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東京・巣鴨、2000年ごろの風景。

ちょうど2000年ごろ、30代前半に書いたお蔵入り?エッセイが出てきたのでお口直しに載せます(笑)。

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巣鴨に引っ越したのは、もう九ヶ月まえのことになる。(※これを書いた2000年ごろ当時)

朝、駅に向かう途中、改装中の吉野家のカウンターで、作業の人たちがマクドナルドの紙袋に入った朝食をとっているのを見かけた。一見なんでもないようだが、少し考えるとちょっと珍しい。おかしかった。

ところで、そのマクドナルドは、吉野家のある商店街を出て、駅前のアーケードを何軒か行ったところにある。初めて来たころには、一階に「優先席」の表示があるのを見つけて驚いたが、感心もした。たしかに、この街は、お年寄りのお客さんが多いのだ。

以前は勤め先に近い場所に、妹と一緒に住んでいたが、やはりひとりで暮らすのが一番だということになって、部屋探しをした。二十代半ばから、かれこれ五年くらいは自転車で通勤できる生活をした後だったので、少し電車に乗るのもリズムをつくるうえで良いのではないかと、近辺の町を探したのだ。

初めて、巣鴨のとげぬき地蔵通り商店街を歩いたときの印象は、なんでこんなに人が大勢いるのに穏やかなんだろう、と新鮮だった。
東京の人込みというと、私のイメージでは東京駅や新宿、渋谷など。どこもエネルギッシュで先を急いでいる人々がひしめき合って、ちょっとピリピリしているような感じで、あまり温かいものではなかったのだが、巣鴨は違った。

まず、歩いている人々の背丈がそう高くない。身長160センチ未満の私でも、先を見通すのに困らないのだ。そして、人の流れがゆっくりしている。これも、もし、ただのろのろと遅いだけだったら、後ろになったほうは、イライラしそうなものだが、何しろここは巣鴨、「おばあちゃんの原宿」と呼ばれている町である。

ちっぽけな自分より、なお、ちっこいおばあちゃんたちが、楽しそうに参道を眺めているのを蹴散らしたり遮ったりしてまで急ぐような、無情な行為はどんな人でもできないだろう。この光景には自然と、人をうまくよけたりかわしたりしながら、そっと静かに歩かなければいけないような気持ちを引き起こす力があるようだ。歩く人の、肩の力を抜くような人込みに出会うなんて、ちょっと意外だった。

引っ越しを決めて、母を初めて呼んだときには一言目に「庶民的な街ねぇ」と言われた。内心「私だって庶民じゃないのかしらね」と思ったが、まぁ、それまでの場所に比べると、たしかに一歩奥まったところにはしたものの、すぐそばでしょっちゅう縁日や露店が立つようなところは、少々キッチュな面もあったかもしれない。でも、のんびり散歩する楽しみには事欠かず、物価も比較的安いのでたすかっている。

そのうち、九十歳になる祖母が遊びに来てくれたらいいのに、と思っている。お年寄りがつましく、元気ににこにこしている様子を見るのは、こちらも和やかな気分になる。

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【2024年追記コメント】
今から20年ほど前の巣鴨のことですので、まだ「日本はこれから高齢化社会がくる」とは言われていても、巣鴨だけが高齢化社会の見本の地(おばあちゃんの原宿・笑)として際立っていたような時期でした。

ただまぁ、華の30代女性が住むには地名のイメージで損したことも多かったかな(笑)、地名くらいで人を判断する程度の浅い関係では、ということだけど。

交通の便が良く、物価が安く、暮らしやすかったです。10日ごとに縁日があって、駅までの道が激混みになったりしてましたけども。日当たりもよく、家のなかのモノがとても増えた時期でした。

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