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成績表。

今朝、新聞を読んで涙が止まらなかった。
どうしようなく悔しくて悲しい気持ち。
今も支えになっている温かい感謝の気持ち。

両方。

不登校の子どもたちの斜線だらけの成績表に関する記事。

息子は小学校の2年、3年と不登校であった。紙の教科書、鉛筆、ノートという勉強の仕方がどうにも苦しくて学校に行けなくなっていた。

勉強はしたくてフリースクールには通っていた。

学期末の成績表。

全て斜線の成績表。

「つうしんぼ、どうだった?」無邪気に聞く息子にどう説明しよう… 見せるべきか、どうするべきか。

半日ずつだが、フリースクールに通い勉強していた息子。あんなに頑張っていたので、当然成績表はついているものと思っていたのだろう。

「学校に行ってないから、学校の先生は成績表が付けれないんだって。学校に行ってないのに、九九も覚えたし、漢字もみんな書けるし、読めるもんね!すごいね!」と前置きをして成績表を見せた。

一瞬にして、顔が曇る息子。

「学校行ってないのに、僕、凄いよね!」

そう言って、ゲームをしに戻る。どんな心情だっただろうか…

3年生も不登校の状態は変わらなかった。新しい担任と相談し、1週間に一度、全員が下校した教室に放課後、登校していた。

学校でのテストを持ち帰り、フリースクールで回答し、担任が採点してくれる。

放課後、テスト返し。

図工も工作キットを作り、教室の後ろに展示してくれていた。

後に、その放課後も通えなくなるが、学期末の成績表は可能な限り付けてくれていた。

理科も全部、テストを受け提出していたが成績表は斜線だった。担当教員が違っていたので理由を尋ねると、「テストは見たが、学習している様子を見ていないから」ということであった。

あの学校に休んでいる子供たちの様子を知りたい、どんなふうに学習しているのか、今後のこと、興味を持ってくれている先生がどれだけいただろうか…

「来ないものはしょうがない」「不登校の子の学習支援は無いです」そうハッキリ私に言った先生もいた。

斜線だらけの寂しい成績表。そんな成績表の中にも今も支えになっている温かい出来事が。

ある日の放課後登校の日。リコーダーを一度も触ったことのない息子。10分くらいだっただろうか。指の置き方、音の出し方、ほんのちょっとの授業。

その学期末。成績表に音楽の評価がきちんとついていた。音楽の欄がキラキラして見えた!

本来の正しい評価ではないのだろうが、担任の先生の気持ちが嬉しくて仕方ない!

学期末が来るたびに思い出して、温かい気持ちになる。

そんな先生もいてくれることが息子も嬉しかったのか、何か感じるものがあったのか、「そろそろ学校に行きたいなぁ」と。

転校し、色々を整えて、今、再び通えるようになっている。

たまには学校を休むけれど、
「ゲームしてるより、学校が楽しいわー」と、また、次の日登校して行く!

教室には入れないが、どこかで頑張っている子どもたちの姿を忘れないで欲しいな。

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