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【連載 Bake-up Britain:舌の上の階級社会 #41】イングリッシュ・ブレックファスト(4/4)

それを食べない「イギリス人」

と、ここまでは、イングリッシュ・ブレックファストが誰にでも食べられる、という前提で話を進めてきてしまった。食べられない人たちは、いる。今どきヴェジタリアンには大豆ミートで作ったソーセージやベーコンはあるが、たとえばイスラム教徒用に特別な処理を施したハラル仕様のベーコンやソーセージは、なかなか見つけるのが大変だ。つまり、原材料の豚肉が問題となるからだ。<イングリッシュ=イングランド人>であることが、豚肉を食えるか食えないかや、宗教的信仰や戒律によって判断されることではなくなった現在、さて、この「イングリッシュ」・ブレックファストの賞味期限は、あとどのくらい残っているのだろうか。いやいや、心配いらない、「イングリッシュ」らしさはまだとても魅力的なもので、たとえイスラム教徒だって「イングリッシュ」に習おうとするものさ、ということを軽妙かつ人情味あふれるかたちで描き出したのが、ダミアン・オドンネル監督のEast Is East(邦題『ぼくの国、パパの国』1999年)である。

ラディヤード・キプリングの詩「東と西の歌」からタイトルが取られているこの映画のこうした紹介の仕方は、多少の悪意を含んでいると言われても仕方がない。別に異国のイスラム教徒が熱烈にイングランド人に憧れているということではまったくない映画だからだ。要は、名優オム・プリー演じるパキスタンからの移民を父に持つ兄弟姉妹が、その父に隠れてソーセージとベーコンを食っているという話を紹介したいだけなのだ。パキスタン生まれの父にとってはイスラム的生活が当たり前で、それが移住先のマンチェスターだろうが出身地のカラチだろうが、変わらない。しかしマンチェスターで生まれ育った移民二世の子どもたちにとって、イギリスは故郷であり、自分たちは「イギリス」人である。だからベーコンを食べることに禁忌の感覚はないし、むしろ普通に食える日常的な食べ物なのだ。

だから父の留守を狙ってソーセージを焼いて食べようとするのだが、その焼いた匂いを消すのがまた大変で、ドラマはドタバタ喜劇の様相を呈してくる。時代設定は1970年代初頭。イーノック・パウエル保守党議員が、このままでは「ティベリ川がローマ人の血で染まったように」イギリスは移民で溢れてしまうと警告し、エリック・クラプトンが酔っ払ったままステージに上ってパウエルの発言を支持するとクダを巻き、極右の連中が「ユニオンジャックに黒はないなんだから、奴らをもと来たところに追い返せ」と叫んでいた頃のことだ。イギリス国内で激しく巻き起こっていた移民排斥と人種差別の様子が、ときに深刻に、ときにコミカルに挿入されている家族群像劇である。

極右政党「国民戦線(National Front)」のデモ行進(1970年代、ヨークシャー)
出所: Wikipedia Commons

父親のジョージが、もう一つの「イギリス飯」の代表格であるフィッシュ&チップス屋を経営しているというのも実に皮肉が効いているし、フランスやカナダのケベックで公開された時には、映画のタイトル自体が『フィッシュ・アンド・チップス』に変えられていた。

フランス版映画ポスター

イングリッシュ・ブレックファストを、それも「フル」で供されるヒトサラを、無邪気に食べることができない<イングリッシュ=イギリス人>がいるという単純な事実に直面したとき、「国民的」アイコンとしてのイメージが強い朝食メニューのこれからをどのように考えることができるだろうか。階級と深く関係はするけれども、それとは少し違う基準や原理で人間を区分けする民族や人種が食とどのように関わっているのか。その関わりを「イギリス」という国家と「イギリス人」という国民との関係の中でどのように理解し考えることができるのか。メニューを一つ取り上げるごとに、新しい課題をまた一つ見つけていく我々コモナーズ・キッチンである。

(完)


次回の配信は11月3日を予定しています。
The Commoner's Kitchen(コモナーズ・キッチン)


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