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星撮りの怖い話

ここ数年定期的に星空撮影に出掛けているのだけど、行くたびに思うのは、もう二度と行きたくない、ってことだ。

その理由は、夏は虫に刺されるし冬は寒すぎる、天候で上手くいかないことが多い、徹夜で疲れる、とか色々あるけど、一番はとにかく暗いということ。当然ながら、余計な光がない方が星はより多く、より綺麗に見える。だから星撮りは新月の日を狙って行くし、街から出来るだけ遠く離れた場所を探して向かう。そうして辿り着く先は、海か山だ。人里離れた、光の届かない、人ならざるものたちの世界。そんな場所で息を潜めてシャッターを切っていると、そう離れていない草むらから急に何かの鳴き声が響き渡るのはしょっちゅうだし、背後の森からはガサガサッと何かが動く音がする。持っているペンライトを向けてその正体を確かめたいけど、もし向けてたくさんの金色に光る目が木々の間に並んでいたらゾッとするし、まさか人間がいたりでもしたらもっと嫌だ。結局、光を向けるのはやめることにして、その代わりにもしそれが襲いかかってきたときのことを想定して三脚を握りしめる。正体が分からないものに対しては、想像が無限に膨らむ。そう、暗いとは、怖いのだ。

その日もそうだった。
1月の終わりの土曜日の昼、ふと思いついて夜から星撮りに出掛けることにした。行先は太平洋岸の、ある岬の灯台。調べてみると駅からせいぜい数km程度の距離だったので、終電で移動して徒歩で向かうことにした。
夜、駅から出ると、コンビニもあるし商店街もあって、タクシーだって2、3台客待ちをしていて安心する。しかし、駅から歩き出してしばらく歩いていくうちにどんどんと家がまばらになっていき、道は山に向かっていく。気が付くと行く先に見える光は曲がりくねった山道のコーナーに点々と設置された薄暗い街灯だけ。この時点で、なんで車で来なかったんだろうと後悔が始まる。でも引き返したところで電車はもう動いていない。深夜1時。ビビっていても仕方ないので、iPhoneで音楽をかけながらとにかく前に進むことにする。
たまに現れる民家に電気が点いていると、人の存在が確かめられて心強い。そういう意味ではたまに車が通り過ぎていくのも安心するけど、もし逆の立場だったら深夜の山道に急に人間が歩いていたらびっくりするだろうなとも思う。そう考えると自分がお化けにでもなったような気がしてくる。これまで、そこにいるかもしれない「何か」を怖がっていたけど、あるいはその「何か」だってこっちを恐れているのかもしれない。そういう想像をしていると気が紛れてなんとか山を乗り切れる。
山道を抜け、両側に畑が広がる道を進み、岬に向かう。行く先に灯台が現れ、光がゆっくり回転して辺りを照らしているのが見える。灯台の南側は崖と岩場になっていて、湾を挟んで漁港を見渡すことができる。岩場まで降りて行けば、岬に立つ灯台、って感じの構図で撮れるけど、さすがに深夜にペンライト一本で濡れた岩場に降りていくのは無理。北側は砂浜になっていて、そっちなら降りて行けそうだけど道路のオレンジ色の光が何本も届いていて少し明る過ぎる。明るい方が安心だけど、やっぱり星をしっかり撮りたいのだ。迷った末、結局灯台の足元に行ってみることにする。
灯台に近付いていくと鳥居があって、その先はどうやら神社になっているらしい。深夜にお邪魔します、と呟いてくぐった瞬間、目の前がゆらっと揺れる感覚がした。

「ねえ、入って大丈夫なの?」と妻が言う。
「大丈夫だよ。神様はオープンだし、それに第一、神様に昼も夜もないんだから。」そう答えて先に進む。神社の中はちょっとした森みたいになっている。灯台下暗しの言葉通りだな、と思う。灯台の光が周期的に回ってきて上空を照らしては行くけど、その下は本当に暗い。ちょっと目が慣れてきたという程度では目の前の地面も見えないから、ペンライトで照らして進んでいく。少し歩くと、開けた広場みたいな場所に出た。ここなら良さそうだ。荷物を下ろし、三脚を立て、撮影の準備に入る。妻はレジャーシートを敷き、寝袋に入って空を見上げる。運悪く雲が出てきてるけど、隙間から見える空は星でいっぱいだ。撮影に入る前、こぼれ落ちてきそうな星空を見上げてコーヒーを飲むこの時間が一番楽しい。
1時間ほど撮影をしていると雲が増えてきた。身体も冷えてきたので、少し休憩をしようとシートに座ってふと気が付く。妻がいない。あれ?さっき寝袋に入って寝てたはずなのにな・・・と思って辺りを見回すと、広場の向こうの木の下に黒い人影のような輪郭が見える。向こうもこっちに気付いたらしく、振り向いて近付いてくる気配がする。どうしたの、と声をかけようとして止める。いや、あれは妻ではない。暗過ぎて、のっぺりとした真っ黒な塊にしか見えないけど分かる。あれは妻ではない、「何か」だ。善いものか悪いものかも分からないけど、近付かない方が良いに決まってる。瞬間、荷物をまとめて撤収を始める。水筒をリュックに放り込み、シートを引っ掴み、カメラは三脚に付けたまま担いで行くことにする。その間もそれは少しずつ近付いてくる。カサッカサッと落ち葉を踏む音がする。こっちを見ている視線を感じる。「どうしたの?ねえ、置いて行かないでよ。」と妻が言う。否、妻の声が言う。「置いて行かないでよ」?妻がそんな言葉を言うはずがないのだ。相変わらず暗い塊の下にいるのが何なのかは判らない。でも、それは「何か」なのだ。立ち止まってはいけない。振り向いてもいけない。とにかく走ってここから出ていかなければならない。

何とか抜け出して砂浜まで辿り着く。街灯の光の下で、水平線が白んでくるまで寒さに震えながら時間が過ぎるのを待つ。
待ち望んだ太陽が昇ってきた瞬間、iPhoneにメッセージが届いた。「お疲れ様ー。天気良くなかったみたいだけど、大丈夫?」妻からだった。

そうだ、その日妻は仕事で、だから暇を持て余して一人で星撮りに来たんだった。



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