相手が見えていない・聞こえていないから、気付かれないからといって…?

時々、ふと、思い出す、交代人格たちの記憶。

恐らくはこの器自体が、昔から(自覚ではそうは思っていないままに)視機能の異常があったからであろうと思われるのですが、視覚障害人格は多かった。
更には、脳性麻痺などの影響かわかりませんが、身体障碍の人格は多かったのでした。
半身不随の人格もいたし、聴覚障害の人格も数名おりました。

その中でも、聴覚障害の人格のひとりと、全盲の人格のひとりのエピソード。
…というよりも、その彼らのエピソードを見ていた(もしくは後から何らかの形で状況を取得した)他人格の記憶、と、その他人格から「こうだったのだよ」と伝わった本人たちの反応の記憶、と言った方が正しいのですが。

まずは、全盲の交代人格。ここではTとします。
彼はもともと全盲であり、「見る」という現象自体を知らなかったようで、外部でとある人(解離はわかっていたので交代人格であることは気付かれていました)に、「あなた、見えていないの?」と聞かれて初めて、人と感覚状態が違うのだと気付いた人格でした。
交代人格というのはそもそも外部での生活が少ないかほとんどない場合もあるので、自分が見えない・聞こえないなど、周りの人たちと違う状態であることに気付いていない場合もあります。
Tは性格はおおらかで好奇心旺盛な人物であったので、外部のその人と知り合ってからは、その人の手引きでちらちらと出かけたり、意識を担うようなことが増えて行きました。
ちなみにこの頃、主人格たちも視覚障害が多く、この人は同じ学校に通っていたので、良く一緒に行動している人でもありました。(他にも少々複雑な事情・関係でもあったのですが、ここでは割愛します。)
Tは、彼女に「この辺だよ、今、目が合ってる状態」などと教えられながら目を合わせる練習や相手の目がどのあたりにあるか予測する練習などもしていましたので、Tは、彼女と話をする際、できる限り彼女のほうを向くようにしながら話をしていたと思います。

ただ、この人とTが過ごしている時、これはだいぶ後に他の交代人格によって(その場を把握していたか何かなのかな)気付いたことだったのですが、例えばこの人がTと一緒に座って話しているとき、どうやら携帯電話でゲームをしていたときが何度もあったらしい。つまり、携帯電話でゲームをしながら1対1で話しているような態度でありながら、目線と意識は携帯電話の画面しか見ておらずTのほうを見て受け答えするようなことはなかったようなのですね。
しかし、視覚障害ではない(という自覚の)交代人格相手や、弱視の交代人格(つまりその外部の彼女にとって、こちらがどこまで見ているのかいないのかわからない)のときは、そんなことはなかった。完全に全盲とわかっていた交代人格Tと一緒にいるときのみ、彼女の視線は携帯電話画面だったのですね。

聴覚障害の人格Aが出ていたとき。
これも、実は同じ時期、そして相手も同じその同じ学校の彼女だったのですが…。
聴覚障害人格Aは、恐らくほとんど音を感じることができていなかったため、外部の人とのコミュニケーションは大変でした。しかし、その彼女は非常に興味を持ち、Aと会話しようと非常に積極的でした。
そのうち、Aと彼女の間で何となく、だいたい簡単なことは彼女の口の動きを見て推測できるようになり、彼女も大事な言葉を特に端的にはっきり口を動かして発音すれば伝わりやすいと発見し、他、Aのほうからいろいろ伝えるときは携帯電話の画面に文章を打ち込む、複雑なことをやりとりする場合はお互い携帯電話の画面に打ち込む筆談をする方法をだんだんと捻りだしていきました。
他、Aは、ゆっくりですが、なるべくダイレクトに発音することで彼女に意思表示もしていました。
特に外では、携帯電話の画面に打ち込むことも大変なので、一生懸命発音していました。

ある時、他の交代人格の意識も内部から少しあったときなのか、それとも後で時間差で取得した情報なのかははっきりしませんが、Aと彼女がどんなやり取りをしていたのか、気付いた時がありました。
彼女の意思表示、言葉が、Aは辛うじて何とかいつも通りに必死に口を見て読み取り全力で推測を働かせていたのですが、他の交代人格の意識状態には彼女の言っていることがまったくわかりませんでした。
それはなぜか。彼女は、いつからか知りませんが、Aを相手に話しているときは、口だけ動かしながら声を発していなかったのです。

こちらは解離性同一性障害、つまり多重人格でいろいろな状態の意識状態がありましたし、何かのときに記憶状態が交錯したり流通したりすることもあります。寛解状態の今は、ほとんどの交代人格の記憶を取得することもできています。
こちら側がわかる、わからない自体は関係ない話ですが、ただ、その状況を知った交代人格の記憶や感覚をTやAが共有してその彼女の対応を知ったときの感覚、というものがありました。
TもAも肯定的でおおらかな性格で、表にはまるで出しませんでしたし、それはそれで、という感覚ではありましたが、本人たちの知ってしまった感覚としての感情というものは、ありました。

良い悪いの話ではないと今現在の私も思います。
それに、それを「知ったことによって」は、別に私も彼女に対して何ら感じてはいません。相手に対して感じたというよりは、「そういう状態である自分たちが、対等であるはずの友人とコミュニケーションをしているとき、そういう対応をされることがある、という感覚、そして、それに自分たちは気付くことができない、それによってお互いの対等性や関係性がどのように成り立って行ったり変化していくのだろうか…」というような漠然とした思いであったり、自分が気付かないからといって、ゲームの片手間でこちらを見ないという対応を相手にとられてしまったりとらせてしまう、それに対してただ反射的に素直に感じる、どう処理して良いものやら難しい自分自身の感覚・感情。

未だに、ふと、何気なく思うことがあります。


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