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土井善晴著「一汁一菜でよいという提案」を読むとよい、という提案

ずっと気になっていた土井善晴さんの『一汁一菜でよいという提案』を読んだ。
「一汁一菜」とは、ご飯と具沢山の味噌汁、漬物の3品のこと。「ハレとケ」の「ケ」にあたる、普段の食事はその一汁一菜で充分ですよ、という提案である。

「えっ、ご飯と味噌汁だけでいいの?!」
「ガンは放置すれば治る」「学校は行かなくていい」「働かなくても生きていける」と同じくらいにインパクトのあるタイトルである。
しかし、美食の限りを尽くしてきたであろう和食文化の権威が言うのだから、何しろ説得力が違う。
特に、家族の食事作りに、毎日の献立にと頭を悩ませている忙しいお母さん達には刺さりまくる画期的な提案である。

バカ売れにバカ売れしてベストセラー、図書館でもずっと貸出中。一年近くも経ってからようやく借りる事ができて読めたのであった(← 買えよ)。
節約と健康目的から自炊を習慣化したいと常々考えていた私にも「これでええんや」と(内容も読まずに)、目からウロコが落ちまくり&タイトルだけで刺さりまくりだったものである。

で、読んでみた感想であるが、題名通りである。しかし、その道で影響力のある著者と「タイトルの勝利」には違いないのだけれど、その中身もしっかりと充実している。
噛めば甘みが広がり、一口飲めば「ほっ」とするような、まさにシンプルで美味しくて飽きのこない「ご飯と味噌汁」のような「食べる良書」であった。

そして土井さんの文章がまた良いのである。やはり育ちが良くて品が良いというか、するすると胃の腑へ落ちるような滋味のある読書感なのだ。

「一汁一菜」。そのタイトル通り、これは「提案」である。決してエラい人が上から目線で指導・指南するような押し付けがましさは一切皆無。無論、「一汁一菜しか認めない」、みたいな融通の効かなさも一切無く、あくまで普段の食事は一汁一菜を基本として、ご馳走を食べたい時は食べたらええ、というスタンスである。

当然、育ち盛りの子どもがいる家庭などでは、毎日一汁一菜で通すわけにもいかないだろうし、主菜か副菜をもう一品二品添える「一汁二菜」「一汁三菜」も有りですよ、と。

よく考えてみれば、くたびれた独り身中年の私などは、すでに意図せずこの「一汁一菜」を実践してしまっている。
たまの自炊でも調理が面倒で、ご飯に味噌汁、それに納豆やら豆腐やらを一品付けただけ、のような形式が多いのであった(自炊なのかそれは)。

さらにはご飯を味噌汁に投入して「猫まんま」にしてしまえば、「一汁」のみの「究極の完全食」になるのではないだろうか?

理想の「完全食」。野菜・炭水化物・タンパク質・脂質が一度で全て摂取できる

それはともかく、ご馳走はたまの「ハレ」の時だけで充分である、と。大体、焼肉とかステーキ、うなぎとかすき焼きを毎日食べたいか??

私などは生来の食い物と食べる事にさして興味が薄いのに加えて、最近では消化器官の加齢もあり、焼肉などは一度食べれば「もう最低1ヶ月は結構」、となってしまうのであった。

その点、ご飯と味噌汁はいい。毎日でも飽きない。
土井先生も「今日が人生最後の日だったとしても、最後にいつものご飯を食べたい」、とおっしゃっている。

話を本書に戻すと、一汁一菜の提案と季節ごとの具体例などから、和食の基本、日本という国、日本人の心の有り様までと話は広がっていく。
この本はありきたりのレシピ本などではなく、一冊の「思想書」なのである。

確かに自分の生活の中での「日本人らしさ」と云えば、もはや「ご飯と味噌汁を常食としている事」だけになっているような気がする。
グローバル主義に対するささやかな反抗と云えば、夏場に粋がって甚平を着ているくらいのものだ。

今となっては、畳に布団にコタツの生活に戻りたい。家をリフォームする時に和室を作ればよかった(トイレだけは洋式とウォシュレットでなければ耐えられない体になってしまったが)。

ご飯とお味噌汁、香の物が綺麗に並んだお膳。お気に入りの茶碗と湯呑み・・

そこに集約される日本人らしい「丁寧な暮らし」を実践したくなるような、背筋の伸びる一冊である。

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