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生まれてごめんちゃい新作日記7

2024.5/13日没前

歩いていたら、近所の保育園から聞こえてきた。

たんたんたん、たんじょうび〜

そこでふと思い出す。
俺の最初の記憶は3歳でさ、誕生日だ。
お母さんやら、女性達がせかせか働いて準備してた。ケーキには誕生日おめでとうって書いてあった、たしかたしか。
けんちゃんはなんか喉の奥がジュワッとした。
胸がキュッとした。

こりゃいかんね、目ん玉に汗がたまりゆうき

なんて事で言葉にはなっていないが、泣きそうになったので、必死に、言う。
箸がないよー、

井上陽水の傘がないくらいの悲壮感で言う。

もう箸がないと言ってる時には涙あふれてた。
嬉し泣きは初めてだった、最初の記憶だから当然か。俺が生まれてきたことを祝うなんてね、すげぇし俺、この世にいていーんだなって思ってた。
これが最初の記憶。

んな事を思い出した。

古道具屋で古い椅子を見つける。
それは、なぜだか馴染み深いものの気がした。
座面の裏には、名前が彫ってある。
誰かの椅子なのに欲しくなる。

新作日記だからね、新作のニュアンスも混ぜるし、私生活やら思考もまぜまぜしちゃるきよ

生まれてくることは、どんな環境であっても祝うものだったろうと考えるが、愛では生まれない子もいるだろう、そんなふうに言われた事もある。
愛ではないとすれば、本能だろうか。

俺は、愛か金か、愛が叶わないならば金で叶えてしまおうか、みたいな環境で生まれた。
父は愛に溢れ、母は誰かの価値観に流れた。
ただそれだけで、俺はハッピーに生きるために生まれたのだが、なぜか生まれてごめんちゃいという偽物の謙虚さが美徳だった。

演劇を自分でつくる初期衝動をもらった。

生まれきてごめんちゃいパワーだ。
それからたくさんの人に愛されて、ありがとうパワーになった。生きるって嬉しいなありがとうパワーになった。

なあ永遠とか継続って信じるか?
やっつけはちがうよ、永遠とか継続はやってるふりじゃダメだよ、愛が必要だ。

それさ、どーいうことかしら。

愛です笑

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