Keiichiro.Tsuchiya

僕たちは、悠々としていますが、絶えず変化し続けます。フワフワとつかみどころがありません…

Keiichiro.Tsuchiya

僕たちは、悠々としていますが、絶えず変化し続けます。フワフワとつかみどころがありませんが、情緒的・非言語的な空気感「佇まい」を大切にします。様々な価値観をもった人たちが互いに刺激し、学びあい、共に育ち、その価値を共有するコンビビアルな場所を創ります。www.nuage.co.jp

最近の記事

オトナの定義~コンビビアルなマネジメント㉚

 こどもとは、目の前にあることを曇りなき眼で観察し、素直な疑問を抱き、衒いなく質問しながら経験と知識を積み重ねていく素晴らしい、無限の可能性を秘めた存在です。まさしく希望に満ち溢れた未来そのものです。  それがいつしか、目の前にあることから目を背け、疑問をもたず、答えを探すことはできても課題そのものをみつけることができなくなる存在「大人」になってしまうのです。「大人」に囲まれていれば、無限の可能性を秘めた「こども」も「小人」になり、やがて「大人」になってしまいます。「オトナ

    • 新たな論理の基盤「余白」~コンビビアルなマネジメント㉙

       ここまでコンビビアリストやコンビビアルな組織、社会についてお話してきましたが、わたしがお伝えしたかったことは、それらは「為る」ことや「創る」ことはできない、ということです。それはコンビビアリストやコンビビアルな組織、社会という主体の問題ではなく、コンビビアルな関係性を紡ぐことができる「自己技術」の問題だからです。個人や組織が自己技術を持ってさえすれば、すでに為っている、のです。為ろうとしなくても、創ろうとしなくても、すでにそこにあるものなのだからです。為ろうとしたり、創ろう

      • あるがまま、あるべきように~コンビビアルなマネジメント㉘

         あるがまま、あるべきように。これは山梨県都留市にある耕雲院の河口智賢さんに教えてもらった言葉です。好き勝手に生きるのが、コンビビアルに生きるということではありません。  あるがまま、あるべきように生きるのがコンビビアルな生き方です。  二〇二〇年代は、生きること、働くことの位置づけが他律的に変化させられる時代ですが、既に昔から多くの人がコンビビアリストとしてコンビビアルな生き方、働き方を実践しています。  しかし、まだ特に日本においては、コンビビアルな組織/場所は少ない

        • 「待つ」チカラ~コンビビアルなマネジメント㉗

           これまでコンビビアルについて色々とお話をしてきましたが、それらをすべて包摂していくために、わたしが大切にしている要素がもうひとつあります。  それは「待つ」ということです。言い換えると、判断を保留するチカラ、胆力です。聴くチカラと同様に受け身の印象を持たれるかもしれませんが、これらは決して受動的なものではありません。意志をもって「聴く」「待つ」のです。  即座にレスポンスした方がよい場合も勿論多いですが、事態、関係性等を見守ることが大切なことも多々あります。特にネガティブ

        オトナの定義~コンビビアルなマネジメント㉚

          流れに身を任せる~コンビビアルなマネジメント㉖

           関係性も、組織/場所も、動的な「流れ」そのものです。  他律的に流されるのではなく、自律的に流れに身を任せればよいとわたしは思います。自律的な姿勢をもつことで、その作用を受けた「流れ」は変わると考えているからです。また「流れ」を一方向ではなく、「循環」のイメージで捉えることが大切です。循環し昇華していく流れの先に未来はあります。  「点と点を繋ぎ、線にして、面にする」多くの方が意識されていることと思います。これも動的な「流れ」を前提にしたうえで点を位置づけると、点の繋が

          流れに身を任せる~コンビビアルなマネジメント㉖

          割り切らない~コンビビアルなマネジメント㉕

           ここまで理想論にも聞こえるようなことをお話してきましたが、わたしは「理想」だと思っていません。日常に垣間見える希望を感じているからです。しかし現代社会、現実は矛盾に満ち溢れてもいます。そして「転倒」を認識すれば、より多くの矛盾と格闘しなければなりません。 「割り切りとは、魂の弱さである」  この言葉は、文芸評論家の亀井勝一郎のものです。  矛盾を矛盾のままにせず、些細な違和感を大切に仲間と対話し、ひとつずつ昇華していくことが、子どもたちに次世代を引き継ぐ立場のオトナに求

          割り切らない~コンビビアルなマネジメント㉕

          羅針盤~コンビビアルなマネジメント㉔

           日本で地図を広げ、真東の方向を確認して、ひたすらその方向に進んでいくとチリの海岸に辿りつきます。しかし真東の方向を確認したあと、都度その場所場所で、羅針盤の東に従って進んでいくとアメリカに辿りつきます。  わたしは、子どもたちに「地図」を与える必要はないと思っています。大人が子どもたちに与えようとする「地図」は未来の価値観、空気感に沿ったものではない可能性が高いからです。  必要なのは一緒に「羅針盤」を創ることです。    少なくとも、子どもたちの「羅針盤」づくりを邪魔

          羅針盤~コンビビアルなマネジメント㉔

          自分の「場所」~コンビビアルなマネジメント㉓

           自分の「場所」はどこにあるのでしょうか。誰かが与えてくれるものなのでしょうか。    今いる、その場所場所が、自分の「場所」なのです。  会社であっても家庭であっても、今いるその場所が、自分の「場所」です。  場所ごとに異なる関係性のもとで「自分」が現れます。  異なる場所に、別の場所で使っている「肩書」は持ち込めません。家庭や地域のコミュニティに所属企業での「肩書」を持ち込んでも意味はないのと同じです。その場所ごとに、周りにいる他者が自分に「ラベル」をはってくれます。

          自分の「場所」~コンビビアルなマネジメント㉓

          フラットな関係性、フラットな言葉、フラットな精神~コンビビアルなマネジメント㉒

           人は諸々の関係性のなかで表出されるものでしかないといえます。  自然と人の関係性、人と人の関係性、生きることと働くことの関係性、人とテクノロジーの関係性を見つめなおさざるを得ない、他律的なきっかけに溢れているのが現代です。そのきっかけを他律的なままにせず、意志をもって自律的なアクションにしていくことが大切です。他律を他律として認識し、意志をもって自律に「転倒」させるのです。  自然と人、人と人、生きることと働くこと、人とテクノロジー、これらの関係性を基盤にした個人、企業

          フラットな関係性、フラットな言葉、フラットな精神~コンビビアルなマネジメント㉒

          これまでの論理を飛び越える~コンビビアルなマネジメント㉑

           価値観が大きく変わりつつあるとよく聞きますし、わたしもそう思います。長期、中期、短期の波動が重なっているので当然です。価値観が変われば、それを支えている知の基盤も変える必要があります。価値観だけ変わっても、知の基盤が変わらなければ、実体としては機能しません。混乱するだけです。これまでの知の基盤を粉々に壊す必要があるのです。ほんの少しの勇気と胆力をもって壊しはじめれば、みえる世界は一変し、多くの「転倒」が認識できるようになります。  その転倒の多くは「他律/自律」に紐づきます

          これまでの論理を飛び越える~コンビビアルなマネジメント㉑

          ラベル~コンビビアルなマネジメント⑳

           色々なものがラベルで判断される時代です。学歴など、以前と比べると価値が急速になくなりつつあるものもありますが、一方で「SDGs」や「働き方改革」など新しいものが続々とでてきています。SDGsのコンセプト自体は賛同しますが、それを取り巻く現在の状況には違和感を覚えます。働き方改革も実際は働かせ方改革の場合が多く、ラベルと中身のコンテクストが一致していません。大切なのはラベルではなく、中身であり姿勢です。ラベルは、その中身や姿勢を他者が評価し、結果として他者からつけられるもので

          ラベル~コンビビアルなマネジメント⑳

          スキル~コンビビアルなマネジメント⑲

           これからの時代に必要な「スキル」は何でしょうか。  マネジメントスキル、コミュニケーションスキル、子育てのスキル等々、世の中は様々なスキルで溢れかえっています。これは多くの人が、そして社会全体が「不安」を抱えていることの裏返しだと思います。わたしはスキル自体を否定はしませんが、獲得するスキルが自分自身のコンビビアルな生き方や働き方に繋がらなければ、その価値はないに等しい、と考えています。  では、どうやって繋げるのか。  何かのスキルの獲得自体を「目的」にすることは、学

          スキル~コンビビアルなマネジメント⑲

          当たり前を「当たり前」にする~コンビビアルなマネジメント⑱

           コンビビアルな組織とは、当たり前のことを当たり前にできる組織であると述べましたが、そもそも当たり前のことを当たり前であると認識できなければ当然、何もはじまりません。  組織にとっての「当たり前」が何なのか、ということをひとつずつ愚直にみんなで身体知化していく必要があります。そこで大切なのが「違和感」です。些細な「違和感」をないがしろにせず、かつ否定しないように、丁寧に解消していきます。これは最小の組織ともいえる夫婦の間でも同じではないでしょうか。  組織としての真・善・美の

          当たり前を「当たり前」にする~コンビビアルなマネジメント⑱

          違和感~コンビビアルなマネジメント⑰

           「自分の」真・善・美を再構築する(取り戻す)と、些細なことに「違和感」を覚えることができるようになります。ルールに収まっていないから覚える違和感ではなく、感覚的に「違和感」を覚えるのです。「違和感」を覚えるのは真・善・美という基準が自分の内側にあるからです。  この真・善・美は他律的に与えられるものではありません。自分で獲得していくもの、耕していくものです。  非自己部分を耕せば耕すほどこのセンサーは鋭敏になっていきます。言動は勿論、佇まいや書かれた文章にも反応するように

          違和感~コンビビアルなマネジメント⑰

          コンビビアルな科学技術~コンビビアルなマネジメント⑯

           東北大学名誉教授の矢野雅文はこれまでの「科学技術」が置き去りにしたものとして次の三つを挙げています。   1. ヒトとヒトのインタラクション(共有されるコンテクスト)   2. 感情や動機づけ(意図と目的の共有)   3.真・善・美(判断する基準:倫理、道徳、常識など)  近代の科学技術の発展の大きな方向は、効率を高める、不快をなくす、でした。この方向の根っこには「人間には任せられない」「人間は信用できない」「人間は効率が悪い」といったような「人間不信」があるのではない

          コンビビアルな科学技術~コンビビアルなマネジメント⑯

          くつろいで生きる~コンビビアルなマネジメント⑮

           これからの世界をくつろいで生きる(豊かに生きる)にはどうすればよいのでしょうか。  くつろいで生きる、それ自体を目的にしても実現することは難しいとわたしは考えています。今、この場所で、くつろいでいるから、くつろいで生きることができるのです。  禅問答のようですが、わたしはそう考えています。それは決して、誰かから与えられるものでもありませんし、環境/場所に左右されるものでもありません。自らがそのような姿勢をもてばその瞬間からくつろいで生きることができるのです。見えている世

          くつろいで生きる~コンビビアルなマネジメント⑮