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ママの気持ちが、よくわかる。

僕は、まだ誰の親でもないから
『毒親』ではないし

——お母様は良く見られたいという気持ちが強かったのに、部屋が散らかっていることは気にならなかったんですね。
父が家に出入りしていた中学生の頃までは家もきれいだったし、料理もしていたんです。でも、父と母との関係が悪化して家に来なくなったことをきっかけに、どんどん部屋が汚くなっていきました。外に出るときはきれいにメイクもするし、おしゃれもしていたけれど、家の中は他者評価に関係ない場所だったから荒れる一方でした。


僕は汚部屋育ちではない。

いや・・・僕の子ども部屋は、いつも散らかっていたけれども。
実家は全然 ゴミ屋敷ではなかった。
『部屋を片付けろ』と怒られていたのは、僕だけだ。
(勝手にモノを捨てられて拗らせた説も すこしありそう。すこしだけ)

僕の母も、何かしらの強迫症を患っていたにちがいないが
その 母にあった強迫は、何かというと
「世間体を保つこと」や、
「普通、もしくはそれ以上であること」に
ひどく こだわっているように見えた。

良くありたい。
良くあれ。

f✕✕k

時は流れて・・・
一人暮らしをするようになって、

・・・ん?
(いや。アパートに友だち呼んで、飲み会してたし)
(よーーく思い出してみよう・・・)
(当時の依存相手と関係が悪くなって、悪化したな?)

僕は「ためこみ症」になった。
すくなくとも今年の3月に引っ越しを決める以前の僕は、
ためこみ症だった。

今はとにかく引越しをして、荷物を運び出したけれども。
まだ供養できていないモノが
四帖とすこしの貸倉庫いっぱいに たまっている。
供養しよう・・・

ためこみ症を治せそうな兆しが見えたので、
何を捨てて
何をとっておくのか
そこを含め 自分のためにメモする。

* * *

note構文にのっとり、話の流れを先に書く。
(とか言うとさぁ、土佐日記みたいだよね。
皆のすなるnoteといふものを、僕もしてみむとてするなり)

●ためこみ症ってなんや。なんで急に治す気になったんや。
●『死んだ関係性』を捨てられない。お化けじゃん
●僕は、 代わりが見つかったら/気が済んだら 捨てられそう

* * *

●ためこみ症ってなんや。なんで急に治す気になったんや。

「ためこみ症」について。
PRESIDENT Online の いくつかの記事から引用する

「ためこみ症」の特徴は、①物を大量に集める、②整理整頓ができない(食べても置きっぱなし)、③物への執着が強くて捨てられない、という3つで、他の病気との大きな違いは「物を集めることで心が満たされること」(中尾教授)という。そのため、病気と自覚せず、自ら病院に行く可能性は非常に低い。


潔癖症なのに家の中は散らかっているんですよね。特にコロナ禍になってから、診察に来る際も靴にビニールを巻き、手にもビニールをはめている。家では濡れティッシュやトイレットペーパーをたくさん使うので、それで部屋の中があふれてしまうようです」


ためこんでしまう人からすれば、モノをためこむことで不安を紛らわしていたり、自分の記憶をつなぎ止めようとしたりするなど、その方にとっての「正当な」理由があるのです。本人も周囲の人たちも、そうしたところにまで目を向けていくことが大切です。


「ADHDの人は、順序立てて物事を整理できなかったり、大事な物と不要な物の区別ができなかったりするために、学校では机の中の整理ができず、家でも物が捨てられなくて部屋に物があふれています。生ゴミと書類が同列に置いてある部屋になっていることも多いんですよ。物理的にも片付けられないし、頭の中もごちゃごちゃして整理ができない。パソコンのデスクトップにフォルダをいっぱい置いてある場合があるでしょう。思考がああいうような状態になっているから、一生懸命探さないとどこに物があるかわからないんです」(仮屋医師)


【ADHD的な特徴がある】という自負はあるが、
病院で診断されたわけではない。

しかし、ADHDかどうかはさておいても
僕が「ためこみ症」を長年 患ってきたのは明らかである。
(少なくとも、ここ6~7年以上。。)

でも、「ためこみ症」が治らない病気じゃなくて
一時的にあらわれている症状なら・・・。

治せるな?

なぜ急に、なんとかする気になれたのか。

広いアパートの部屋の中で、モノはたくさんあるのに
僕は ひとりぼっちを感じて寂しい。
自分の家なのに、何時間もそこにいられない。
・・・っていうのを 最近(※相方と別れてから2年)
ずーーーーっと、やっていたわけだけども。

前のアパート どう考えても、僕には家賃 高いのよ。
いっしょに住む相方もいないのに、やたら部屋が広いのも
生活していて不安になるし。
(※引っ越した当時は、数少ない猫可の物件で一番安かった)

芝居の大道具を置けるのは、確かにメリットだったけれども。
・・・実は前回、使った大道具を 2階のその部屋まで運び込んで
すこし 心が折れていた。
っていうか。その時、気付いてしまったのだ。
僕 もってる平台(※前々回 使ったやつ) この部屋に運び込んでから、
おろしたことないんじゃない・・・?

・・・もう、宝のもちぐされが過ぎる。

この たくさんのモノの管理を、僕が一人でするの・・・?
この先も・・・? ずっと、一人で・・・?
できてない。全然できてない

部屋にためこんでいたモノの大半は、僕のモノだけど。
いっしょに暮らしていた相方のモノも少しはあって。
それから『100%僕のものではないモノ』も、いっぱいあって。
(※これはあとで、捨てられるぞって気づく)

二人で暮らしていて、相方のキャパに甘えていたから
ちゃんと管理できていなくても
なんとなく もててるつもりになってたんだなぁ。

もう相方は この部屋で暮らさないし。
「この先も、いっしょに演劇する」っていってもさ・・・
演劇以外の僕の生活に 彼は関与できないわけで。

どげんかせんといかん。


●『死んだ関係性』を捨てられない。お化けじゃん

それから・・・2月に、彼氏ができた。
(正直 これが決定打だ)

長くなるので はしょるけれども
僕が『部屋 なんとかしよう。モノ、捨てよう』と
決意するに至れたのは
今 付き合っている彼氏の
・ためこみ症を発症する以前の僕を知っている
・僕の過去を、なんでも自分で上書きしたいらしい
という 二つの要素が大きい。
とくに後者には、ほんとうに助けられている。。

僕の過去の話を聞いて、知って・・・
それで 僕を否定するんじゃないけれども
認めた上で『もう無し、ね』って 言ってくれる。

『病むのはしょうがないけれど、
 病みたくて病むわけじゃないんでしょう?』
って繰り返し言ってくれるのも 助かるなぁ。

そりゃあそうだ・・・
本当は大事にされたかったのに
大事にしてもらえなかった(っていう思い込み) から、
病んでいるわけで。
大事にしてもらえるなら、病む理由がないよ。

僕の彼ぴっぴ・・・
メンヘラ好き・病んデレ好きを自称して
軽率に近寄ってきたくせに、
僕から逃げていった人たちとは やっぱ違うわ。

この先 そうやって 僕を否定しない/認める人がいるならさ。
安心してもいいなら

・・・で、気づいた。
(あれ・・・? この部屋の中のモノ、全部いらないじゃん……)

部屋の中にあるのは、ほとんど過去のもので。
今は どうなのか・・・確かめようもないモノ しかない
過去に、誰かに愛されていたかもしれない面影 とか
僕の中の・・・ほんとは、どう考えても
全然 信じられない『事実』なのに。。
それを 心のよりどころにするため、『事実』として立証するために
・・・その【物証】として、捨てずにいたようなモノまで
たくさんある。

その【物証】を わかりやすく例えて説明するなら、
『昔 好きだった人の写真』だ。
病んでいる僕は・・・
『それをとっておくのは気持ち悪いことだ』
って頭のどこかでわかっているのに、捨てられない。
僕の中の……「愛情をそそがれてこなかった意識」の反動なのか
自分が愛情をそそいだものを手放すのが、何でもこわい。

でも・・・よくよく考えたら その【物証】が示してくれるのは、
もう 死んだ関係性 だ。

生きている関係性を示す、大事なものは そこにはない。

大事な関係性で、今 生きているものといえば・・・
例えば、中学生の頃の女友達から届いた結婚式の招待状とか。
例えば、友人から引き取った猫とか。
例えば、明日の夜 お酒を飲もうねっていう口約束とかだ。

それに気づいたら・・・部屋の中にある死んだモノたちが、
ようやく気持ち悪く思えて。手放す決意ができた。

・・・もう既に 死んでいる何かを、今までずっと可愛がってた。
死んでるって 認めたくなかった。
(この構造に気がついて びっくりした。ホラーだ・・・)

ずっと可愛かったよ。それは、嘘じゃない。
今まで物証でいてくれて ありがとう。


●僕は、 代わりが見つかったら/気が済んだら 捨てられそう

彼氏に・・・引越し前の、部屋にモノが山ほどあって
洗面台に雑貨が積みあがって
そういう光景を、見てもらえて よかった。

何も捨てられない僕を見ても 引かないで
「この本はどうする? 捨てる? とっとく?」って、
聞いてもらえて 良かった。

「今 使わないなら、捨てたり処分しても・・・
 あなた、必要な時に必要なものは ちゃんと見つけて
 準備できるでしょ。なんとかするでしょ」
って言われて
あ・・・捨てても、大丈夫かも・・・って思えた。

さっき言った、【物証】の類でいうと・・・
大学時代に、友人らと空けた酒のビンが台所の隅にあった。
(当の彼氏は全然 覚えていなかったけれども。。)
それは当時、今の彼氏が友人だった頃 持ってきたものだ。
僕は 今の彼氏に、それを説明した。

そしたら・・・
そのビンに対して あったはずのこだわりが、供養できたのか
「捨ててもいいや」って気分になった。

話したら、気が済んでしまった。

さらに言うなら
たぶんビンがなくても、僕は当時の話を思い出せたハズで。
つまり そのビンは、持っている必要がなかった。
(思い出がなくなるわけじゃない、ってやつだね・・・)

あと、男が絡まない物証もあった。それも捨てた。
中学校の時のプリント
同じ学年の、クラス写真が並んでいて・・・
僕を探したけれども 見つからなくて
見つかった人たちはというと、今は連絡先を知らない人たちで。
めちゃくちゃ大事かと聞かれると、ごめん そうでもない って人たち。

中学時代の友達で 親友は三人だけいるのだけれども・・・
その三人も見つからなかったから、「捨ててもいいや」って思った。

中学時代の、うすーく広い友人関係を大事に思わなくても・・・
僕は、いまも大事に思っている三人の友人がいる。
代わりがあって・・・その代わりの関係性は生きてるから、
クラス写真が並んだプリントは もう要らない。

(昔の恋人の写真って、みんな こうやって捨ててんだな。
はじめて知ったわ・・・やっと理屈が分かった)

おまけで・・・
昨日 会社の後輩に、とある番組のグッズの
ラバーストラップを貸した。
もちろん自分が、その番組を好きで所持していたグッズだ。
しかし 昨日まで開封もしていなかった

引っ越し作業中に見つけだし、何年も使っていなかったのを認め
(これも・・・宝をもちぐされている・・・)
(グッズを、殺している・・・)
このまま死なせておくのは、忍びない。
よぉし、「何かに使おう」と。
たまたま昨日 通勤カバンの中にいれていた。

後輩には、一時的なつもりで貸したから
「あとで返してね~」と、その場では言ったが。
聞けば後輩も その番組のファンだったらしく
ストラップをきっかけに、話が弾んだ。
そのストラップを見て いいなー! と言う後輩を見たら・・・
(「あとで返してね~」なんて、言わなきゃよかった)
と 思った。

そのラバーストラップが僕の部屋で死ぬよりも、
後輩と話すネタになる方がいい。

紙で とっておかなくてもいいメモは、全部データにしよう。
今の僕が ふだんの生活で使っていないものは
もう「いつか使うかも」と思わないで、いったん捨てよう。

もう死んでるものは 供養して捨てよう。

供養できないものは すぐに捨てられないかもしれない
なるべく気が済むように 活用しよう。気が済んだら 捨てよう

* * *

以上。
「ためこみ症」から抜け出せそう、という報告。

供養というと、、、
思い出を文章に書きかえてしまっても
僕は 気が済むことがあるから。

どうにもならないものは いつか全部 台本にしてしまって
そのモノ自体は捨てた方が、
精神衛生上 いいのかもしれないね・・・。

おいしいものを食べたいと思います。あとは、本を買います。