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堀江敏幸『雪沼とその周辺』ものは壊れる、人は死ぬ。だから文学がある

短編集。静かで少しいびつで、エモーショナルとは程遠い雰囲気だけれど、ところどころ、言葉にならない感情に襲われて涙したり、ページから顔を上げて深い息を吐いたりした。

山あいの町、雪沼。町営のスキー場のほかには、外から来て足を止める人もないような小さな町で、それも今では流行のピークを過ぎていることが示唆される。

それぞれの物語の主人公は、年を重ねて体のあちこちにガタが来ていたり、パッとしない中華食堂を営んでいたり、とびぬけて背が低いことをコンプレックスにしていたり。彼らはそれぞれに、古い機械や道具、風変りな装置など、余人に理解しがたい「もの」にこだわりを持っている。

ボウリング場のピンセッターの動きや、段ボールを裁断機で切り出してマグカップを2個収める箱を作るまでの一連の作業、また古い農家で始めた習字教室に墨の匂いが充満することで、かつて育てられていた蚕たちの記憶がよみがえってくる様子など、細やかなディテールに圧倒される。見たこともない装置や知りもしなかった職業が、まるで映像を見ているかのように脳内に立ち上がってくるのだ。

もうひとつ、死の香りが各編に共通している。
妻に死なれた夫、子どもに死なれた夫婦、寝たきりの老母を持つ息子、愛犬を亡くした夫婦、親友を亡くした男。「イラクサの庭」の真の主人公は、数日前に息をひきとった女性だろう。

数十年もの過去を遡りつつ、すべてが淡々と綴られていく中、時おり激しい瞬間があって胸を衝かれる。人の人生はまったく平等ではない。その理不尽に耐えるために文学があるのだと思う。

わずか3~40ページの短編ひとつひとつに人生の哀歓がある。どこで語られることのない人生にも、偏愛や浮き沈み、そして死がある。
それらすべてが、雪沼という、もうすぐ忘れられそうな架空の小さな町に溶けて消えてゆく。私たちの人生もきっとそうなのだろうと思える。その淡さがどこか心地よく、静かに癒される。人生はおしなべて理不尽で儚い。だから、文学が死ぬことはないだろう。

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