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私の昭和歌謡96 小さなスナック 1968
君はいまどこへ行ったの?僕ひとりキャンドルライトに揺れる面影
いつの間にか流行っていた。
覚えてすぐ歌える童謡のような有節ソングだ。
グループサウンズ風の青年たちがフォークソングを歌ってる。3番まであって、最後に半音上げて終えるぐらいしか曲の展開がない。
たまに、それほどの工夫もない一発ヒットが出る、そんな一曲だと思う。
小学生の私は、友だちと、曲より歌詞を論じ合った。論じ合ったというと、
私の昭和歌謡90 雨の御堂筋 1971
昔から欧陽菲菲ベンチャーズ日本歌謡はグローバル
15歳の私が驚いたのはステージ衣装だった。
それまでの衣装は、ピアノの発表会で小学生が「かっわいー」と言ってもらえるような、裾が広がったふりふりレエスのドレスだった。
なんと!欧陽菲菲は違った。
ボディにくっついたようなぴったりサイズ。肩ひもーーーー!胸から上が露出。もちろん足が見え見え。それで踊る。
それだけで、テレビ時代の歌手はいいのだ
私の昭和歌謡87 三百六十五歩のマーチ 1968
熊本はいまやバブルの真っ盛り半導体が幸せ運ぶ
はっきり言います。
当時私は、こんな歌ゼッタイいやでしたww
男の着流し姿で歌う演歌歌手など、私はちょいごめんだなー、と思っていました。
水前寺清子、チータは、この曲では、マーチングバンドのユニフォーム姿のレコードジャケットでした。なんなん?
不思議なことに、昭和のテレビの影響力は大きかった。
私がこんなに嫌いって思っているのに、テレビの中の
私の昭和歌謡86 スイートメモリーズ 1983
ペンギンが歌う姿の可愛さに懐かしい日々若き日の恋
昭和58年に、私はやっと27歳の新採用教員となった。
子供が好きとか、教育に興味があったとか、強い想いがなかったので、大学を卒業してから、叔母が紹介してくれた高校の非常勤をやりながら、毎年試験に落ちていた。
結婚相手はいた。その将来の夫が「音大なんか出て、一番いい仕事は公立学校の教師しかない。お前、それに決めろ。」と言う。だから、そうした。
私の昭和歌謡85 寒い朝 1962
松茸は舐めてくわえてまたしゃぶりさゆりのファンものけ反る一句
女優や文士が参加した句会で、「色っぽい句を詠む」というテーマが出されたときの一句。当時20代。
松茸は舐めてくわえてまたしゃぶり
この句の作者は、吉永小百合だ。おお!
早稲田大学第二文学部の卒論のテーマは「アイスキュロスの『縛られたプロメテウス』におけるアテネの民主制について」
そして女優で歌手でもある。
「寒い朝」は自身の