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夢の一歩からはじまった私の世界

私は夢が好き。なぜかというと原動力になるからだ。
老若男女問わず、人の夢を聞くことも好きだ。

夢があったから今があると言っても過言ではない。

幼い頃の私は、大人しく自分の意見を言えない子だった。そもそも意見すらなかったのかもしれない。親の言われた通りに生きる人生。そうであっても心の中は叫んでいた。心の奥底で眠っているもう一人のワタシはずっと叫んでいたのにそれに気付きもしなかった。


はじめまして。くっきーぷりん といいます。
今回はじめての投稿ということでプロフィールとして私の過去に戻って夢を綴らせていただこうと思います。

夢は声優

15歳の頃の私の夢は声優だった。
選んだ理由は自己投影できる場所がアニメだったから。家庭環境が悪いわけではなかったが、小さいながらに母が妹ばかり可愛がる姿が悲しく見えた。ずっと「居場所」がほしかった。

だからと言ってすぐ行動したわけではない。自己肯定感の低さからはじめから諦めてしまうクセがついてしまっていた。両親を説得できず、そのまま短大へと進み就職。私は自分のことを決められない母の言いなり、最終的には人のせいにする。心の声も無視したまま自分の人生を放棄していた。生きた心地はしなかった。



新しい出会いと夢への一歩

27歳のころ。人生の転機が訪れる。職場環境が変わり、仕事も出会う人も変わった。地元とは違い都会溢れる場所。何もかもが目新しく感じた。
その場所でも夢の話になる。以前の職場の同僚には「今さら遅いよ」と否定され続けてきた。それにもかかわらず私は、その場所でも同じ話をした。その反応は意外なものだった。「何でやってみないの?」その一言から私の人生が動きはじめた。

そこから目の前が広がった。生きてる感覚とも言える。声優学校に3年通い、そこから知り合いが主催するお芝居の舞台に立ったり、声を鍛える為に声楽を習ったりと、どんどん夢が膨らみ、楽しい日々は続いた。けれど居場所を探す日々は終わらなかった。結局「ここじゃない」という感覚がでてくる。動き出して12年の月日が経ち、また転機が訪れる。熱心に教えてくださった声楽先生の死。歌えなくなった。



弾き語りの世界

2年が経ったある日のこと。お芝居でお世話になった先輩役者が弾き語りの月一ライブイベントをしているから観にきてほしいとのこと。その場所は偶然にも友人を何度も観に行ったことのある場所だった。その時の私は何かを変えたくて仕方がなかった。そんな思いもあり観に行くことにした。そのライブで感じたこと。それはやっぱりまた舞台に立ちたいということ。その翌年から、そのお店で飛び入り出演し歌ってみようと決意する。

弾き語りの世界は観るだけで、まさか自分がこの舞台に立つとは思いもしなかった。とっかかりはカラオケで録音したオケで歌うスタイル。お店のマスターが私を受け入れてくれ今思えば、アーティストでもない私に色んな方々を紹介してくださってたんだなと、改めて感じている。

あるアーティストとの出会いが私の心の中を変えた。日常をテーマに歌っている女性の方がいて母を代名詞にした曲がある。その歌を聴いた瞬間、勝手に涙が溢れてきたのだ。「日常の風景」「家族との会話」「母という存在」何気ない夕食の時間に見える家族の風景がしあわせなことかと感じずにはいられなかった。それと同時に、母はどんな思いで私を育ててくれたかとか思うと、してほしいという願望ばかり言ってたのが恥ずかしくなった。
外にばかりしあわせを求めてた私の心をゆっくり溶かしていってくれた。

オケからはじまった歌も鍵盤へと移り、今ではギターを持って弾き語りをしている。そして私は、自分を肯定してくれる「居場所」をやっと見つけることができた。


自分にとって本当に大切なもの

声優の夢からはじまった私の世界。
夢は叶えるものだけど、それになることだけが全てではないこと。自分にとって本当に大切なことを気づかせる〝きっかけ”になるものではないだろうか。

私にとってそれは
ほしかった「居場所」を見つけたことで得られた「日常の大切さや家族のあたたかさ」。逃げてきたものに還ってきた。


今私は、また新しいスタートラインに立っている。

夢は生きる原動力。
どんなちいさな夢でもいい。夢を持ち続けていたいと思う。
次の夢は...何かな♪





とても長くなってしまいました。
ここまでお読みいただきありがとうございます。



このnoteでは


・カタチのない日常
・カタチある非日常(私にとっては音楽)

私というフィルターを通して、写真と文字でエッセイとして綴らせていただきます。人より歩みが遅いので、毎日が疑問と感動の連続です。

よろしければ今後ともお付き合いのほどよろしくお願いします♪