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彼らのその後はもう聞かないけれど

わたしは小学校から女子校で過ごした。けれど、わずかな期間、公立の小学校にも通っていた。

国立大学附属小学校の受験に失敗し、いったんは地元の小学校に進んだ。その後しばらくして、ミッションスクールに編入することになる。

公立小学校に通っていた頃のわたしは、なんだか浮いた存在だったように思う。どっちつかずのお尻をむりやり椅子に落ち着け、授業を受けていた。

そんななか、話しかけてくれるキタオくん(仮名)という男の子がいて、少しずつ仲良くなった。毎日いっしょに下校するようになったあるとき、わたしはキタオくんに聞いてみた。

「キタオくんって、好きな子おるん?」

キタオくんはこちらを見ずに「おまえ」と答えた。おまえとは、わたしのことか。よくわからないまま、わたしは返事をせず、そのまま黙って二人で歩き続けた。わたしの家の前で「じゃあな」と言って、キタオくんはまた歩いていった。

それからすぐに、わたしは転校することになった。ミッションスクールから合格通知が届き、一つ年下の妹の入学も決まったのだ。以来、キタオくんに会うことはなかった。

ただそれだけの記憶が、わたしのなかに色濃く残っている。あれって告白されたということだろうか。よくわからないままでもいいんじゃないかと思っているけれど。

女子だらけ(女子校なのだから当たり前だが)のミッションスクールに移ってからは、異性との関わりがまったくない日々を送った。附属幼稚園はかろうじて共学だったものの、小学校から短大まで、学校の敷地内にいる人間の90%は女性という環境だった。男女交際も禁止。

ミッションスクール卒業当初のわたしは、恋愛の経験値がほぼゼロと言ってよかった。そのことと、わたしが至らなかったこととが相まって、なかなか恋愛がうまくいかないときもあった。

大学を留年し続けた末に除籍になったことを隠して「俺、大学院いってるから」と嘘をつき続けていたA。既婚者であることを隠して近づいてきたB。お付き合いを丁重にお断りしたらひどい仕打ちにあった。

そういった相手にはいくらか腹立たしい気持ちが残っている。どうしているか知りたいとも思わない。

けれど、Aだけは長く付き合っていたから、共通の友人を介してその後の様子がたまに聞こえてくる。現在の彼は精神的な病のため、近県の病院で長く療養生活を送っているという。

3ヶ月前の深夜、わたしのiPhoneに不在着信がいくつか残っていた。大阪府外の大学病院の代表電話番号からだ。

後日、折り返してみたけれど、交換台の担当者につながっただけで、どこの誰からの発信かはわからなかった。

その県内の知り合いといったら、A以外に心当たりはない。だからといって、電話の主が彼かどうかはわからない。この一件で彼のことを思い出したというだけで。

もしかしたら彼は今、不本意な暮らしをしているかもしれない。でも、もうわたしは手を差し伸べられない。わたしにはわたしの暮らしがあり、彼に構うつもりはない。わたしには守るべきものがある。

この年になると、若い頃に関わった人の暮らしぶりもさまざまになってくる。それはシビアだけれど仕方のないことだ。わたしだって、遠い昔に思い描いた暮らしができているわけじゃない。それでも、小さな幸せと少しの落胆を握りしめて必死に生きている。

今もiPhoneに残る着信履歴を見ては、なんとなくせつなくなる。

そういえば、キタオくんはどんなふうに生きているだろうかと考える。知るすべもないけれど、キタオくんのその後なら聞いてみたいような気もする。

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