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私の生い立ち

こんにちは。今回は私の生い立ちについて話していこうと思います。
話そうと思った理由は私が自分の人生を振り返りたいと思ったからです。
24年しか生きていないので振り返るほどの人生経験もないですが…(笑)
すこし長いかもしれません!
目次を作ったので気になるところだけでもよければどうぞ!


0歳~5歳

幼少期の私は今とは別人のようなとても活発なこどもだったようです。
立ち歩き始めるのも早かったようです。
とにかく外に出るのが大好き。いつも走り回って転んでひざを怪我していました。

6歳~9歳(小学校低学年)

小学生になった私は英会話学習塾に通うことになりなす。ほぼ母親の強制です…
塾に通い始める人のほとんどがそうでしょうが…
私の通っていた小学校はとても小さな学校で同級生が12人しかいませんでした。それもあり、学年の壁を越えた友達が多かったです。

9歳~12歳(小学校高学年)

高学年になっても特に変わらず元気な小学生。

小学校4年生になってからは少年野球を始めました。
父が野球をやっていた影響で始めましたが子供だった私には野球の練習がとても嫌でした…

私の人生の分岐点の一つ目が小学6年生でした。

保健委員会の委員長になり、なんだかリーダーぽいことをやっていました。
また、担任だった先生が病気で亡くなり、初めて身近な人の死を経験しました。

そんな小学校生活6年間でした。

中学1年生(13歳)

中学生になった私に立ちはだかったことは「友達作り」でした。
同級生が12人だった小学校とは売って変わって、同級生160人の中学校に入学したからです。
幸い私の小学校は少し珍しく、物珍しさ、興味本位に話しかけてくれる人がとても多かったので、すぐになじめました。

部活動

ここでまたひとつの分岐点
「部活動選び」です。
部活動をどうするか悩んでいた私はある日、話したことのない同級生に話しかけられます。

「君、身長大きいね。バスケ部入らない?」

この一言で私はバスケットマンになってしまいました…

中1の時点で身長は170㎝あり、バスケも少し興味があったのではいることにしたのですが…
なんと私の中学校のバスケ部はその地区で1番強い中学校だったのです。
20年ほど地区1位の座を守り続けている強豪校でした。
それゆえ練習も厳しく、はじめは入ったことを後悔しました(笑)

運命の出会い

そしてここで運命の出会いがありました!
一生と言っても過言ではない友人たちと巡り会えたのです。

きっかけはふと誘われた遊びでした。
普段プライベートではあまり遊ばない友人でしたが、その時はなぜか私を誘い、見知らぬところへ連れ出したのです。
そこには同級生7人ほどがおり、まあ仲良くなったわけです(笑)

そこで出会った7人ほどが運命の出会いなのでした

中学2年生(14歳)

初めての恋愛

中学2年生になるととある噂を耳にしました

「どうやら私のことが好きな人がいるらしい。しかも2人も。」
私は人の好意に敏感なほうなので何となくそんな気はしていました。

1人は中1の時同じクラスだった仲の良い女の子(A子)
1人は中2で同じクラスになった席の近い女の子(B子)

そんな噂を耳にしつつ、何の進展はなく、普段通り過ごしていた私でしたが、ついに事が動いてしまいました。

ある日、学校に台風が直撃し、学校が午前授業に。
帰りの会を終え放課後、A子に呼び出され告白されました。
初心だった私は後で返事をするといい、帰ろうとします。

帰ろうと昇降口に向かう途中、B子に呼び止められ告白される。
こちらもあとで返事をするといい、私は帰宅。

なんと同じ日に二人から告白されてしまったのです!

後から話を聞くと、この二人実は仲が良く口裏を合わせて同じ日に告白しようと決めていたそうです。

当時恋愛経験皆無だった私はタジタジ
どうしていいかわかりませんでした(笑)

結局はB子と付き合いましたが1週間ほどで別れてしまい、その後A子にまた告白されA子と付き合いました。

A子とはなんだかんだ3年半くらい続きましたが、進学を理由に別れてしまいました…

世界を知る

中2の冬休み、私はイギリスに2週間の語学研修に行きました。
もともと英語は好きだったし、小さいころから習っていたのでこんなものがある、と聞いたとき興味はありましたが、行く気など全くありませんでした。
しかし、当時の英語の先生から
「きみは絶対行ったほうがいい。私が推薦する。」
と言われ、応募してみよう、と思いました。

語学研修にはだれでも行けるわけではなく、枠がありました。
私の中学校は6人が枠でした。そこに10人ほど集まり、筆記試験や面接などを経て無事合格。イギリスへの切符を手にしました。

実際行ってみると、自分の視野が広がり、自分の知っている世界はこんなにっも小さかったのか、と思い知らされましたね。
詳しくはまた今度海外経験についてを書こうと思います。

リーダー

中学2年生は3年生からバトンを受け継ぎ、リーダーとなる時期。例に漏れず私も学校のリーダーとなりました。

➀生徒会執行委員
➁応援団
➂学級執行委員
➃バスケ部部長

数多くのリーダーを務めていました(笑)
そのおかげか、卒業アルバムには
「なんか自分の写真多くね?」
となるくらいにはたくさんいます(笑)

中学3年生(15歳)

進路

中3のメインはやはり進路でしょう。
私は漠然と地元の自称進学校(笑)に行くのかなと思っていましたが、学校を調べているうちに行きたい高校が現れました。
私立の英語科の高校です。イギリス語学研修の影響のあり、海外に大きな憧れを持っていました。

その高校は留学制度があり、英語学習をする場としてはとてもいい環境。偏差値的にも低くなく、私の学力も合格ラインに乗っている。

しかしここで問題発生。
私立であるが故の学費問題。
海外留学を含め、学費は3年間で600万円ほど。
私の家はごく普通の一般家庭。
弟もおり、今後のお金問題も考えた結果断念。
留学は大学生になってもできるという結論に。
そして私は地元自称進学校(笑)へ入学…

勉強仲間

受験生であるがゆえに付きまとう勉強。
高校への入学水準は十分に足りていたとはいえ、周りが勉強していると
「勉強しなきゃ!」
となってしまう私。1人では勉強もはかどるはずがなく勉強仲間探し。

しかし、仲のいい友達はみんな賢く、私より上の高校志望。
そんな勉強ガチ勢を誘えるはずもなく…

と思っていた矢先、自分と同じ高校志望、なおかつ水準は優に満たしている私と同じ境遇の仲間を発見。
その子を仲間にいざ受験勉強。

毎週土日は図書館へ行き勉強、放課後も学校に残って勉強し、一緒に帰宅。
家が近かったこともあり、ほぼ毎日一緒にいました(笑)

そんな彼も一生の友達の中の1人です。

高校1年生(16歳)

誓い

高校生になった私はある誓いを立てます。それは
「バスケはもうやらない」

中学でのバスケが厳しすぎたがゆえにもうバスケ部には入らないと決めていました。
そんな誓いは、入学後1週間で破られました。

友人と一緒に部活動見学をしていた矢先、なんとなしにバスケ部を見学すると、中学の時の先輩がいました。

その先輩の押しと圧に負け、見事にバスケ部に入り、厳しい部活動生活3年間を送りました…

睡眠学習

部活動が厳しすぎると授業にも支障がでます。
体は疲れ、睡眠時間が足りない。
でも授業は聞かないといけないし勉強もしないといけない

そんな時、編み出したのが

「睡眠学習」
簡単に言うと寝ながら授業を受けることで睡眠時間と勉強時間の両方を確保できる学習方法。

これがなんと!

うまく行くはずもなく評価は下がり、学力は落ち。
ただ睡眠時間は確保できるため部活動時間は体が動く。
そんな感じの生活を3年間続けました…

高校2年生(17歳)

いつも通りの日常

高校2年生では特に大きな出来事はありませんでした。
いつも通りの日常が流れ、平和な楽しい生活を送っていました。

高校3年生(18歳)

受験

高校3年生といえば受験。大学をどこにするか、将来なにになりたいか、色々考えました。
結果として受験したのは国公立の教育大学。推薦入試でしたが落ちてしまいました。

その時点で受験へのモチベーションが底辺まで下がった私はセンター試験の点数を利用できて確実に合格できる大学にしました。

大学を決めたことを担任の先生に言いに行くと

「ほんとにこんな大学で大丈夫?」
「君ならもっと上を目指せるよ」

と言われました。
もっと上を目指せるといわれたのはうれしかったですが、モチベーション的に無理だと判断し、確実合格大学にしました。(笑)

恋愛➀

大体この頃、中学から付き合っていた彼女と別れました。
受験期というものは怖いですね…
進路が違うから、勉強に集中したいから、理由は様々でしょうが受験が別れの原因になることはよくあることです。

恋愛➁

別れた1か月後、新しい彼女ができました。
相手は同じクラスの女の子。
相手は別れてすぐの状況で、私がよく相談に乗っていました。
そこから仲良くなり、
「いっそのこと付き合っちゃう?」
というノリで付き合いました。

我ながらとんでもない輩でした…

揉め事

大学が決まると今度は一人暮らしか寮暮らしかで家族と揉めました。
私は普段わがままを言わない所謂「いい子」でしたが、一人暮らしだけは譲れませんでした。
いままで自分の部屋さえなく、静かに過ごしたいのに過ごせない、そんな生活に嫌気がさしていたので、譲れませんでした。

しかし、両親(特に母親)は私に一人暮らしはさせたくない。
結局1年目は寮生活、2年目からは一人暮らししてもよしとなりました。
納得はいきませんでしたが致し方なしです…

大学1年生(19歳)

大学生になった私。
イメージとそうかけ離れたことはなく、友人もでき、楽しく生活していました。

バイト

大学1、2年生は学習塾でバイトをしていました。
将来を見据え少しでも教える経験を積んでおきたかったからです。

趣味

このころからアニメと漫画にがっつりハマりました。
暇さえあれば漫画かアニメを見ている生活。
でもそれが楽しかったのです(笑)

サークル

大学ではダーツサークルに所属。
ダーツバーなどダーツができる場所に行き、ちゃんと練習していました。

大学2年生(20歳)

大学2年生、要は成人です。手を出すのが好ましくないものに手を出してしまいます(笑)

お酒

大学生と言えば飲み会。週1くらいで飲み会していました(笑)
ダーツとお酒は関係性が高いので飲みながらダーツもよくしていました。
ちなみに好きなお酒はハイボール。1番は知多。手に入れやすさだと角。

タバコ

お酒ときたらタバコですね。
タバコもダーツとの関係性は高いので必然ですね。
今吸っている銘柄はパーラメントロングorピースライト
少し前までは赤マル
初めてはアイスブラストでした。

競馬

「ギャンブルは絶対にしない!」
と思っていたのですが競馬にハマってしまいました。

理由はこの頃ちょうど「ウマ娘」が流行りだしたからです。
友達にゲームを勧められ、がっつりハマり
アニメを一気見して、ちゃんと虜にになりました(笑)

今では競馬の方がお金使ってるまであります。

ウマ娘での推しはマンハッタンカフェ
リアル馬だとウオッカです

大学3年生(21歳)

恋愛(別れ)

大学3年生になった頃に彼女に振られました…
理由は「他に好きな人ができた」だそうです

元々大学は別々だったのでもしかしたらこうなるかもと思っていましたが本当になってしまいました…
今は幸せそうなのでよかったです

恋愛(出会い)

別れて1ヶ月後彼女ができました!
相手は大学のサークルの後輩
初めての年下彼女でした。
元々貢ぎ癖があったのですが彼女にはかなり尽くしました。

おめだりされたものは買ってあげたり、津でも迎えに行ったり、正直この人と結婚するんだろうなと思っていました。

オーストラリア留学

大学3年生でオーストラリアへ1ヶ月留学(語学研修)に行きました!
初めてのオーストラリア、初めての南半球ということでとてもワクワクしてました。

とても充実したオーストラリア留学でした!
欲を言えばもっと長い期間滞在したかったです。

一緒に行った友達の中には半年滞在する子もいて自分もそうすればと買ったなあと思っていました。

帰国時期にちょうどコロナが流行り始め、帰れるかどうか微妙になりヒヤヒヤした記憶があります(笑)

ダーツ

私は大学は北海道でした。
北海道で一番大きなダーツ大会で見事北海道2位になることができました!

ダーツの大会は基本ランク分けされているので正式には少し違うかもしれませんが2位になりました!
ちゃんと練習していた成果が出てよかったです!

バイト

塾講師のバイトをやめ、コンビニバイトをしていました。
理由はコンビニバイトの方が稼げたからです!
22:00〜9:00の深夜バイトでした。

運の悪いことにパチンコ店の近く、駅の近く、大学の近くにあったコンビニなので人の出入りが多かったです…

タバコの名前を覚えることが一番大変でした。
自分の吸っている銘柄以外知らないので、いつも
「番号で言ってくれよー!」
と思っていました(笑)

廃棄商品を持っていく事ができたので食費を浮かす事ができて経済的には余裕ができましたね。

ほとんどコンビニの廃棄で生活してました(笑)

教育実習

私の大学では3年生時に教育実習がありました。
母校中学校へ行き、4週間みっちり鍛えてもらいました。

知っている先生も何人かいたり、母校ということもあり、楽しい実習になりました。

ただ、教員のリアルも知る事ができました。
実習生にも関わらず帰りは20:00頃

当時の私は
「教員って思ったよりブラック?」
と思っていました(笑)

大学4年生(22歳)

就活

大学4年生といえば就活!
ですが私は教員志望だったので就活全くしませんでした(笑)

教員になるには試験を受けなければならないのですが、
この年はだめでした。

筆記試験は合格しましたが面接で落ちてしまいました…
この頃の私は
「来年受かればいいかー」
くらいの軽い気持ちでした。今では後悔しています…

恋愛(別れ)

後輩彼女に振られたのがこの時期。
理由は浮気でした…

浮気相手は彼女のバイト先の人
彼女はダーツバーでバイトしていましたがその中のお客さんとでした。

気まずくなった私はダーツをやめたり、ダーツバーに行かなくなったりしました。
「彼女と別れたくらいでダーツ止めるなよ」
と言われたりもしましたが、当時の私には無理でしたね…

病み期

彼女の浮気だけが原因ではないですが、その前後も色々あり軽いうつ病になりました。
家に引きこもりほとんど大学には行けませんでした。

幸い卒業できる単位は取得済みだったのでよかったですがもしかしたら卒業できなかったかもしれないです…

たまに大学に行くと友達が今までと変わらず接してくれたのでだいぶ救われました。
「ちゃんとご飯食べてるか?」
と言って家の前に食料を置いて行ってくれる友達もいたので本当に助けられました。

病み期の助け

そんな私の病み期の助けになったのは
「アニメ」
    と
「VTuber」
でした。

どちらも見ている時は余計なことを考えないで済むし、
「人生以外となりそう」
と思わせてくれました。

ただ、見るアニメを少し間違えると悪化するので気をつけた方がいいですね(笑)

ちなみに症状はだいぶ改善しましたが今でもたまにメンタル最悪で何もしたくなくなる時があります。

23歳

仕事

試験に落ちた私は大学の先輩が始めた学習塾で仕事していました。
正直この時期の働き方が一番自分に合っていた気がします。
まだ働いて間もないので気のせいかもしれませんが…

生徒たちに勉強を教え、日程を調整したりと色々やりました。
できたばかりの小さな塾だったので自分達で全てやらなければならず大変でしたが楽しかったです。

教員採用試験(2回目)

この年も教員になるために試験を受けました。
が、この年も合格することはできませんでした…
筆記試験は合格できましたが、面接でだめでした

この辺りで
「教員向いてないかも」
と思い始めています。

この頃は大きな出来事はありませんでした。
平穏な日常を過ごし、1年が過ぎました。

24歳(現在)

いよいよ現在まで来ました!
現在は教員として中学校で働いています。
正直この仕事を定年まで、あと40年近く続けることは無理だと思ってます…

ちなみに今年も試験はだめでした。
転職するにもこの年齢がギリギリかなと個人的に思っています。

ただやめようかと思っている、と周りに話をすると
「もう少し続けてみたら?」
「3年はやらないとだめだよ」
「せっかくなったのにもったいない」
など言われ辞めにくい空気になります。

これは私が決めることなので周りの声を無視すればいいだけなのですが、
このような言われ方をすると断れないタチなので困っています(笑)

終わりに

ここまでご覧いただきありがとうございました!
とても長くなってしまいましたが自分を振りかることもできました!
見出しを作っているので気になるところだけでもみていただければありがたいです!
ではまたお会いしましょう!








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