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「完璧主義者」をやめるのは薬物並みに難しい

レポート用紙小さい文字でぎっちり書きすぎて引くわ。読みにくいよ
大学のGPA なんて企業は見てないから良(B)を目指せばいいじゃん
そんなに勉強とか就活に気張らず学生のうちに遊んどけ

分かってる。
でも、それが許せない。
内の自分が周囲のアドバイスを突っぱねる。

それはある種、自分に対する贖罪や罪滅ぼしといった感覚なのだが、罪を向けるべき方向が間違っている気がする。
例えば私の場合、一浪して大学に入ったが第一志望ではななかったため自分より年下の人達には勉強でも振る舞いでも何でも負けたくなかった。だから、そこまで力まなくてもいいはずの教養科目でもレポート1つ書くとき1週間かけて書いたときもあった。

このような無駄に完璧を目指す心理の裏としては、
レポートこんなに吐き気がするほど頑張りたくない
→でも手抜きして妥協すると数ヶ月、数年後の私は後悔するかもしれない
将来海外の大学院に行くならGPAは高い方がいいし(そもそも行く確率の方が低いのに)
→もし一番いい評価がとれたら、トップの企業・大学院に行ったら周りから称賛される。
それは快感だ。

つまり、分かりもしない未来のために過度に不安と期待を込めすぎていて、かつ、他人評価による小さな栄誉を認められたいがために、大きな完璧思想を抱いているのだ。
なぜなら、一度誉められるとその悦楽をまた味わいたい、または継続させなければならないと勝手に使命感を持ってしまうからだ。それはなんとなくスポーツ選手の連勝記録が止まったときの残念な雰囲気に似ている。吉田沙保里選手が五輪で負けたとき謝っていたように。まるで薬物のように底なし沼のようにズブズブと抜け出せなくなり他人評価・世間体という幻覚を見てしまう。

色々原因や理由を書けるのにやっぱり完璧主義を治せる気がしない。性格や行動を変えるのが怖い。自分が自分でなくなってしまいそうで怖い。
きっと世界中の名医を訪ねても治すことのできない、日本人ならではの現代病なのだろう。

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