暗い=許してくれる
私は暗い作品が割とすきだ。
呪術廻戦やチェンソーマンや中村文則作品や是枝裕和作品、ケーキの切れない非行少年たちや、子どもを殺して下さいという親たちなどが好きだ。
そればかりみているわけにもいかない。
では明るいものを見るかと言うと、そうでもない。
笑えるものとしても、セトウツミや潔癖男子青山くんのようなちょっと暗い世界観のギャグを見る
それか、熱血努力系のものをみる
たとえばDAYSとかひゃくえむとか
で、時間的に割合を1番多く占めているのは、「これは知っておいて損ないかも」と思ったものだ。漫画で言うとインベスターZとかになるかな?むだにビジネス書を読むし、自己啓発(この言葉は嫌い)系ジャンルのインフルエンサーの発信を見たり、テレビのおまかせ録画でドキュメンタリーや旅番組、社会のことが分かる番組ばかり見ている。
つまり
①暗いもの
②ギャグだけど暗い世界観のもの
③役に立ちそうな知識
ばかりみている
外に出るのは億劫だ
人と関わるのも何だかめんどくさい
他者からは外交的だとか外向的と言われることが多いけど、私は予定がない日は基本的に家にひきこもっている
最近友達によく、「暗いものばっかり見てるからだよ」と言われる。
暗いものに影響を受けているのだと。
暗いものを見るのをやめたら、もう少し明るくなるんじゃないのかと。
でも違うと思うんだよ。
昨日走りに行っても、なぜか死んでしまいたくなった。
就活で精一杯笑顔を振りまいても。
走りに行って疲れても。
美味しいものを食べても。
どうせ暗い。
自分は結局なにをしても暗い。
そういう中で、どうせ暗い中で、暗い作品を見ることは、自分が暗いことが許されているかのような感覚になる。
恐らく何かしらの知識を仕入れようとするのも同じような感じなのだろう。許されているような感覚になる。
暗いものを見ている時だけは、くらいことを考えていても大丈夫な感じがする。
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