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子供がいなければ知ることもなかった他人の優しさ

先日、息子を連れて家の近所を散歩していた時のこと。
息子はもうすぐ2歳。歩く様子もなかなか達者になり、興味があるものはすぐ触りに行く。
その日も、歩道のコンクリートに混ぜて埋められたいろんな色の小石を、急にしゃがみこんで触ったり、橋を歩きながら鉄柵をぺちぺち叩いたりしていた。
70代くらいの年配女性が私と息子を追い抜きざま、「可愛いね〜!今は何にでも興味が出て触りたいよね〜!こんな時代で大変だけどさ、お母さん、子育て楽しんで!頑張って!」
と、一気に喋ってヒラヒラと手を振りながら笑顔で去っていった。
私は「ありがとうございます!」背中に声をかけるのが精一杯だったが、息子を連れているとこういうことがしょっちゅうある。
全く初対面の人から、すれ違いざまに(息子を)褒められたり、応援されたり、労わられたりする。
私1人で歩いている時や、夫と2人で歩いているときなら、当たり前だが経験し得ないことだ。

我が家はベビーカーでよく移動している。
お店に入りたい時、自動ドアのないところだと、息子と二人だけで外出しているときは、私が背中で扉を支えつつ息子の乗ったベビーカーを先に通し、続いて私が店に入るしかないのだが、これをやろうとしていると、大急ぎで駆けつけてまでドアを開けて待ってくれる人が本当にたくさんいた。
大きな荷物(ベビーカー)を引いているのだから、せめて往来の邪魔にはなるまい...世の中親切な人ばかりではないし、気をつけていないと息子を危険に晒すことになるかもしれないし...と息子といるときは常に気を張って「人の邪魔や迷惑にならぬよう動く」を心かけて移動しているのに、それでも急いでやってきて親切にしてくれる人がびっくりするくらいたのだ。
親切にしてもらった時は、きちんと相手に聞こえるように「ありがとうございます」と言うようにしていた。

私は子供を産む前から、子育てに関するマイナスな情報をあちこちから仕入れ、ありとあらゆることを修行と思い込むことにしていた。
「子育てというのはしんどくて、孤独で、全然上手くいかない上に社会からはなかなか助けてもらえないに違いない」
と最初からそういうものだと思い込むことで、本物の子育ての荒波を少しでも受け流すことが出来るよう心づもりをしていたのだった。
しかし蓋を開けてみれば、まあしんどいことが多いのは真実だったけど、世の中の人は案外優しさで溢れていたのだった。

年代と性別で言えば、どうしても子育てが終わった世代の女性が親切にしてくれることが圧倒的に多かったが(私もその年代になれば全く同じことをすると思う)、若い男性や年配の男性に助けて貰ったことも何度もある。
エレベーターの中で0歳の息子がぐずり出してしまった時、焦って息子の気を引こうとする私に「お母さんは大変ですね、赤ちゃんは泣くものだから全然気にしないで」とわざわざ声をかけて気を使ってくれた50代くらいの男性だっていた。
見知らぬ人に、エレベーターという密室でわざわざ声をかけて気を使うなんて、理想はあってもなかなか出来ることではないと思う。
あれは本当に嬉しかった。
そういうことがあった日は、家に帰って「今日はいい日だったな…」と反芻し、夫に報告し、電話で母に報告し、嬉しい気持ちのまま布団に入る。
私1人でエレベーターに乗っていれば、その男性が優しさに溢れた人物であることなどは知る由もなく、「中年男性A」としか見ることはなかっただろう。
子供を産まなければ知ることもなかった人の優しさである。

実際子育てはサバイバルだし、あげればキリがないくらい、しんどいことも腹の立つことも、不安なこともとにかく多い。
色んなことを「修行だ」と覚悟して臨んだって、想像の3倍くらいは大変だし、想像の3倍くらいの不安の中でなんとか日々自分をごまかしごまかしやっている。
でも子育てをしていて得られる「嬉しい」の感情は、私の場合は想像の30倍くらい大きかった。
それは日々息子から与えられるものが大半なのだが、こうして全く知らない人から与えられるものも、予想以上の大きさだった。

私が子育てに関するネガティブな情報ばかりを仕入れすぎたのだろうか?
そうは言っても、ニュースやSNSを見ていれば、やはり子連れで出かけることが恐ろしくなるような記事を目にすることもある。
そういう事実も知って警戒するに越したことはないのだろうけど、どうか私や息子が受けてきた親切がごく当たり前のものとして、そして優しさや親切は持ち回るものとして、広く世の中に広がればいいのにと思う。

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