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「もしあの時こうしていれば」-『森へ行きましょう』川上弘美


「もしあの時こうしていれば」
と考えることは誰しもあるだろう。

それは必ずしも後悔ではなくて、ふとした時に、もしあの時こうしていれば、全く違う人生を歩んでいたかもしれない。というような想像であったりもする。

そんな無数に散らばる「もしあの時こうしていれば」の可能性を、パラレルワールドの生きる二人の女性の人生を追うことで可視化した作品が、川上弘美の『森へ行きましょう』である。

ほぼ似たような境遇で生まれた「留津」と「ルツ」。ほんのちょっとした違いから異なる選択がなされ、その人生は分岐し、そして交差し、また分岐し…糸が絡まっては解けるを繰り返すように錯綜していく。

もしあの時あの学校を受験していたら。
もしあの時あの人と別れなかったら。

そういう決断というような大きな選択だけではなく、

もしあの時あの人と手を繋いでいたら。
もしあの時あんなことを言わなかったら。

そういった毎日のその瞬間瞬間の小さな選択の連続で人生は大きく変わり得る。ダイエット本のキャッチコピーによくそういった類のことが書いてあるが、本当に何事もそうなのだと本作を通じて実感した。たった一つの選択で出会う人も起こることも全く異なる可能性があるのだ。

しかし、この一つ一つの選択は主体的に自ら行なっているようで、そうではない。周りの環境や出会う人達との関係性との間でその選択をするように仕向けられている、というのか、自然にその選択をせざるを得ないようになっている。登場人物達の人生をなぞっていくにつれ、そのように感じられた。

ただ、その選択に対してその時その時自身で納得して進んでいくことばかりではない。行った選択に対して、本当にこれで良かったのかと迷いながら人は生きていく。それはまるで森に迷い込み、時には茂みを掻き分け、時には木漏れ日に照らされながら歩いていくようなものなのだろう。

小説の後半では、「留津」と「ルツ」の他に、「流津」「瑠通」「る津」「るつ」「琉都」が登場する。ハイライトは、留津と流津が鏡越しに自分に問いかけるという形で語り合う場面だ。彼女らの人生は単純に枝分かれしていっているのではなく、それぞれの人生に枝をのばしていることが読み取れる。とても緻密に設計され、且つ実験的な小説だと思った。また、森くんや林くんが登場し、林くんがキーパーソンになったりと面白い仕掛けも沢山施されてある。

留津とルツの人生についてだけではなく、母親の雪子や子どもの虹子の人生についても描くことで、自分の一つ一つの選択が連鎖し、自分以外の人間に影響を与えていくのだということが示唆されており、色々なことを考えさせられる読み応えのある大作だと思う。

読み終わって、ふっとため息をついた時、ポーランド民謡の「森へ行きましょう」という曲が教会で鳴り響く讃美歌のように耳の中で流れ出した。

ラララララ ラララララ ララーララ
ラララララ ラララララ ララーララ
ラララララ ラララララ ララーララ
ラララ ラララ ラララララ

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