梨)、ラブホで興味無さそうに観音崎にただ挿れられてるだけでつまらなそうなハルナのセックスの対比がまた、観音崎の性の衝動が浮き出ていた。

観音崎とルミが誰もいない科学室でセックスを始めた時、影でセックスを覗き見しながら、魚肉ソーセージを食べるこずえは皮肉でよかった。

二世女優、SUMIREが吉川こずえを演じる。ちなみに「ヘルタースケルター」でもリリコ(沢尻エリカ)のライバル役に出ていて、「ヘルタースケルター」のこずえ役は水原希子。途中のインタビュー風の演出では「言わなきゃいけない空気にみんな飲まれてる」と応える。刺さる、刺さる。原作は'94年刊行、私が生まれる前、それが今でも刺さる。
SUMIREの鋭い瞳に私は一目惚れの虜になり、調べたところCharaと浅野忠信の娘らしい。

カンナ(森川葵)は彼氏の山田に色違いの水色のベレー帽をプレゼントする。山田は趣味悪いな、とか、帽子被らないのにいらねえよ、とか、袋から取り出してベレー帽を見た時一瞬固まった無音に内側の感情が徐に出ていて、あ、いらないんだなと思ったのが、分かりやすかった。なのにカンナは物凄くポジティブでその”いらない”と言う感情に全く気がつかない。

後日、カンナは山田とハルナが2人でいるところを見てしまう。2人がゲイのセックスの話をしている時だ。後日カンナは山田を引き止めようと喋り続けるが、山田がカンナに「うるさいな」とキレる。
そしてカンナが狂い、暴走をはじめる。カンナが教室で毛糸のセーターを編む。群がったクラスの女子に自慢したく「山田くんが〜煩くって〜♡」と嘘を言うが、そんな甘い声とは裏腹に、狂気じみた笑みを滲み出す。最近バラエティでよく観かける清純派の森川葵ちゃん、その清純さが狂愛になり、ゾッとさせる。

ハルナは家のマンションのベランダでタバコを吸っていたところ、うっかりタバコを落としてしまう。落ちた瞬間火が消えたタバコをと自分を重ねて「こっわ」と溢す。

ある日の夜、死体のある学校近くのヤブに観音崎とルミがくる。

ルミに妊娠が発覚し、ゴム無しでヤッてた観音崎に中絶の手術費用を請求する。ルミは観音崎に「ハルナはあんたのこと好きじゃないし、誰にも必要とされていない」とブチ切れ、強がって誰かをいじめたり、薬をしたり、性欲を抑えられなくて彼女の友達とヤッたり、ルミに言われたことは図星で、何もない自分を全否定され、殴った上、衝動で観音崎はルミの首を締め殺してしまった。

その殺害現場を傍観していた人がいた。山田だ。散々山田をいじめてきた観音崎は都合よく山田に縋るが、山田は条件をつける。それは、一緒に死体(ルミ)を埋めること。

突如山田に呼ばれ、こずえとハルナはいつものヤブへ。だがそこに死体はあるはずない。ルミは生きていたから。

ルミはただ気絶していただけだったようだ。ルミには腐女子でデブの姉がいる。仲は悪く、姉を見下している。観音崎に首を締められ殺されかけた後に自力で自宅に戻るが、自分の部屋の日記を勝手に姉に読まれていて喧嘩になり、姉にカッターでズサズサに刺され、可愛らしいフワフワした白い服は血塗れになった。ルミの命に別状はなかったが、お腹の赤ちゃんは血と一緒に流れた。

観音崎は「お前ら、どう言う関係なんだよ!」と3人に聞いた。

”死体を共有している”なんて言えやしなくて、かと言って”友達”だと薄情すぎる。好意はあるが性的指向が違うので三角関係とも言い難い。一体ハルナと山田とこずえは、どう言う関係と言えばベストなのだろう?

観音崎はハルナに泣きつき、山田とハルナの関係に嫉妬し暴れだすと、ハルナは「私が好きなのは観音崎君だけだから」と止めるのだが、こんなにも空回りした嘘っぽい嘘をつける表現力は、二階堂ふみにしか出来ない。

死体のあるヤブの中で、観音崎は例の死体があるとも知らず、ハルナを押し倒し野外にも関わらずセックスを始める。

映画「ヒメアノ〜ル」といい、私は生と死がクロスしたシーンが好きかもしれない。

ヤブでハルナと観音崎が青姦する一方で、田島カンナはハルナの家を放火した。だがカンナ自体が火達磨になり、ハルナが落としたタバコのようにベランダから落ち、真っ黒の丸こげになって焼け死んだ。

山田がカンナが死んだと分かったとき、無感情でクールな真顔から、少しずつゆっくり口角が上がり、奇怪な笑みを浮かべたのが恐ろしかった。厄介だった彼女が死んだ無残な喜びと、性癖の死体が見れた歓喜の笑みが入り混じる、なんとも言えない表情が、カンナが教室でセーターを編んでいた時のハルナへの嫉妬と山田への狂愛が含まれた、あの表情とリンクしていた。吉沢亮は凄い。生まれ持った端正な容姿とどこか滲み出る暗さを上回る表現力。端正な顔立ちで存在感を放っていた吉沢亮の一番の見どころかもしれない。

田島カンナは死んだ。無情なのは同じ学校の人間が1人死んだと言うのに、誰も田島カンナの死を悲しまないし、誰も田島カンナを気にかけていない。自業自得以前に誰も彼女に興味を持っていないことが恐ろしい。田島カンナは本当の孤独だった。

ハルナの家の放火、田島カンナの死、ルミの殺人未遂になった怪我と流産、10代にしては恐ろしいほどに濃い出来事である。

最後に、ハルナと山田は2人でリバーズエッジを歩く、リバーブリッジの上で。

”生きてる田島さんより、死んでいる田島さんの方が好きだ。生きている時に好きになってあげられれば良かったのにね”

”若草さんのことが好きだよ 本当だよ いなくなって本当に寂しい”

山田はゲイなのに、どう言う気持ちでハルナに好きと言ったのだろうか。ハルナは生きているが、山田はもうハルナは死んだ人だと思っていたのか。でもそうではない、山田にとってハルナは特異な絆で結ばれた良き友人で、生きている異性で特別な存在だった。

ハルナは次第に山田に好意を寄せていたと思う。でも山田は男の子が好きだがら、女の自分を好きになることはない。

ハルナは山田の前で涙を堪えた。

短い永遠の中で、彼らが見つけたこと

いじめ、未成年のタバコ、暴力、拒食症、ドラッグ、ゲイ、レズ、セフレ関係、セックス依存症、学生妊娠、中絶、嫉妬、死。これら全て解決しない現代の問題にもなっている。

彼らの青春で、自分たちなりに見つけたものはなかったような気もする。けど、私が見つけたものは、なんとも言えない生きなければいけないということかもしれないし、制圧してもしきれない。

だからドスンと刺さるのだと思う。ああ生きるのってだるいよなって、文化祭とか制服デートとかキラキラしているけど、実際思春期ってこうも重苦しいものだよなって。

平坦な戦場で、僕らが生き延びること

オザケンこと小沢健二の陽気な歌が、ひたすら暗い川沿いの高校生の生活の吹き飛ばし、主題歌ありきで完成された。

”今日も生きてしまった“という泥まみれの希望と明るい失望が、痛みのない気怠い鈍痛となり、波打っていた心電図が一直線になりピーッという音が患者の死を知らせるように、未だに私の中に居座る。

でも私は、この映画も、漫画も、何度も見て、何度も読み返してしまうのだ。

ちょうどよく衝撃的で、
ちょうどよく暗くて、
ちょうどよく生きていることを実感して、
ちょうどよく死を感じて、
ちょうどよくエモくて、
ちょうどよくダサい。

私は心の奥底から知りたいのだと思う、知りやしない私が生まれた年の時代の空気感を。

ときどき実感したいだけなのかもしれない、人間という生物として生きていること、いずれは死ぬこと、自分が死んで骨になっても誰かが勇気をもらっているかもしれないという希望を。




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