対人支援職に大前提~最後まで一番必要となる大事なこと

本日は、ただのつぶやき。

つくづく思う。

例え権威のある医師であれ、民間セラピストやカウンセラーであれ、福祉施設の職員などであれ、対人支援職に携わる者の第一の仕事(というよりも1~10まで常に必要な仕事)は、
その人、本人が、自分の人生において今、本当に必要なこと、そしてその必要なことが成されるために必要な支援、それを提供できるひとや場所などを、ディスカウントのない目(つまりクライアント本人のように自他の可能性を閉ざして見えなくなってしまうような目ではなく、全てを公正に、無私に、フラットに常に在ることができる目)で、常に見晴らし良く見渡していること。
そして、クライアントに直接口で求められていることは表面で汲みつつ、常にクライアントが真に必要としているものに繋ぐ呈示ができる状態で在ること。それをすること。

そこまでの無私(逆説的な言い方かもしれないがそこまでのホスピタリティでもある)に到達して、初めて、対人支援職の入り口、基礎の基礎の仕事を世に提示することができる。

そこで更に難しいのが、
クライアントのその「表面」部分で起こる様々な(実は自分自身の真の欲求に対する)抵抗、自分の可能性を見えなくする力、否定し突っぱねてしまうプログラムに引っかからないような形で、クライアントが今自分に真に必要なもの(クライアント自身が真に必要としているものや人や場所)が何なのか、に、気付くことができるよう仕向けること。
そして、対人支援職の者に、その気付いた真に必要なことをきちんと口で社会的にも依頼してくることができるまでの成長を見守ること。
…これに関しては、潜在意識の専門家でしかできないことかもしれない。

だからこそ、催眠療法士(潜在意識の専門家)は、催眠技法よりも何よりも、自分の技量、催眠療法士として・社会的にという両面において自分のできることできないことをはっきりと見極め、自分の領域で不十分もしくは不可能な場合に本当にクライアントに必要な支援に繋げることがまず第一に必須なのだ。
しかしそれでいて、資格取得講座において何よりも教えることが難しい(現状日本ではまずほとんど教えもしない)ことだ。

潜在意識の専門家でしかできない、催眠療法士に何より一番求められていることは、催眠技法より何よりも、ここなのだ。
クライアントの(本人に不利な)プログラムをとることはさることながら(しかしこれはクライアントが自覚し望まない限りはできない)、まず何よりクライアントの人生にとって、今本当に必要なものは何なのか、そして本人にとって本当に望んでいるものは何なのか、それに必要なものは何なのかを、外側の公正無私の目で見極め、それをクライアント自身の顕在意識が邪魔してしまうことでクライアントが苦しんでいるのなら、それをクライアントのプログラムにひっかからないよう、寧ろそれを大いに利用しながら、自分自身で気付くことができるよう仕向けて行くこと。
そして……もし状況に状況が重なれば、もしかしたらだが、クライアントがそこに気付く・向き合うことができるまで成長が必要であった場合、それを手伝いながら見守る必要がある時もあるかもしれない。
そういうところまで繊細に判断しサポートできないと、孤立無援状態になって自分の人生を救い上げたいのに掬い上げることができなくなるひとが、現代日本急激に増えてもいる。
その上、下手なところでは(というよりまだまだ大部分)、日本の医療や福祉事業はあまりに縦割り社会であるので複雑ケース(領域をまたがるようなケース)はろくに聞けず、しかも医療は飽和状態で効率的に回すことを重視しているため、クライアントの話をよくよく聞いてラポールをとって…とやっている暇がない。
クライアントが自分で本当に必要なことを要約してうまく伝え、必要な援助を願い出、不必要なものには自分でストップをかけるというようなことまでしなければならない。しかし、クライアントが自分自身にそんな公正な目を持つことは大半の場合不可能であり、それ以上に、そのような複雑ケースのクライアントの精神は、そこまで育っていない。
ただ単に専門医や必要と判断する施設に送り込むだけでは、そこでクライアントはラポールを失い拠り所、足掛かりを掴めず、自分自身で自分自身の支えを失い路頭に迷って更に転がり落ちていくことになりかねない。

クライアントが自分自身のために、自分自身で必要なところに食らいつき必死でそこの中に自分の道のきっかけをこじ開け拓き掴むことができるまで…。
また、それができるような土台がクライアントの中にできるまで…。

それこそが、本当の意味で、「必要な人を必要なところへつなぐ」ことなのだ。
そして逆説的に実のところ、まさにここに、これのために、とてつもなく高度な潜在意識のしくみの利用技術や複雑高度なカウンセリング技術、催眠技法が必要になる。
高度なカウンセリング技術や催眠における心理療法技法は、「心理療法」を行うためではない。
鮮やかな心理療法を受けることができるのは、ある程度育って自分でそれを望み食らいつくことのできるクライアントだ。
本当に高度な技術が必要とされるのは、深く深く深い潜在意識の仕組みの利用や揚げ足取りやカウンセリング技能、心理療法技法、高等催眠技法は、鮮やかなセッションの場ではなく泥沼の中でこそ本当に物を言うのだ。

ここしばらく、死ぬほど痛感したのに、これを、一体誰にどうやって、どのようにして、伝えることができるのだろう。


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