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地方議会選挙のコツ3:あっちに行かない


選挙に立候補したり、議員になったりすると、
「あっち側の人になっちゃったんですか」と言われちゃいます。

私は祖父が議員をしてたのであっちこっちという感覚はあまりありません。
スーツ着てる祖父も股引履いてる祖父も同じ人間でした。
そして祖父も人からどう思われていたか知らないけれど
私の聞いた話では戦争で太平洋上の無人島に配置され、社会インフラの大切さを思い知り、またいったん収容されたときに米国の豊かさに驚き、このままではいけない村のインフラ整備をどうにか進めたいという思いで議員を務めていたということでした。国に帰ってから、複数の事業をかけもち、町会議員までやってたので、相当の熱量で動いていたのだろうなあと想像しています。
祖父の話は、別にあっちこっちしていない地続きの話です。

私もカフェ経営者としてエプロン付けていた私と、スーツを着ている私がそれで別の人間になったとは思っていません。エプロン付けていたときから、色んな相談事をいただいていたわけですから。

あっち側の人って何でしょうね。
あっち側の人ってもうそれだけで恐れられ嫌われるようです。
人間は一体どの境界線を越えると、あっち側の人になったと思われるんでしょう。



選挙においてそれはどんな部分かというと
プロのウグイス嬢を使ったりすることなのではないかなあ・・・


本職の鶯



ウグイス嬢さんからとびこみ営業をいただいたことがあったのですが
そう感じてお断りしたことがありました。


立候補者説明会に行くと、何故か情報があちこちに出回って色んな営業の方がいきなりお見えになるんですね。初めてお会いする方でした。


人間の人生ってそれまで培ってきた文脈ってものがあると思います。
地域や勤め先や友人関係で培ってきた自分の人格があって考え方があって
みんながそれをなんとなく分かっていて、
選挙に立候補するのならその流れから何か問題意識があるのかなとか、
何かきっかけがあったのかなと想像してくださると思うのですが
それが立候補するとなってある日突然、それまでの人生のまったく関わりのない方が「安心と信頼の〇〇候補」と声高らかに連呼をしだしたら、びっくりしちゃいますよね。


そういう時って「今までは私たちの〇〇さんだったのに」って思ってしまうのではないかなあ。それが「ああ、あっち側の人になっちゃったんだ」の正体ではないかなあ。

地域社会の問題を共有しているはずの人から、そう思われてしまったら、もう一緒に地域課題に取り組んでもらえるわけはありません。


プロのウグイス嬢さんは、「自分はとってもこの業界に通じているから全部任せてもらったらいいんですよ」っておっしゃってくださったのですが、私には私の築いてきた地域社会との関わりがあるので、ウグイスさんの業界の常識や文脈や専門用語でもって私を色付けされてはとっても困っちゃうなあと思いました。

例えばこれが年配の地域の世話役の方が立候補をして、選挙カーに乗って、プロのウグイスさんが発声したら、それは村の方は喜ばれると思うんですよ。「まあ立派になられて」と。紅白の幕をかけたりすることと同じで晴れがましい装飾のひとつとして「美しい声」があるんだと思います。
村の世話役の方が政治の世界に船出してあっち側にいく、晴れの門出のお祝いなんでしょう。選挙カーで村中を回って手を振ってご挨拶をして、皆のことを大事にしているよと握手をしてお約束をする。村の人もいってらっしゃいと言う。美しい光景です。


戦国時代なんかもね、村から兵役で出る人の「出馬」「出陣」は同じ光景だったのではないでしょうかね。馬に飾りをつけて、旗をかかげて、村一番の美声のおんちゃんがなにか祝い唄をうたったりして「エイエイオー」なんて送り出したのではないでしょうかね。田んぼに旗を並べているのをみるとそんなことに思いをいたしてしまいます。

明治や昭和の戦時中もそうではなかったのではないでしょうかね。

日本の風俗と習慣から、選挙の出馬もそうなったのでしょう。
現代的視点からみれば「出馬」とか「出陣」とか、よく考えればものものしく、議員って軍人なのかなって言葉選びですよね。
もう軍人が政治を行う時代ではないんですけどね。
そういう比喩がないと政治が理解できない時代があったのでしょうけども
昔はなじみやすかった比喩が今は政治離れを起こさせる原因になってるかもしれません。

そうやって送り出された人がお城の畳の部屋の評定会議に出席する有様を「あっち側」というのかもしれないのですが、地方議会の評定会議の内容って、例えば学校給食の品質管理であったり、道路工事いつまでかかるんやって内容であったり、子どもたちの夏休みのプールはどうなるか問題であったり、皆さんが夕食の食卓で話をしている日常会話がそのままほとんどです。


そして、うちの集落のネットインフラってどうなってるんだろうとか、子どもたちのプログラミング教育ってなにをするんだろう、町の情報発信はどんなことをしているんだろう、マイナンバーカードの活用ってなんだろう・・などなど、現役労働世代にとっては早く進めてほしい事業も集落の世話役さんでは分からないSFのお話・・・ということも出てきています。

このように地方議会の民主制って非日常の舞台ではなくて日常のテーブルです。
それは「あっちもこっちもない平坦な地続き」で、川の向こうでもなければ、山の向こうでもなければ、パラレルワールドでもないということを一緒の目線と立ち位置で伝えなければならないと思います。


そのために「あっち側」と思われている世界から少し距離をとること、定式化されている形をひとつひとつ新しく上塗りしていくことが
これからの時代を担う若い皆さんの選挙には大事なのかなあと思います。


のぼり旗を立てたり、「必勝」の鉢巻きをまいたり、だるまを買ったり、日常から離れた政治的テーマについて話をするとき、選挙カーの音量を決めるとき、これは生活者の方の心に寄り添う形なのかをその都度考えることが必要だろうと思います。


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