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妻の自由は石を穿つ雫のごとく

人間は変化を嫌うもの。

…そして、変化せずにはいられないものと、何かで聞いたことがあります。

結婚に向けて動くこの一年、事あるごとに共感します。

まだ、結婚をしていない”未婚”の私は自由で、”結婚している人”というステータスを持っていない人になります。

ここで、結婚をステータスだなんだと言うと、反感を覚える人もいるでしょうが、その考えにも十分共感できます。実際に私は数年前まで、いや、一年前までそう思っていました。

「結婚はしたい人がするもの」
これは今でもその通りだと思います。
結婚は、結婚を希望する人が、結婚をしたいという意思で、需要に合った環境にヒットすれば、結婚はできるものだと思います。

良い例が結婚相談所です。

私も結婚相談所に登録しました。結婚したかったからです。
でも、結婚相談所に登録したのは34歳になったばかりのときで、その数日前には焦燥感は無駄に感じていたものの、自己認識としては、結婚には全く前向きではなかったです。

そもそも、人が他人と一緒に空間で生きるということはいくら血がつながった家族であっても多少の息苦しさを感じるものであり、私も実家が息苦しくて飛び出たクチです。
だから、結婚して誰かと24時間一緒にいるということが苦痛になるということは分かっていました。
いえいえ、わかっています。その何倍もの幸せがあることは。それでも、独り身だったような自由を、結婚という契約をしたことで、二度と味わえないかもしれないという覚悟はしておく必要があるなと思ったわけです。

話が変わりますが、最近熟年離婚が増えていますよね。
結婚が窮屈で、不自由を感じていたのは、イマドキの若者(私は若者ではないですが、数か月前の私の考えは中学校時代から変わっていないので若者と言わせていただきたいです。。。)だけではないんです。
昔の女性は、つまりは、自分の母親、祖母たちだって、父親、祖父に対して、私たちが感じているような窮屈さや不自由さを感じていたんです。

時代が古いとかなんだとかいう話ではないんです。
「昔の女性はおしとやかだったな」じゃないんです。
「今の女性は強くて怖い」じゃないんです。

昔だって、今だって、女性の感じていることはほとんど同じ。

大きな口を抑えずガーガー言う男性はがさつだと思うし、自分で何でもかんでも決める男性は決断力があるとかなんとかじゃなく自分勝手だと思うし、そうかと思って一歩下がってついて行ったら何も考えていないのなんてざらだし。

大和なでしこは幻想だった。

大和なでしこも、人間ですよ。なんで、自分よりバカな男性の後ろに一歩下がって、お世辞言わなきゃいけないんですか。そんな都合のいいイエスマンが欲しかったらアンドロイドでも買ってもらった方がいいです。

昔も、今も、女性は変わらない。

ただ、今は、女性の賢さや、自由さを受け入れてくれる時代になっただけ。

今の時代に生まれてよかった。つくづくそう思います。

この先、もっと、男女差のない時代になるかもしれませんが、今の時代に生まれたことに感謝しながら、それでもぬぐいきれない過去の呪縛を少しずつ、私たちの時代でも改善していくしかないんでしょう。

これまでの女性たちが少しずつ、石を穿つ水滴のように、頑張ってきた結果が今に繋がっているのだから、それを少しでも大きくして、未来につなぐしかありません。

人間の意識は一世代では変わらない。

自分の祖父・祖母、父・母を見ればわかるように:

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