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アンカレッジの駐車場から

リモートワーク20日目。

「何かいい場所知らない?」と言われると、つい難しく考えてしまう。

例えば、外国から友達が来たら。せっかく外国から来てくれるのだからと、都庁から見る夜景とか、浅草寺や合羽橋、あとは少し前ならロボットレストラン(笑)とか。「ジャパン感」を強く感じられるような場所や、今一番流行っている場所なんかを探して連れて行きたくなる。どの場所も普段ほとんど行ったことないのにね。

僕たちが外国を取材をする時も同じことが起きる。僕らの雑誌の作り方は、旅のルートだけ決めて、あとは現地で出会うローカルの人々に「どこかおすすめの場所はない?」と聞きながら取材する場所を探していくスタイルなのだけれど、ほとんどの人は「せっかく遠くから日本のクルーが来てくれたのだから」と、一番おしゃれなビンテージショップとか、セレブが集まるオーガニックレストランをわざわざ探して紹介してくれるものだ。

けれど、僕らが取材していて本当に魅力的に感じるのは、ほとんどの場合、その人が日々「あたりまえに」に過ごしている場所。通りの向こうの小さな本屋だったり、カフェテリアで毎日食べてる巨大なピザだったり、家のそばの公園のベンチから見る夕陽だったり。その人がなんとなく気に入っていて、ごく自然に足を運ぶような場所。僕たちに紹介しようと思っていたネタも尽きてきた頃、彼らがふとそうした日常的に過ごす大事な場所に連れて行ってくれた時「ああ、いいなあ、素敵だな」ととても強く思うのだ。

例えばアラスカを取材した時には、ローカルのスケーターの男の子が「この場所からいつもアンカレッジの街を見てるんだ」と連れて行ってくれたショッピングモールの駐車場からの風景が最高に素晴らしくて、アラスカらしい雄大な大自然よりも強く印象に残っている。

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そう。たいていの場合、自分にとってあたりまえすぎる場所の、本当の価値には気づかないものなのだ。「そんな場所、面白い? だって、ごく普通の公園だよ」って。それはとてももったいないことだと思う。だって、例えば僕が毎日走る川沿いのジョギングコースだったり、週に一度は通ってる大戸屋のチキンかあさん煮だったり。僕らが日々過ごしているいろんな場所、そこには何かしら「自分にとっての小さな価値」が存在するからこそ足を運んでいるはずなのだ。そういう場所はなら紹介する時に自然と想いが強く伝わる。すると、その人にとって何が特別なのかとてもよく理解できるのだ。ようするに、心から好きってことなんだと思う、その場所が。

旅することはもちろん、外を歩くことや、誰かに会うこと。コロナの被害が拡大する中で、世界中の人がこれまであたりまえだと感じていたあらゆることの「特別な価値」に気づき始めている。僕らもメディアとして、これまでずっと「あたりまえすぎて、見えなくなっている価値」に光を当てるような発信をしたいと思ってきたから、なんだかそのムードに素直にフィットできるのだ。

あとは、この柔らかくて優しいトレンドが「価値の再発見」的なフラグのもとに過剰にデフォルメされて、TOO MUCHな方向にならなければいいなあ、と思っている、

「ようし、なら10辛にチャレンジ!」

うーん。辛ければ辛いほどいい、ってものではないのだ。

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