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「印象-日の出」-ティッシュの表面のドラマと揶揄された印象派-

「ティッシュの表面のドラマを感じるんだよ。」

ティッシュのデッサンをしているとき、高校の美術講師に言われた一言だ。

この講師の授業は一風変わっている。音楽を流しながらそこで感じたことを塗り絵で表現したり、真冬のくそ寒い中庭で大石をひたすら何日もかけてデッサンしたり。そんな中、僕はある絵をオマージュしたことがある。オマージュといってもただパクっただけなのだが。パラパラとめくる美術の教科書のなかで一際目に留まったものがあった。

全体が青灰がかった靄に覆われ、そこに建物も舟も溶け込んでいる。手前には小舟が浮かび、奥には朧げに工場の影が映り煙を吐いている。全体がぼんやりしている中で、のぼりつめた褐色の日の出は揺らめく水面にほんのりリフレインされ、、、、清々しい明け方の大気を感じ取れる。

「印象-日の出」
1872年クロード・モネによって描かれたこの絵に16歳の僕は審美的な何かというより、強烈な印象を受けた。パラパラとめくるページからこの絵が与えた印象は、芸術のげの字も知らない僕に訴えかけた。

「印象-日の出」はモネの故郷であるル・アーヴル港の日の出を描いたものである。印象派運動の発端ともなったこの絵は、まさに当時のモネが感じた印象をキャンバスに捉えている。

印象派はキュビズムや抽象表現主義などその後の芸術に多大な影響を与え、今や世界中で受け入れられている。しかし、「印象派」という言葉は嘲りであり、揶揄であった。

当時、一人前の画家として認められるには年に1回開催されるサロンに入選しなければいけなかった。サロンの審査員は美術学校の教授やアカデミー会員で構成され、彼らの御眼鏡にかかれば合格し、展示されるといった具合だ。古代ギリシア神話やキリスト教をモチーフに、いかに写実的に繊細に表現できるかが価値基準となっていた。教養のある王侯だけが楽しめるものであり、非常に閉鎖的で保守的なものであった。

そんな中で風景や市民を題材にした作品はことごとく落選し、売れ残った作品を持ち寄ったのが、後の「第一回印象派展」となる、「無名会第一回展」である。持ち寄られた作品は、風景画や市民画であり、モネの「印象-日の出」も出展されていた。刻々と変化する光や動きを捉えるため、素早く粗いタッチで描かれたそれらは、とりわけ伝統を重んじるサロン会員からは不評であった。

中でも批評家のルロワは、「こんなものは絵ではない」「描きかけの壁紙の方がこれより完成度が高い」「さぞかしここにはたっぷりの印象が入っているだろう」と揶揄し、画家たちを「印象派」と呼んだ。現在では、印象絵画として世界中で愛好されているが、当時はただ印象を描いただけと揶揄され、芸術とは見なされなかった。そして「印象派」はそんな既存の保守的な権威に反逆するアバンギャルドな革命家であった

印象派の台頭の裏には歴史的革命が絡んでいる。それは18世紀後半から起きた産業革命である。産業革命によって発達した蒸気機関で画家は行動圏が広がり、また今まで鉱石をすり潰して絵の具を作っていたため持ち運べなかったところにチューブ絵の具が発明された。それにより画家たちの制作場所はアトリエから外へ、風景や人々を描くようになった。

そして、産業革命によって富を得た市民たちは新興ブルジョワとして台頭し、芸術を嗜むようになった。彼らは古臭い神や歴史といった伝統的な絵画よりも、自分たちの部屋に飾れる馴染みやすい風景画や市民画を好んだ。

写実的な描写はカメラに取って変わられ、印象派の画家たちは、綿密な線や配置よりも光の移り変わりや人々の動きといった印象を表現した。風景の中にどういった観察眼を見出すかが主題だった。

素早く粗いタッチで筆跡や塗り残しが出ていて未完成のようにも見える。しかし、全体としては統率が取れていて、筆跡や塗り残しでさえも作品の一部かのような生命力が感じられる。


「印象-日の出」はまさしく「印象派」の日の出であった。前方に見える小舟の前時代さ、奥に見える工場群の近代化による対比。そして立ち昇る日の出。それは1870-71年の普仏戦争敗戦からの復興を、新時代への幕開けを表現している。そして、前時代的な芸術からの脱却、印象派による大きな転換点を印象付ける


パラパラと教科書をめくったときに感じた当時の印象は、そんな確かなものではなかった。

だけど、そこには確かに「何か」が存在し、「何か」を感じた。移りゆく目の前の景色の中で、直感という印象を受けた。


「ティッシュの表面のドラマを感じるんだよ。」

それは、ティッシュの表面から溢れ出る印象を、流れゆくときの中にどのような観察眼を見出すか。そんなことを印象として僕に投げかけていたのかもしれない。

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最後まで読んでいただきありがとうございます!! 東海道中膝栗毛の膝栗毛って「徒歩で旅する」って意味らしいですよ