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”居場所”と”居場所と感じる場所”は違う


ここ最近、新聞で「居場所」という言葉を目にする機会が多くありました。


「子どもたちの居場所が必要だ!」
「子育てについて気軽に相談できるお母さんのための居場所」
「高齢者の居場所が―」


おそらくここでいう”居場所”というのは、「気軽に集まることができる場所」とか「心地よいと思える場所」という意味合いで使われているのだと思いますが、個人的にはどうもしっくりと来ていません。



今回は、そんな”居場所”について考えてみたいと思います。


”居場所”と”居場所と感じること”は違う


そもそも”居場所”という言葉は、様々な場面で使われすぎていてすごく曖昧な言葉になっています。ですので、まずは居場所という言葉を整理してみます。


居場所(いばしょ)とは、居るところ、また、座るところのことであり、自分が存在する場所のことである。<Wikipedia>

 人などがいるところ。いどころ。<goo国語辞書>

インターネットで検索してみると、上記のような意味が出てきます。自分が存在する場所というのが少々大げさですが、どうも居場所というのは、自分がいる物理的な場所のことを指すようです。しかしgoo国語辞書には上記の意味に加えてこのようなことも書かれていました。


その人が心を休めたり、活躍したりできる環境。<goo国語辞書>


新聞などで使われる”居場所”という言葉は、おそらくこの意味で使用されているものと推察できます。例えば冒頭で述べた「子どもの居場所が―」という文章は「子どもの(心地よいと感じたり心が休まるような)居場所が―」という意味合いで使われていると思います。


しかし「物理的な”居場所”」「”居場所”と感じること」は、似ているようで全く異なっています。なぜなら、前者は客観的な事実ですが、後者は個人の感想だからです。

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例えば学校という場所をとってみた時、すべての人は「ここは学校だ」と認識が出来ます。しかし学校を「青春が詰まった場所」だと感じる人もいれば、「辛いことを思い出させる場所」と感じる人もいます。このように、同じ場所でも個人の受け止め方や思い出によって大きく解釈が変わってしまいます


そのため、物理的な「居場所」と「居場所と感じること」は全く別物として解釈したほうが良い。前者が”居場所”であれば、後者は”居空間”といったところでしょうか。


以上のことを踏まえると、冒頭での「子どもの居場所づくり」というのは、厳密にいえば「子どもの居空間づくり」ということになります。

(こうした”場”と”空間”の関係性については、以前のnoteにも書いたことがあるので、興味があればご覧ください。)


そして「居場所をつくること」と「居空間をつくること」、難しいのは明らかに後者です。なぜなら、前者は物理的な場所を作ることが出来れば目的が達成しますが、後者は、そこに他人の想いを寄せなければならないからです。

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