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母親

本当は、「どうしたの?」って言ってほしかった。

悩んでいる私を前にして、スマホや本で時間をやり過ごすのではなく、話を聞いてほしかった。

親身になっているふりをして相槌を打つのではなく、実効性のある解決策がほしかった。
私がそれを考えるためのアドバイスがほしかった。
私が抱えている問題を、一緒に解決する意志がある、そういう態度がほしかった。

一方で、私が抱える問題の根底には、多かれ少なかれ彼女自身の存在があることも事実だった。
彼女の機嫌を損なわないこと、それが家での私の至上命題だった。

彼女の不機嫌の気配を感じたら面白い話を捻り出したし、機嫌をとるためにバカのふりをした。
機嫌を損ねると思ったときには素直な希望や感想を飲み込んで、彼女に同意するふりもした。
私にとって、家を安心できる場所にすること、平和的で落ち着いた時間を過ごすこととはそういうことだった。

自分の悩みを打ち明けることで彼女の機嫌を損ねる可能性は大いにあったし、そう考えれば本心で話すことなんでできなかった。

正確には昔、彼女自身に対する思いも含めて、率直に話そうとしたことがある。
だが話の核心に近づくにつれ、彼女が徐々に不機嫌になっていくのを肌で感じて、それが耐えられなかった。
ただでさえ辛い思いを言葉にして伝えようとしているのに、それが棘になって自分に返ってくるのが本当に堪えた。

別のときには、彼女は心配そうな顔をして私の話に相槌を打っていた。
真剣に聞いていると言われればそんな感じだったし、彼女自身は傾聴しているつもりだったのかも知れない。
でも結局、私が彼女に打ち明ける前に自力で考えた以上の解決策は、何一つ出てこなかった。

私は、彼女に頼ることを諦めた。

諦めたくなかった。
過去と他人は変えられないし、他人に何かを求めることはしない。
その唯一の例外として親にだけは、知見か、人間性か、論理的思考力か、なんでも良いから、自分よりも優れた人であってほしいと望んだ。
けれど一緒に暮らし、話し、観察する時間が長くなるほど、そうではない現実を強く突きつけられた。

外ではしっかり者のキャラを演じ、家では彼女の機嫌をとるために生きていた私には、悩みを相談できる機会なんてどこにもなかった。

自分だけを頼りにするしかなかった。

自分自身に向き合い、どうありたいか、どうしたいか、それだけに従って選択を重ねて、前に進んでいると信じるしかない。

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