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【創作】『私は父親の顔を見たことがない』【大豆】

私は父親の顔を見たことがない。
生き別れになったとか、そういう事情ではない。
父親の全身が大豆で覆われていたからだ。
正確には一度だけ顔を見たことがあるが、その時の事はほとんど覚えていない。

私の父は目と口と鼻、そして排泄器官以外は全部分厚い大豆の層で覆われている。
医者の話によると、大豆に対する強力な磁力のようなものを、父は持っているらしい。

生まれつきの体質ではない。
これはまだ私の生まれる前、私の兄が4歳だか5歳だかの頃に急にそういう体質になったらしい。

その日は節分だった。
父は町内の豆まきイベントで鬼の役を演じたらしい。
鬼の役を演じた者は数人いたが、子供たちの投げた大豆は全て私の父に吸い込まれるように命中したそうだ。

異様な光景に、子供たちは豆を投げるのをやめたものの、その強力な磁力によって、投げていない豆も全て父の身体に吸い込まれていったそうだ。
その後お面や服を脱ぐのも一苦労だったそうだ。
そのまま、大豆は父親の体に固着したそうだ。

当然、医者に行っても原因はわからず、治療も不可能だった。
その日から、父親は大量の大豆と共に人生を歩んでいる。

兄は大豆まみれになる前の父の顔を知っている。
知っているとは言っても、幼い頃の遠い思い出だ。
父がどういう風に歳を取ったのかは、兄も知らない。
もうあの日から20年以上経っているのだ。

最初は父も母も途方にくれたらしい。
父は休職し、母は大豆まみれになった父の身体と心のケアをしながらパートに行っていたそうだ。

母がパートに出ていたとはいえ、生活費のすべては賄えず、貯金を切り崩しながら生活をしていたそうだ。
しばらくして、生活に限界を感じた父は職場に復帰することを決めたそうだ。

復帰初日は流石に驚かれたそうだが、大豆まみれになっただけで中身は普通の人間だ。問題なく仕事ができたらしい。
それどころか、大豆まみれになってからの父の働きぶりは凄まじいもので、休職前とは比べ物にならないほどの成果を上げ続けたという。

「大豆ってすごいんだぜ。
この豆一つで色んなものになるんだ。
豆腐、おから、味噌、醤油、そのほかにも色々。
日本の食卓にはなくてはならない存在だよ。本当にすごいんだ。
俺はそんな自然のすごいパワーを全身で受けている。
だから仕事の成果にもそれが現れてる。
今となっては、この大豆まみれの身体に感謝しているよ」

私の20歳の誕生日に、初めて2人で一緒にお酒を飲んだ時、父はそんなことを言っていた。
この言葉が本心なのかどうかはわからない。
大量の大豆の奥に埋もれてしまった父の目から感情を読み取るのは難しいからだ。

「かといってお前たちが俺みたいな大豆人間になるのは嫌だな。
もっと普通の人生を送ってほしい。
俺は大豆人間になっても幸せでいられたけど、お前らが俺と同じように幸せになれるとは限らないからな」

口元の大豆をビールの泡まみれにしながら、そんな事も言っていた。
大豆に埋もれた父の目からは、やはりその本心を読み取ることができなかった。



ある日曜日の朝、父は「散歩に行ってくる」と、一人で出かけていった。
しかし、昼食の時間になっても父は帰ってこなかった。
私たちが昼食を食べ終えても父は帰って来なかった。不安になった私たちは父を探す事にした。

近くの公園に行くと、ベンチの周りに異常な数の鳩が群がっていた。
まさか…?と私は思った。
私が駆け寄ると鳩たちは一斉に飛び立っていった。
その中心には、ぐったりと地面に横たわる痩せこけた男性の姿があった。

私は父の顔を見たことがなかったが、それが父であると直感した。

私は父を抱き抱えた。
私はその時に初めて父の顔を見た。
父は息も絶え絶えになりながら、私に語りかけた。

「へへ…いつまでも父親の素顔を知らないで生きるのも大変だろう…?
一回くらいは素顔を見せてやろうと思ってな…。鳥に食わせてやったよ…。
けどあの豆たちとは何十年も一緒にいたからな…。
ずいぶん養分を吸われちまってたみたいだ…」

父は思いつきでその体を捨てようとしたらしい。
私は父の素顔なんてどうでも良かったのに。

私は兄と母に大豆を大量に買ってくるよう伝えた。父に大豆を補給しなければ、そう思った。

しばらくして、兄と母は大量の大豆を持ってやってきた。
私たちは一心不乱に大豆を撒いた。
大豆たちは父親に吸い込まれていった。
すると突然、その様子を見ていた私の視界が真っ暗になった。

そう、父の身体だけでなく、私の体も大豆を吸着する体質になっていたのだ。
大豆人間のDNAは私にも受け継がれていたというわけだ。
私は一瞬で大豆まみれになった。

父は、兄と母が用意した大量の大豆のおかげで一命を取り留めた。だが、大豆まみれになった私の姿を見て、父はガックリと肩を落としていた。

「お前には大豆人間としてではなく、普通の人間としての幸せを手に入れて欲しかったよ」

「いいんだよ。俺は別に親父のこと嫌いじゃないから。俺も親父みたいに幸せになってみせるよ」

みなぎる大豆パワーを全身に感じながら、私は微笑んだ。

父が本当の意味で大豆人間である事に誇りを持てるように、私も大豆人間として幸せをつかもうと強く誓ったのだった。

〜完〜

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