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間宮兄弟と一緒に、カレー食べたいな。

朝起きて、仕事に出かけて、ごはんを作ったり、旅をしたり、趣味に没頭したり、好きな人ができたり、付き合ったり、別れたり。
ただ淡々と過ぎていく、日々の暮らし。
自分のことを振り返ると、当たり前のつまんない日々なのに、他人の日常をのぞき見するのは、なんて面白いんだろう。

そんなふうに感じさせてくれるものが好きです。
仕事がちょっと忙しくなると、いつもこの傾向の本を手に取ってしまう。
向田邦子のエッセイとか、武田百合子の『富士日記』とか。
江國香織の『間宮兄弟』はフィクションだけれど、わたしの中ではかなりそれに近い好きな世界観。

単行本が出たのは2004年、これは2007年に発売された文庫。 
間宮兄弟が夕暮れを歩いているようなイラストが好き

主人公は、酒造メーカーに勤める明信と、小学校の公務員として働く徹信の“間宮兄弟“。
ベルトの端っこがだらんと余るほど痩せていて、野球が好きで、贔屓のチームの試合は全スコアをつけている明信と、ぽっちゃりしていて、ハードロックやパンクが好きな徹信、対照的な2人の共通点は、兄弟想いで、読書が好きで、女性にモテないこと。

好きなシーンはいくつもあって、例えば泥酔して帰ってきた明信を、徹信が介抱するところ。

にいちゃんに妻がいたらな、と、徹信が思うのはこういうときだ。徹信の想像では、世の中で妻と呼ばれる女の人たちはこういうとき非常にたくましく、しかし慈愛に満ちた手際のよさで、夫を叱ったりなだめたりしながら辛抱強く介抱し、服を脱がせ、水をのませ、ついでに熱々の蒸しタオルをつくって顔にあててくれたりするはずだ。
夫の額に張りついた髪をかきあげ、甘い声で、ささやくように説教するのかもしれない。こんなにのんだら身体に毒だわ、とか何とか。それで、次の日は鞄にこっそり液状の胃腸薬を入れるのだろう。
(中略)
あした、にいちゃんの鞄に胃腸薬ーー液状の方が気分だが、そんなものはかってないので普通のーーを入れておいてやろう。
間宮兄弟/江國香織

“世の中の妻”に対する妄想の甚だしさも含めて、なんだか好きなシーン。
(でもこんな“妻”はそうそういないよ、そういうところよ、と肩を叩いて言ってやりたくなったりもする)

兄に恋人が必要だ、と学校の先生やレンタルビデオ店でよく会うアルバイトの子を家に招いて、カレーパーティーを開く、という発想もなんだか微笑ましい。方向性がややずれているけれど、徹信はピュアなんだろうなぁ、と想像する。

たくさんの片想い、及び好意を踏みにじられてきた結果、好きな人を「心の恋人」(いまでいう“推し”)にする方法を編み出した明信にもひどく共感する。
それでも、まただれかを好きになってしまうところにも。

愉快な兄弟が、なんだか郷愁を誘うのです。
あと、カレー食べたくなる。

この本が出た当時は、35歳と32歳の兄弟が2人で暮らしているという設定がもう可笑しい、という取り上げ方を良くされていたような気がするけれど、そうじゃないのでは、とわたしは思う。

見た目も性格も趣味も、好きになる人のタイプも、何もかも違う2人なのに、どこかやっぱり似ていて、優しくて不器用で。
笑ったり怒ったりしながら、なんだかんだ毎日それなりにしあわせに暮らしている。
歳が近い同性の姉妹に憧れていたからか、わたしにはあの感じが、たまらなくうらやましい。
何度も何度も読み返しているのに、そのたびに、やっぱり楽しそうでいいなぁ、うらやましいなぁと思うのだ。
たとえ失恋したり、騙されたり、利用されたり、ときにはひどく傷ついたりしていたとしても。

こういう駄菓子っぽいおやつ、間宮兄弟も好きそう(妄想)

そういえば、随分前に映画化もされていて、明信が佐々木蔵之介、徹信が塚地武雅、常盤貴子に北川景子に沢尻エリカ…と好きな俳優さんばかり出ていたのだけれど、どういうわけかあまり記憶にない。

原作を何度も読み返しているから、頭のなかに自分なりの明信像、徹信像ができてしまっているんだろうなぁ。
久しぶりに映画も観てみようかな。

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