NPO法人「目と心の健康相談室」

NPO法人「目と心の健康相談室」という場所を訪ねてきました。

その前に…
理由、経緯としてかいつまんでみると、
私は出生時低酸素症(恐らく)における先天性重度脳性麻痺の身体で出生し、その頃より明らかな「視機能」の異常がありました。
ただ、当時(今もですが)脳性麻痺という障害は未知の領域であり、しかも赤ん坊の状態では何事も診断は難しいものです。状態の判断が手探りの状態でした。
7名の医者が次々と出てきて、ただ共通していた意見は、「成長しても100%寝たきりになるだろう。もしできても背這いしかできないだろう」とのこと。アテトーゼ型で、際立って目立ったものがアテトーゼ症状だったのです。
ただ、幼少時、やっとのことで「脳性麻痺」と診断されたときの診断書には、「視覚障害」の記載がありました。追視ができない。と。つまり、目の前に手や顔があってもそれを固視せず、目の前で指を動かしてもそれを目で追う、という反応がない。
ただ、赤ん坊が「見えるようになる」仕組みというのは、まず眼球にだけ光が入っても、網膜だけに映像が映ったとしても、何の意味もなく、成長と同時に、その光波情報を次の場所へ伝える視神経の系統・更に伝わった先である脳での情報処理機能が育ってきて、やっと、「目の前の人や物に反応する」という反射的反応が起こり、初めて赤ん坊が「物を見た。視認した」と確認されるわけです。
どこに問題があるかはわからなかったが、とにかく、結果的にその反応を起こさなかった。他の子どもより随分遅く、反応するようにはなりましたが、しかしそれも、反応したりしなかったりという(恐らく視神経や脳での接触が悪かったりたまに接触が繋がったり)状態が長かったようです。

当時いろいろな事情が重なり、身体障碍者手帳を取得するということを、結果的にしませんでした。当時は障害者への差別偏見も今より更に大きく、少なくとも本人が決める権利があるだろうとの判断がなされたわけでした。

脳波の検査なども随分重ねましたが、脳波検査に必要であった睡眠薬のシロップ薬をそもそも嚥下障害により飲み下すことができないなどこれまたあらゆる状況(具体的に何かひとつ問題があった時、場合によってはそれにより他の問題や状態を検査すること自体ができず判明させることができないのです!)が重なり、時代的にまだ機械や医師の問題もあったのかもしれません、結果的に脳波測定も「ちゃんと結果が出ているのか、うまく検査できたかすらわからない」「脳波が出ていない」などと言われている始末。
少なくとも、小脳が機能していないという診断はなされたようですが…。
そして、恐らく眼球には問題がないだろうと言われたそうです(つまりシステムなど稼働の仕方はわからないが、眼球の構造に関しては形成不全などはない)。

その後の成長過程の経緯などについては長くなるので省きますが(今までの他の記事等に回します)、今現在、日常において視覚情報をほとんど使うことができません。「見る」ということは「光波情報」を変換することそのものですが、光自体が私にとっては物の認識の邪魔にしかならない。動くもの(自分にせよ周りにせよ目だけにせよ)を視認することに耐えられない…それでいながら焦点を定めて固視するということができない(常に目が動いてしまう)ため、要するに目自体を開けていることができません。無理に開けていたところで、大混乱と苦痛にしかならず、視覚情報を得ることには繋がりません。

要するに、日常生活において必要な「視覚」という意味で、まるで視機能に頼ることができないのです。
現日本国の法律で定まっている「視覚障害」という言葉(名称)の定義は、「視覚・視野の検査数値が一定以下」の場合のみを指します。
(しかも、視力検査・視野検査というものはある一定条件下で”検査できる方法・角度”のみで検査し形式上の数値を出すものなので、その数値とその人の”本当の視力・視野”は異なります。つまり検査でその人の視力・視野状態は実質わかりませんし、”日常の実質の視力・視野”は更に数値とは全然違うことになります)
つまり、視覚障害と「視機能」の多種多様な問題は、実はまったく別物とされているのです。

「医学」というもの自体、まだまだ歴史が浅く、人体は未知の塊です。しかし、その中でも、基準を「決めなければ」いけない社会になってしまっているので、「視覚(=目、という認識)」においては、「みんな全く同じ条件下において検査をして、数値が一定以上か以下か」だけで、「視覚障害」かそうでないか、の2極を振り分けることとなっているのです。
現日本における眼科・脳神経内科・精神科などの医療領域においては、実は、「視神経」や「脳の情報処理システムの”行われ方””現在進行形の機能の仕方(要するに信号の経路や行き渡り方・接触不良などがないかどうか)”」という領域に関しては、実はまったくの未知の領域で、手付かずなのです。

しかし、ヒトの「見る」という行為は、
眼球(眼球だけでも特殊で複雑な膨大な構造がある)だけでなく、見ることに関係するありとあらゆる無数の神経細胞(シナプス)、脳の視覚情報処理や記憶や予測などあらゆるところに関係する領域、これらすべての超絶技巧の大サーカスが常に行われている中で、完璧に歯車が合っていないと、「視機能」というものはまるでおかしくなってしまうわけです。
どこかに少しでも支障が起これば。

…つまり、眼球のどこかが壊れたという「眼科」で判る領域以外の問題で「視機能」に支障・障碍を抱え、日常生活に大変な制限を強いられているひとたちは、実は、「視覚障害者」よりも、非常に多いのです。

しかし、私自身もそうでしたが、医者に「眼球に異常がない」と言われてしまう以上、自覚することができません。自覚することは、なぜだか視覚的問題で日常生活に重大な支障があり、働くことどころか日常生活すら、朝起きて目を開けることすらできない、というようなことだけ。
実は私の場合は、これが先天性でした。
そのため、赤ん坊というのはとにかく自分のあるがままの状態で、ただただ周りに「適応」しようとします。しかも両親も私が一人っ子で他に比べようもなく、その上「脳性麻痺」という診断により、通常の子とはそもそも違う、私たちにはわからない状態や困難がたくさんあるのだ、ということしかわからなかったため、私の場合は実は「視覚に関係する問題で支障が起きているのだ」ということにすら、30年近く、気付きませんでした。気付いてからも、言語化できるほど自覚するには、何年も何年もかかっていました。
…ただ念のため言っておきます。自覚がなかったからと言って、では「視覚的な問題としては軽かったからだろう」という意味ではないのです。…ただ、何の問題か、が、自分にも周りにもわからず、別の問題(周りや自分を誤魔化すために二次的にあらゆる神経症や複雑な…それこそ精神科医たちにもまだ認知すらされていない精神疾患なども重なり重なり抱えましたから)による症状により、日常がこんなに訳が分からなくなっているのだろう、という判断しか、されようがなかったのです。


しかし、そんな「視神経」や「脳の情報処理」のあらゆる問題における「視機能」に異常を抱える人たちが実は世の中に大変多くいる、ということを研究し、それらの人たちにひとまず「眼球使用困難症」という呼び名をつけ、国に認知してもらおうという活動を始めてくださった専門家の諸先生方がおられます。
たった10年程前からの動きのようです。しかも…あらゆる壁にぶちあたって、ほとんど進んでいない実態。

しかし、私の身体も初めて、そのような状態なのだと専門家の口から聞き知ることができ(出生時に実際問題の有無自体は発見されていたのに、そこから40年近く経って初めて、です)、
そして、先導をとっておられる、そして私を診てくださった先生が「目と心の健康相談室」というNPOを立ち上げておられることを紹介してくださり、今回初めて、訪ねてみた…という、経緯でした。
(ちなみにその権威に診ていただいたところによると、恐らく、他にもいろいろな問題は複合しているだろうけれども、ひとつには、「物を見る」というシステム回路自体がそもそも「正常・定型発達」をしなかったのだろう、ということでした。)


さて。
NPO「目と心の健康相談室」
理事長さんは、この先生(井上眼科病院・若倉雅登名誉院長)の病院の看護婦長を勤め上げられてこのNPOを立ち上げるに至られたかたで、非常に当事者視点に一緒に立って話をし、考えてくださるかたでした。

以下は個人的な感想ですが。
まず、部屋に入ったとき、
手引きをして椅子に座らせてくださり、寒い日でしたので暖を確保してくださり、
ひたすら明るさについて尋ねてくださいました。
「この明かりもない方が良い?」
「この窓、カーテンを閉めて、雨戸も閉められるんだけど、そっちの方が良い?」
最初、窓の方に向いた角度の椅子に座らせてくださったので、その後すぐ、「あ、やっぱりこっちの方が良いかな?!」と、窓を背にした椅子に座らせてくださいました。

これだけでも、本当にあらゆる「状態」のかたと関わって来たのだろうなと感じました。
そして、何より感じたのが、逆に「当事者」であるはずの私の方が、理事長さんがあれこれこっちがいい?あっちがいい?と聞いてくださるのに、戸惑うばかりで何一つ返答できなかったこと!
私としては、苦痛で仕方なくとも、そして長距離移動だとか明るい中や明暗の差を感じながら過ごすとその後何日も寝込まざるを得なくなったりするにも拘わらず、それが「当たり前」の世の中でただただ過剰適応しようとすることで精一杯になっており、こんな貴重な「合った環境に近づけようとしてくださる」ひとや場所に対しても、自分の状態や自分に合う方向性を伝えることすらできなくなっている。
当事者が当事者自身のことを、こんな僅かなことからして、目の前のひとにも伝えることができない。それほどに自分たちの存在や自分たちの状態にフタをしてしまっている。
自分の状態すら、実はまだまだまったく自覚できていない…。

さて、その後、2時間程、ずいぶんと深いこの領域の現状や私の経緯・現状などの話をしました。
この内容や方向性、この領域の現状、当事者の可能性などなどのことについては、この記事ではとうてい書ききれないため、割愛します。
が、もし、ご興味のあるかた、当事者のかた、当事者のご家族ご友人や、もしかして言い知れぬ生きづらさを抱えて来られて自分も同じような状態なのでは…と感じておられるかたは、ぜひ、私の聞いてきた内容や私のことや私が調べてきたこと勉強してきたこと考えている可能性、心理療法という領域角度からではあるけれども心身の専門家のひとりとして言えることなども含め、情報共有させていただきますので、ぜひお声がけください。
この記事の最後に、私の主宰しておりますコミュニティのWebsiteを貼り付けておきます。そこの問い合わせフォームより私に直接繋がりますので、お気軽にメッセージをください。


この2時間の中では、ひとまず、私が今、自分自身を社会で少しでも生きやすくするために今、動くことのできること、目指すことのできること、など相談に乗っていただき、終えました。

具体的に、最後にまた驚いたこと。
お手洗いは大丈夫ですかと、聞いてくださり、勧めてくださったのですね。
これは視覚障害・視機能の問題のかた全般、いや、体幹障害などあらゆる障害を含めてだと思いますが、本当に困ることです。
道中、見知らぬお手洗いを使うことが非常に困難です。
しかし、我々、もし多少使いたくても、必要となるとかなり細部まで手引き・説明してもらわねばならないため、どうしても、言い出しにくい。もし言われたとしても、つい反射的に大丈夫ですと言ってしまいがちです。
ありがたかった。

玄関から出るときも、
「あ、眩しいよ!」と注意喚起してから玄関を開けてくださいました。
本当に、理事長さんは視覚の面では当事者ではないのに、本当に本当に多くこういう…しかもあらゆる症状を抱えている可能性のあるひとたちと関わってきたのだなと、ひたすら感じた日でした。
「見える・見えない」前提ではなく、あらゆる場合の可能性があると、肌身で染み込んで感じておられるかただと、感じざるを得ませんでした。
その後、駅の有人改札まで手引きをしてくださいました。


眼球使用困難症としか言われようのない方々は、国の視覚障害基準に当て嵌まらないため、視覚障害の手帳取得ができません。
受給者証の手続きもできないため、視覚障害の支援を受けることができません。
国の法律、道路交通法では、「外出時視覚を使うことができない場合、<安全のために>白杖を携行せねばならない」決まりがあります。
そもそも周囲の情報を取得できないことは危険で、歩行ができないため、せめて白杖を使って外に出てどうしても必要な用をこなすしかありません。
が、受給者証を得られないということは、そもそもその白杖を支給・補助金という援助もなければ、白杖の使い方の訓練すら受けることができない。
使い方がわからず、使っている人たちやせめてインターネットなどに出回っている浅い文字情報を目で見ることすらできない状態で、<安全確保>ができるでしょうか。

私は、せめて精神障害の手帳を取得していた経緯がありました。
しかし、実際問題が「視覚(身体)」であるため、どこの精神障害者支援施設や就労施設などに行っても、「うちは利用できません」
その中で、あなたに必要な支援はこちらではと、「視覚障害者生活支援センター」へ繋げてくださった就労施設がありました。が、視覚障害者生活支援センターに話を聞きに行くと、「受給者証がない(身体障碍者と認められない)ので、うちは利用できません」

では、どうやって身の安全を確保し、「生きる」ということをしましょう。
冷蔵庫の中にものがなくなったとき、例えば?
外を歩く際の安全な手段を学ぶこともできない。
視覚情報を取得できなければ、目を開けられなければ、店まで例え辿り着いても(私は非常に誘導ブロックなども充実して人目も多い都心で、徒歩3分の道路をまっすぐの店まで独自にたどり着けるようになるまで、1年以上かかりました)、品物を選ぶこともできない。

それどころか、僅かな光でも耐えられず、しかもそんなわけのわからない状態に心身が消耗し尽くして、家から一歩も出られない、かといって情報社会の「情報」とはSNSにせよ何にせよ「文字」がほとんどですから、声をあげることすらできない。
実は、一般に知られている「視覚障害」よりも、重大で深刻な問題なのです。
水面下で知られていないからと言って、<マイノリティ(数が少ない)>かというと、まったくそうではないという問題が、いや、これもそのうちのひとつ、ですけれども。ここにあります。

それで、いながら、更に問題が水面下で詰まってしまっている大きな理由のひとつが、
社会においては「障碍者」というのは=障碍者手帳、つまり「国の認定」という潜在的な共通認識があるため、
「障碍者手帳を持っている」ことが「障碍の重さ」になってしまっている。
そして、「視覚障碍と言われないなら視覚障害じゃないんでしょ」というような風潮・方向性になってしまう。「視覚障碍」と言われない、認定されないから、自分たちの”状態”を「視覚障碍」と言って声をあげることができない、喉元に押し戻されてしまう。ただでさえ視覚の問題で声のあげようすらない上に。
かといって、「眼球使用困難症」という、既に存在感のある市民権を獲得している「視覚障碍」と別枠で名前がつけられたところで、結局、「眼球を使えないだけで視力と視野には問題がないという意味か(”数値”に表現不可能なだけで、実際は問題があるのだが)」「目を開けることができない、というのは、ただの甘えではないのか」などと思われやすく、実は、当事者までもが、ついそう思ってしまう…。私自身も、実はまだぬぐい切れていない部分があった。「目を開けられない」理由として、「動体視力」が機能していない、光に対する適切な反射・処理ができていないなど、重大な理由があるというのにも拘わらず。
私を診察してくださったとき、若倉先生は憤りの口調を持っておっしゃいました。「国の基準(紙の上のルール)にないだけで、これは視覚障碍なんだよ!」
私を最後駅まで送ってくださったとき、理事長も、「当事者たちが周りに認められないからと自分は詐病ではないかなどと思おうとしてしまう人が多い、自分達が声を上げて行かないと!実際日常でこんなに困っているのに、”自分たちで”詐病にしてしまっている。”自分たちこそが”寧ろ声をあげて”いかなければ”ならない」
当事者の症状や日常の現状は、他の誰が勝手に客観的に決めつけるでもなく、そして当事者たちは研究材料でもなく、自分の実態・実情を伝えることができるのは、当事者たち…どころか、ただ「自分自身」だけなのですから。

せめて、この場にて、私のできること、体験したこと、共有させていただきます。
また、私の主宰コミュニティにおいては、まだ始まったばかりで規模は小さいですが、「社会的マイノリティ(障碍)理解」を趣旨のひとつに置いております。
私自身が当事者であり、音楽家・ホリスティックアプローチをする心理療法家(心身の専門家)でもあり、更にセラピスト仲間や福祉にも繋がっておりますので、あらゆる領域に広げて組み合わせて活動を拡げて繋げて行く所存でありますので、
少しでもご興味のあるかた、当事者やご家族・ご友人のかた、街でのサポート法から少しでも知りたい、補い合い・支え合いの輪が広がる社会がいいなと感じておられるかた…
ぜひ、お声がけください。



また、以下、若倉雅登先生を始めとする諸先生方が関わっておられるNPO法人「目と心の健康相談室」
ここへ行ってまいりました。
ちなみに…若倉先生がお手ずから、なんとWebsite更新しておられるそうです…
まったく別の次元ながらこれも衝撃ですね。



後日、言語化したことを追記。

白杖を持ち出して(日常で持たざるを得なくなって)から、道端や買い物などの場面において、暖かくありがたい、嬉しいご縁がたくさんあります。
(同時に、もちろん心無い無理解の言葉や態度や晴眼者ではあまり体験しないであろうあらゆる恐怖もあるのですが)

だからこそ、「国には視覚障害扱いではない」のに、白杖携行や視覚に無理拷問をかけない・視覚に頼れない以外は自分のやり方で自分の生活を行ってゆくことのできるという選択をすることで、こんなありがたい、幸せな境遇を受けてしまうことは、卑怯なのではないか、周囲を騙しているようなことなのではないか、悪用ではないか、というような、反面的な妙にねじ曲がった否定的思考回路があったのです。外に出て歩く権利自体がないのではないか、とでもいうほどの。

はっきり言って、視覚障害であるがゆえに与えられる、感じることのできる、ご縁はある。

しかし、当然ながらこれは、世の中にいろんな人がおり、そのいろんな人それぞれがそれぞれに体験する個別のこと、というだけの話であるし、私は恐らく感謝やあたたかさに対し非常に深く敏感に感じるため、その分たくさん体験できるかもしれない。

しかし、同時に、外出頻度は少ないから、外で毎日働いておられる視覚障害の方々よりは、体験談は少ない、かもしれない。

そんなことはわからないし比較できるものでもないわけなのです。

今ではやっとそう言えるし、これまでの思考の方がねじ曲がっていたと言えるけれども…。

私にとって頭に過っていたことのひとつに、社会的な「障碍認定」というものの意味について…。というのは、実は晴眼者であるのに、白杖を使って電車の女性専用車両に乗るだとか、本当に歪んだ(病的)心において、実際「視覚障害者の立場」になりすまし悪用するというような実態が世の中にある、ということ。

だからこそ、「実は実質的には重大な問題があるのにも拘わらず、障害認定の基準がない」ということは、=基準を下回っている(基準を満たしていない)というような感覚にどこかで陥ってしまい、視覚障害者ではないのに視覚障害者の生活をしている悪用者かなりすましのような錯覚を、自分自身に持ってしまう。

その上、自分の視覚状況が非常に複雑であり表現しづらいため、尚更自分の状態は主張するようなものではないのかもしれないと、喉元に押し返されてしまう。

更に…これが私のように先天的なものでもあったりすると、自分の状態が当たり前であり、しかも周囲の人になる(肉体を取り替える)ことなどできるわけがないので周囲の視覚状態はわからず、結局「自分が適応できないことがおかしい」のだと思い込み、ひたすら過剰適応しようという方向にしか行くことができず、視覚障害用の道具や支援の助けを借りるようなことは、甘え・悪ではないか、という認識しか持てなくなってしまう。
また、我々が非常に複雑な状態で人の助けを受けてしまったり、外で社会的行動(買い物などにせよ)をすると、障害認定されている視覚障害者の方たちに迷惑がかかるのではないか、支援の仕方がとても微妙であったりする我々が動くことで(実は手帳の視覚障害の人たちだって見え方は千差万別なので、必要な支援の仕方も千差万別なのですが)、視覚障害支援の輪を邪魔してしまうのでは、道行く方々にサポートされにくくなってしまうのでは…とまで、私は実際に随分長いこと思ってしまっていました。

その中でも、それでも私は少なくとも、「障害基準を下回っているわけではなく、認定基準の判断項目の種類や領域がそもそも違うから当て嵌まらないだけなのだ」という知識と理解は、これでも持っていました。

それでも、その私ですらも、なぜだか、頭の中で、身体全体が、「認定基準に満たない偽物なのかもしれない」という感覚に囚われていたのだから…そして、だんだんわかっては来ても、わざわざいろいろな人に…今回の理事長さんに対してもそうでしたが、「楽になっていい」「自分の状態を表現していい」「無理すること自体が問題なんだから、無理しなくて良い」「寧ろ自分を生きやすくしなければだめ」という言い方で何度もはっきりと言ってもらうことを求め、はっきり面と向かって言ってもらわねば、吹っ切れることができなかった。自分自身に許可をおろすということまでもしたい、しよう、開き直ろうと思いながら、自分自身に許可をおろす許可を、複数名に何度も出してもらわねばならなかった。

その上、私は心身アプローチのセラピストとしての専門的・研究者的視点もあり、これらには自己セラピーをずっと併用もしていたのです。

…生理学的・医学的知識や客観的に自身のカルテを詳細に作るほどの論理的性質ではない当事者などは、如何ばかりでしょうか。

恐ろしい実態が、あるのです。

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