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再び生きるために踊る:映画『裸足になって』感想メモ

映画『裸足になって』を観た。

イスラム国家アルジェリアが舞台の映画。内戦後の、まだ日常にテロの危険も残る、抑圧された社会。
その中で、10代のヒロイン、フーリアがバレエダンサーを夢見て激しい特訓に励んでいるところから、映画が始まる。

主人公フーリアと、フーリアがひどい暴力に遭い夢も声も失ってから出会うマイノリティ女性たちが、ただただ愛しく。
見終わった後、言葉でうまく表現できない、淡い、でも確かなエネルギーが、自分の中にも満たされていくみたいだった。

フーリアと、フーリアと共に踊るマイノリティ女性たち、そしてフーリアの母親と、親友。それぞれが葛藤や傷を抱え、繊細でありながらも、海のように深みのあるパワーと、豊かな優しさを持っていた。
女性性の、お互いに寄り添い讃えあうことで甦り、みなぎっていくしなやかな強さを感じた。

フーリアがトウシューズを手放し、裸足で踊るようになった時、踊ることが「バレエダンサーになるため」から「再び生きるため」に変わった感じがして、印象的だった。

当たり前の自由や人権が許されない、日常の至る所に暴力が存在する場所で。
何者でもない、ただ素の人間として踊ることの自由。

日本も、弱者に対して優しく人権的とは言えない現実があるから、対岸の火事とは言えない、何となく他人事ではないものを感じる。

強くあるということは、当たり前に人間らしく生きることを自分や他者に許し、そうあるために、意思表示し、行動できることなのかもと思った。

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