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「ありたい姿」に戸惑う新人

「ビジョンを設定せよ」「ありたい姿を考えよ」とは、ビジネスの場合だけでなく、個人の自己成長を考える上でもよく言われることだと思います。

実際に、私の所属する部門の、40名くらいの新人たちに対しても、月1回程度で集合研修のようなイベントが開催されて、こういったビジョンとかありたい姿とかを考える機会を与えているようです。例えば自分の5年後・10年後を考えようとか、will・can・mustを整理しようとか、そんな具合です。

ところが、そのイベントに最近だと半分くらいの新人しか来てないのですが、これって大丈夫なのでしょうか? という確認を、ある1人の新人から受けました。いや、部門の偉い人が主催する新人のフォローのための会なのだから、基本は参加しないとまずいでしょ。私はそう即答した後、どうしてみんな来ないんだろうと確認すると、その新人はあくまでも個人的な所感と前置きした上で、

「ぶっちゃけ、自分のありたい姿なんて、よくわからないです」

と答えました。

おそらく部門の偉い人がこれを聞くと、驚いたり落胆したり、ひょっとすると怒り出したりするかもしれません。しかし私は、なるほどね、ととても共感しました。なぜなら、私自身もよくわからないからです。

もちろん、漠然としたビジョンはあります。IT戦略の段階からクライアントに関わってあるべきシステムの姿を考えたいとか、そんなレベルです。しかし、そのぼんやりなビジョンすらも、今までの仕事から感じていた課題や疑問の積み重ねから自然発生したものに過ぎず、私が新人の頃はマジで何も考えてなかったと思います。考えてなかったというより、考えられなかった、もしくは考える意味を見出せなかったという方がより正確でしょうか。

今でも自身のビジョンについては、せいぜい年に1回くらいしか考えることはなく、普段はいかに自分の役割を果たすかという、目先のことばかり考えています。流石に管理職となって組織の一部を担うようになってからは、会社として組織としてのビジョンを考える機会は増えましたが、実は自分自身のことについてはまるで関心がないのです。

といっても、ビジョンなんか考えなくてもどうとでもなるよとか無責任なことを新人に言うわけにもいかないので、明日から何をするかの第一歩を決めるために、おおまかなビジョンは持っておいた方が良い。その上で、今の与えられた仕事を120%で打ち返すくらいの勢いで取り組んでみると、色々見えてくるんじゃない、と伝えました。

とりあえず与えられた仕事に全力以上で取り組んでみる、という私の考え方は昭和的で古いのかもしれません。しかし、自分の「本当にしたいこと」、それ以上に「向いていること」を見つけるのはそう簡単なものではありません。もちろん世の中には10代でそれを見つけて存分に活躍している人もいますが物凄く稀少で、ほとんどの人は「やってみないとわからない」状態だと思います。

ビジョンを定め、目標や計画もきっちりと設定して、自分のしたいことだけに全力集中して成果を出そうとする方が、一見効率的で、コスパ・タイパも良いように感じます。しかし、自分のしたいことが、社会で求められていることなのかどうかの保証などありません。今はそうでも、近い将来求められなくなることだってありうる。

少なくとも、そうしたビジョンや目標や計画を、1ヶ月に1度考えたり見直したりするのは意味があまりないし、実際に社内重要イベントをサボる半数の新人は、このことに薄々気づいて嫌気がさしているのかもしれません。

もっと、「将来」よりも「今」に集中して、よりよく仕事を進めるためのことを考えたり、アドバイスを得たりするためのイベントを開催してあげたほうが良いのかもな、と私は思いました。

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