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なぜ「いじめ」が起きるのか、それを減らすために何ができるのか。

「いじめ」というと、学生を想像する人も多いかもしれませんが、社会に出てからもいじめは続いています。
子どもの頃いじめをしていた人は、大人になってもいじめをする可能性が高いという話もあります。

最近では、「いじめを根絶することは不可能ではないのか?」という意見も聞きます。

しかし、様々な研究でたとえ根絶は無理でも、いじめを減少させることは可能だということもわかっています。

実際、外国では子供たちへのアプローチを変えることでいじめを減らすことに成功しています。

日本でもこういった取り組みが増えることを切に願います。


【身体への影響と復讐心】

小学校にあがるといじめの対象になる子がでてきます。
本人は悪いことなどしていないにも関わらず、バカにされたり、肉体的・精神的に痛めつけられることがあります。

気の弱い子、容姿、出身、成績の良し悪しなどを理由にして、いじめがはじまります。
そして、何年にもわたり、毎日いじめを受け続けると抑うつと怒りに苦しみ続けることになります。

最近では、心理的な問題に起因する情動のダメージが、やがて身体的な病気や損傷をもたらし、ストレスや炎症性サイトカインが脳の萎縮などの健康問題を引き起こすことがわかってきています。

しかも、この情動的なダメージは寿命を縮めるそうです。

人間の体にはテロメアと呼ばれる遺伝物質の小包があります。
細胞分裂の際にこのテロメアはわずかに短くなっていきます。
ただ、基本的にはテロメラーゼと呼ばれる酵素によって修復されるので、その長さは少しずつ短くなります。

そして、これがある時点で短くなりすぎると人は死んでしまいます。
これがいわゆる正常な老化現象です。

しかし、テロメアが短くなる理由の一つに「ストレス」があります。

子供の頃、大きな逆境を経験すると、テロメアはそれだけ短くなります。
つまり、情動的なダメージはその後の将来に向けて身体的なダメージを与えています。
(その後の運動習慣や食生活でテロメアの長さは変わっていきます。)

その他にもPTSD(心的外傷後ストレス障害)やパニック障害といったものにつながる可能性もあるのではないでしょうか。

残念ながら現在の法制度では、情動的なダメージに起因する長期的な障害に対する理解と評価は追い付いていないような気がします。

だからでしょうか、学校側はあまり手を打とうとしません。
そもそも、いじめがあることを認めたがらない感じを受けます。

また、問題が明るみに出ない原因として、教師のお気に入りの生徒が加害者であるケースも少なくありません。
担任の先生が加担している場合もあります。

そして、なぜか不適応児と見なされるのは、加害者ではなく被害者のほうなんです。

なかには、勇気を出して先生に言ったにもかかわらず、担任の先生に「見ていたところ、お前も弱々しいところがあるから直した方がいい」と言われてショックを受けた子もいます。

しかし、この理論で行くと、何か理由があればいじめをしてもいいと言っているようなものです。
そもそも、「弱々しい」ところがあってもいじめていい理由にはなりません。

あなたもご存じの通り、この問題は別に日本だけの話ではありません。
海外でも同様に苦しんでいる子供たちがいます。

アメリカでは、いじめ問題をずっとなおざりにしてきたため、近年頻発している学校銃乱射事件の引き金になったと言われています。

1999年に起こったコロンバイン高校銃乱射事件で、銃を乱射した2人の少年は、長年にわたって残酷ないじめを受けてきた生徒でした。

わかっているだけでも、廊下のロッカーに閉じ込められては罵られ、他の生徒たちはみんなそれを見て笑っているだけ。
ランチの時間には、ランチトレイを床に叩きつけられたり、わざと転ばされたり、食べ物を投げつけられたり、食べている最中に背後からいきなり顔をテーブルに押し付けられたりしていました。

そして、この2人は犯行後、自ら命を絶ちました。

先ほどの担任の先生の考え方でいけば、この事件も仕方のないことになってしまうのでしょうか?
銃で撃たれた子に「いじめをしていたんだから、撃たれるのはしょうがない」とでも言うのでしょうか?

【被害者が加害者に、加害者が被害者に】

いじめ問題が起こった時、私たちが注目しているのは最後の部分だけかもしれません。

たとえば、毎日のいじめに耐えてきた生徒が、もう我慢できなくなり、いつも嫌がらせをしてくる生徒とケンカをし、その結果、相手がケガを負ってしまうということがあります。

結局、いじめを受けていた生徒が「暴力を振るう問題児」というレッテルを貼られ、今までされてきたことは有耶無耶になります。
最終的には、いじめを受けていた側がカウンセリングを受けてみてはどうか?という提案を受ける場合もあります。

カウンセリングを受けなければならないのは、加害者のほうだと思うのですが社会の認識はどうやら違うようです。

そして、ケガをさせてしまったということで、相手の両親に謝罪の電話をするようにと担任は伝えます。
目に見える傷は謝れというのに、心に負った傷は謝る必要はないのでしょうか?
いじめで受けた傷は、その後何年もその子を苦しめるというのに。

このように、学校では子供たちの背景にあるものをあまり見ようとしません。
最後に起こった事実だけを見て判断を下します。
もちろん、全ての学校がこのような対応ではないと思いますが、このような状況は多いような気がします。

【どうやって「いじめ」は起こるのか?】

ある実験で、見知らぬ5人を一部屋に集めて一つの課題に取り組ませると、たちまちヒエラルキーが形成されることがわかっています。
しかも、そのグループを外から観察する別の被験者は、5人の声さえ聞こえない状況でも表情やしぐさだけを見て、誰がどのポジションにいるかを的確に当てられるといいます。

会社や学校でどれほどの人が関わっているのかを考えれば、いくつものグループができあがり、その構成が複雑になるのは避けられません。

もちろん、進化の過程でこの順位制が大きな役割を果たしてきたと考えることもできます。
優秀なリーダーであれば群れが生き残る確率はあがります。

しかし現代の学校や職場という狭い空間では問題も起こります。

「いじめ」は人に優劣をつけるところから始まると言われています。
どっちが偉いか、どっちが上か。

そして一方的に弱い方をくだらない人間と決めつけ、毎日のように嫌がらせをします。
いじめ加害者がそこから得ているのは、自尊心の高揚感です。
これは単に、加害者の自尊心が低いと言っているのではありません。
他人を見下し、卑しめることによって、自尊心の高揚感を味わっています。

また、誰かをいじめることによって、仲間内での地位が上がる場合もあります。
仲間から一目置かれ、強い、かっこいい、面白いという評価を受け、恐れられる存在になっていきます。
こうやって仲間内での地位を上昇させていきます。

これがいじめをエスカレートさせる一つの要因ではないでしょうか。
実際、2017年に滋賀県大津市で起こった事件では、いじめをしていた元同級生は「笑いがとれる」という理由で、一人の人間を死に追いやっています。


【いじめをする人のマインドセット】

人をいじめるという行為は、実は、硬直マインドセットと関係があります。
いじめの根っこにあるのは、人間には「優れた者」と「劣った者」がいるという考え方です。

硬直マインドセットの人は、能力は持って生まれたもので、それ以上伸びないと考えていることがあります。
成長するにつれて「自分が追い越されるかもしれない」なんて微塵も考えていません。
なので自分のほうが上だと感じると、「こいつは劣った人間だ!」と評価した相手をいじめの標的にし、自分は優秀だと周りにアピールします。

コロンバイン高校で銃を乱射した生徒のひとり、エリック・ハリスは胸部に奇形があり、背が低く、パソコンオタクでコロラド出身ではないよそ者だったため、「いじめてもかまわない劣った人間だ」という評価が下されました。

日本でも2011年の東日本大震災のあと、福島から来たというだけで、いじめが始まったことがあります。
震災で傷ついた心に、さらに平然と身体的にも、精神的にも追い打ちをかける行為です。
助け合える人たちがいる反面、このような事態も招いています。

残念ながら、大人になっても集団で一人を攻撃するような人たちもいます。

少し話は変わりますが、私が以前いた職場では組合が4つほどあり、新入社員が入ってくると争奪戦が始まります。

先輩に「飲みに行こう!」と誘われてついていくと、実は偉い人がいて組合への勧誘だったことがあります。
そこで無理やり組合に入れられるわけではないのですが、問題はそのあとです。

その人たちは組合に入らない人や、違う組合に入った新人を攻撃し始めたんです。
嫌がらせをしたり、仕事をまったく教えないということがありました。
社員を守るための組合だったのでは?
と思ってしまいます。

このとき、嫌がらせやいじめをしている人はどんな心理状態なのか?

1つ考えられることは、心理学でいう「内集団ひいき」「内集団バイアス」と呼ばれるものが働いているということです。
これは、仲間の結束を強め、他集団への評価を下げる心理のことをいいます。

この心理の怖いところは、誰が所属しているのかわからない、自分の名前だけを置いているような集団であっても内集団ひいきが起こることです。
つまり、思い入れもない、特に活動もしていないという集団であっても、所属しているだけで自分がいる団体の方が上だと考えてしまいます。

このような集団心理が、いじめがおこなわれている職場や教室にあるのではないでしょうか。
この集団心理によって、いじめグループは結束を強め、傍観者を増やしてしまっている可能性もあります。

また、いじめは周りにも影響を与えます。
公共機関で働く700名以上の従業員を対象にしたイギリスの研究では、いじめを目撃した人の73%がストレスの増加を経験し、44%の人が自分も標的になるかもしれないという不安を抱いていました。

そして、3分の1以上の目撃者が被害者を助けたかったが怖くてできなかったと言います。
大人だって尻込みしてしまう状況です。
これを子どもたちだけで解決するのは不可能だと言えます。

【心の底にあるもの】

よく「いじめるつもりはなかった」、「ふざけていただけ」、「楽しんでいると思った」といった加害者の声を聞くことがあります。
残念ながら、それが本当のことなのかそうでないのかは本人にしかわかりません。

しかし、起こってしまった事実から目を背けてはいけません。
いじめを行なった子がどうしてそう感じたのか?どういった考えが背景にあるのかと「問う」必要があります。

こんな話があります。
2020年、クリスチャン・クーパーという黒人男性がニューヨークのセントラルパークでバードウォッチングをしていた時の話です。

クーパーがバードウォッチングを楽しんでいると、一人の白人女性が犬を連れて通りかかりました。
クーパーは歩道脇の注意書きを指して、女性に犬をリードに繋ぐように礼儀正しく頼みました。

女性がそれを拒むと、クーパーは冷静な態度で携帯電話でやり取りを録画し始めました。
すると女性は「黒人の男性が私に危害を加えようとしているって、警察に電話するわよ!」と凄み実際に通報しました。

この動画は拡散され反響を呼びました。
実はこのように白人女性が黒人男性に濡れ衣を着せることは度々あり、そのどれもが悲惨な結果を招いていたそうです。

後日、「私はレイシスト(人種差別主義者)ではありません。あの男性を傷つけるつもりは全くありませんでした。」と女性は謝罪の言葉を公表しています。
そのとき、「私は怖かっただけです」と釈明したそうです。

組織心理学者アダム・グラントによれば、「彼女のシンプルな釈明には、あのような言動に駆り立てた自身の複雑な感情が見落とされている」と言います。

つまり、なぜ怖いと思ったのか?世の中の黒人男性をどのように見ているのか?礼儀正しい会話で脅迫されたと感じた心の奥底にはある種の固定観念があるのではないかと自問自答しなければなりません。

そして、警察に通報する際、良心の呵責はなかったのか、どういった力関係で自分の言動は許されると思ったのかという感情に触れないままこの問題は終わっています。

この女性がレイシストかそうでないかはわかりません。
しかし、彼女の行動はレイシストであったということです。

この話をを読んだ時、私はいじめでも同じようなことが起こっているのではないかと考えました。
加害者は「いじめるつもりはなかった」と言いつつ、心の奥底では自分の行為は許されると感じていたのではないでしょうか。

なぜ自分は許されると思ったのか、被害者を普段どのように見ているのか、どうして、いじめているのに「いじめていません」と平気で嘘をつくのか、その時良心の呵責はないのか、共通する部分がたくさんあるような気がします。

【大人の間違ったメッセージ】

同じことをされても、人それぞれ感じ方は違います。
また、「硬直マインドセット」「しなやかマインドセット」のどちらを持っているかで、メッセージをどう受け取るか変わってきます。

いじめを受けた人が硬直マインドセットの場合、いじめを自分に対する評価だと感じると自分を卑下したくなります。
そして人に見下されたり、自分の価値を否定された人は、今度は自分が相手を見下してやりたいと思うようになります。

スタンフォード大学心理学者キャロル・ドゥエックの研究によれば、ごく普通の子供でもマインドセットが硬直している場合、拒絶や裏切りの体験を語ったあと、激しい復讐心を抱くようになることがわかっています。

ドゥエックは、中学2年生たちを対象にいじめの話を読んでもらい、それが自分の身に起こった場合を想像してもらうという実験をしました。
その後、「あなただったら、どう思うか。また、どうするか、どうしたいか。」という質問をしています。

硬直マインドセットの生徒たちは、いじめを自分に対する評価と受け止め、「自分を虫けらみたいな嫌われ者だと思う」とか、「自分をさえない不適合者だと思う」といった意見でした。
それと同時に、相手に対して激しい復讐心を示していました。

自分を見下したやつを今度は見下してやるという気持ちは、コロンバイン高校の襲撃者の2人も持っていた感情です。
彼らは長い年月をかけて、だれを殺し、だれを生かしておくかを決めていたと言います。

しかし、これがしなやかマインドセットの生徒たちは少し違います。
その生徒たちは、いじめを自分に対する評価と受け止めるよりもむしろ、いじめる側の心の問題としてとらえる傾向がありました。
仲間に認めてもらうため、自尊心を満たすためにそんなことをするのだと考えたんです。

「私をいじめるのは、たぶん家庭に悩みがあるか、学校の成績のことで悩んでいるからだと思う」という意見もあがっています。
また、相手を諭そうとする生徒も多かったようです。

大抵の親は子供にしなやかマインドセットを持っていてほしいと思うのではないでしょうか。
「うちの子を、勉強嫌いでやる気がない、できない子にするためにはどうしたらいいですか?」なんて聞いたことがないですよね。

親は自分の子供を褒めるときや叱るときはどうすべきかよく考えますが、
他所の子を批判するときに、それを台無しにしている親がいます。

たとえば、わが子の目の前で、「勉強ができない」、「天才児」、「頭が足りない」、「乱暴者」などと他所の子を評価するんです。
子供たちは、自分の親が他所の子にこのような評価を下すのを聞かされていると、その子にも硬直マインドセットが伝染することがわかっています。

そもそも私たちが持っている固定観念というものは、所属している集団によって作られていきます。
子どもであれば、親の影響を必ず受けます。

これは私の考えですが、親が学歴や成績を重視する人間で、成績の芳しくない子をいつも家でバカにしているとします。
それを何年も聞き続けた子は、やはりそういった考えてに染まっていくのではないでしょうか。

固定観念は一度形成されるとなかなか払拭されないと言います。
子どもの頃に植え付けられた固定観念は何かきっかけがなければ変わることがありません。
そのため、大人になってもいじめをする人はずっと人をいじめ続ける可能性もあるのではないでしょうか。

また、心理学者のジョージ・ケリーによれば、人は信念の基盤が揺らぐとそれを守ろうとして攻撃的になり、ものごとを曲解するようになると言います。
たとえば、見下していた人物が自分より良い大学、大手に就職したりすると実力を認めるのではなく、「アイツは運が良いだけ」「コネに違いない」といった捉え方をするわけです。

またこのような調査もあります。
ドゥエックの行った実験で、数学の授業中、生徒たちに、偉大な数学者の業績と生涯について話を聞かせたものがあります。

生徒を2つのグループに分けこのように話します。
・『Aグループ』
その数学者たちは、やすやすと数学上の発見をした天才だと紹介する。

・『Bグループ』
その数学者たちは、情熱を傾けて数学と取り組んだ末に偉大な発見をした人たちだと紹介する。

Aグループの生徒たちは、たちまち硬直マインドセットになってしまいました。
子供たちには次のようなメッセージが伝わったのです。
「生まれつき数学的能力に優れている人は、なんでも簡単にできてしまう。そもそも君たちとは違うのだ。」

逆にBグループの生徒たちには、「一生懸命に努力してこそ、技能を磨き、何かを成し遂げることができる」というメッセージを受けとりました。
大人が何気なく発した言葉から、子供たちはこうしたメッセージを敏感に嗅ぎ取とっています。

大津市の自殺事件の裁判でも、元同級生の父親は暴力を肯定していました。
暴力を肯定する理由として、「相手を思って」だという主張を続けたそうです。

先ほども言いましたが、こどもの固定観念に影響を与えているのは親や周りの大人たちです。
親が「理由があれば人を殴ってもいい」というメッセージを送り続ければ、やはり子どももそう考えるのではないでしょうか。

WHO(世界保健機関)の50年にも渡る調査では、親が躾と称して子供に暴力を振るった場合、子供も同じように暴力をふるう確率が高いことがわかっています。
これは「しつけ」という理由で暴力をふるわれた子は、「理由」があれば暴力をふるってもいいと思い、暴力というものに対するハードルが低くなるためです。

その結果、自分が受けたこの行為をいずれ誰かに対して繰り返す可能性がでてきます。

自分の子供に罰を与える親の多くは、それを躾だと思っています。
「もう絶対に忘れないように思い知らせてやらないと!」と考えていたりしますが、何を思い知らせ、何を教え込んでいるかをよく考えていません。

これは、親の決めた規則や価値観に逆らう子供は悪い子だから罰を受けるということになります。
自分の力で考えて倫理にかなった決断をくだす方法を教えているわけではありません。

あなたはどちらのメッセージを送っていますか?

「優劣や善悪の評価を下して罰を与えてやろう」というメッセージか、「じっくり考えて何かを学びとることに力を貸してやろう」というメッセージなのか。

いじめが起こっている職場や教室はもちろんですが、家庭内でも私たちは言動に注意しなければなりません。
大人が言った言葉でいじめを加速させている可能性は十分あります。

【いじめっ子に対するアプローチ】

いじめは注意ではなくなりません。
注意で改心することもありません。
親や先生の見ていない所でいっそう激しくなります。

そもそも、考え方を変えたわけでもないのになくなるはずがありません。

いじめを少なくするために重要なのは問いかけることです。

「問い」を投げかけると人は自分の結論を考え直す気になると言います。
なぜいじめをするのか?
もし自分がいじめられたらどう感じるのか?

よく、「相手の気持ちになって」、「相手の立場に立って」と言われますが、これは反事実的思考といい、心理学では現実の状況がどのように異なった形で展開したかを仮想して考えることを言います。

ただ、相手の立場に立つと言っても「他者視点取得」ではかえって自分の考えに固執することもあります。
ある実験では、他者の見解を想定した時、「正確に見極めることがでない」、「自分の誤った判断に固執してしまう」という人もいました。

結局、敵と味方の距離が広がれば広がるほど、相手の主張の根拠を単純化し過ぎて実像を歪めて解釈する傾向にあると言います。
人はどうしても自分が経験したことを通してものを考えます。
想像力も人によって違うので、「相手の立場に立つ」というのは言うほど簡単なことではありません。

しかし、ある研究によると会話のはじめに異なった見解を持つ相手から「私は、あなたのような自分の信念に忠実な人を深く尊敬しています」と告げられると、相手の敵視する姿勢が弱まり、より寛大になることがわかっています。

先生や親はまず子どもの主張を認める雰囲気を作ることが大切です。
叱られる、罰せられると感じれば自分の気持ちに問いかける事はなくなってしまいます。

いじめる人は理由があれば殴ってもいい、バカにしてもいいという固定観念を持っていることがあります。
つまり、「こんなことをされたら嫌だろうな」という想像力が欠けています。
この固定観念を覆していくには相手の主張を尊敬する気持ちと反事実的思考が欠かせません。


【動機づけ】

人は誰かに言われて考えを変えることはありません。
自分で考えることによって変わっていきます。

実はこの動機づけを促すためのアプローチを考えた人がいます。

臨床心理学者ウィリアム・ミラーと看護助手のステファン・ロルニックです。
この二人は共同で「動機づけ面接」と呼ばれるカウンセリング・アプローチを開発しました。

これは、人は他者の行動や考え方を変えることはできないという前提で作られ、人を変えるのではなく、自力で変われるように動機を見つける手助けをするものです。

この方法は専門的な目的のためだけでなく、日常生活で何かを決めなければならない時、人間関係においても有用な技法だと考えられいます。

大人たちは子どもに権力者のように振る舞う事があります。
「あれはダメだ!」「こうしなさい!」と命令することが多く、考えを促すことがありません。

「なぜそれをしてはいけないのか?」と考えさせた時、「親がそう言ったから」、「先生が言うから」といった返事が返ってくるのであれば、それは考えることを放棄させています。
またこれと同じように、「相手を正したい」という気持ちも表現を奪うことになります。

一番大事なことは、私たちが優れた傾聴者でなければならないということです。
説得しようとしたり、相手が考えを明確に表現できるように助けていく必要があります。

良い悪いといった判断の先にある個人の考え方に触れることが大切です。
すぐに結果を求めるのではなく、考えるきっかけを促し、変化が起きたらそれを認めることがいじめをなくす一歩になるのではないでしょうか。


【学校にできること】

基本的にいじめられている子どもには、いじめをやめさせる力などありません。

しかし、学校にはそれが出来ます。

本当に?

と思ってしまいますよね。

今まで、自分を追い込んでしまった子供は、学校にそんな力があるとは信じられないかもしれません。
事実、学校の文化が硬直マインドセットを助長、容認している場合が少なくありません。

しかし、学校全体のマインドセットを変えていくことで、いじめを減少させることに成功しているところもあります。
優劣をつけあうような雰囲気を排し、助けあって自分を高めていこうとする気風を作り出しています。

セラピストであり、スクールカウンセラー、コンサルタントでもあるスタン・デーヴィスという人物は、いじめ防止プログラムを開発して効果をあげています。

このプログラムは、ノルウェーのダン・オルウエーズの研究に基づいて作られ、いじめ加害者の変化を促すとともに、被害者をサポートし、加えて傍観者たちに、いじめられている子を助けに入れるだけの力をつけさせるのものです。

彼の学校では、数年のうちに、肉体的いじめが93%、精神的いじめが53%減少したそうです。

日本では、いじめっ子に対するアプローチが間違っているのではないでしょうか?
「そんなことはしてはいけない」という注意でとまっていないでしょうか。
もちろん、いじめはいけないことだと一貫して説明していくことは大切です。

しかし、それだけでは足りません。

デーヴィスが行ったのは、いじめっ子を非難するのではなく、むしろその子が学校に来るたびに、自分はみんなに好かれ、受け入れられていると感じるようにすることでした。

「そんなことをすれば、ますます調子に乗るだろう!」と考えるかもしれませんが、いじめっ子に良い変化が見られたら、必ず褒めるようにする。

ただしこの場合も、その子の「努力」を褒めるようにします。
「君はこの頃、友達とケンカをしてないね。みんなと仲良くしようと頑張っているんだね。」というように、自分は今、努力してどんどん良くなっていると感じるようにするんです。

結果として、このやり方で問題は改善されつつあります。
日本でも具体的なアプローチの方法が見つかっていないのなら、このような方法を試してみてもいいのではないでしょうか。

私たちが出来ることはまだたくさんあるような気がします。


【最後に】

私自身、いじめを受けてきたのでわかるのですが、すでにいじめが行なわれている場合、「しなやかマインドセット」にすることは困難です。
実際、当時の私は復讐心にかられ、それが生きる原動力になっていたことも事実です。

親や先生に言えば水面下でのいじめが酷くなる場合もあります。
もし、いま苦しい状況にあるのなら「いじめ相談」と検索してみてください。
24時間いじめに関する相談を受け付けているところもあるので活用して欲しいと思います。

私が学生だった頃、カウンセリングを学校で受けるという選択肢はまだありせんでした。
そのため、嫌な思いをしながら学校に行くしかなく、休むことも許されませんでした。
世の中には「そういうことを乗り越えて人は成長していく」という考えが蔓延していた時代です。

中学の3年間いじめを耐え、学校に通い続けて得たものは、人への不信感と劣等感だけです。
こうなる前に、学校という環境から、距離を置くという手段があることも知っておいてほしいと思います。


フランスの詩人でもあるポール・ヴァレリーはこう言っています。

「身体の傷は何か月で癒えるというのに、心の傷はどうして癒えないのか
40年前の傷がなお血を流す」

いじめを受けた人は今も苦しんでいるかもしれません。
しかし、相手を傷つけることが目的の人に、自分が傷ついてしまっては相手の思うつぼです。

自分に害を与えた人が悔しくなるくらい、軽やかに充実した自分の人生を生きることが、最大の復讐になるということを忘れないでください。


今回はここまで

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最後までお読みいただきありがとうございます。

それではまた次回お会いしましょう。

※この記事は読んだ本をもとに考察し、私の経験したことなども踏まえて書いています。
そのため、参考にした本とは結論が異なる場合があります。
あくまで、一つの意見として見るようにお願い致します。
※書いてある文章は予告なく変更する場合があります。ご了承ください。


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