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ぼっちをデジタルでデトックス

デジタルに触れるほど何か悪いものを取り込むように思われる。でもデジタルほど、デトックスする場所として適している所もない。直接のコミュニケーションと比べて、一方的な発言・発信が許されており、また他人は自分のことになんて興味ないからだ。要するに、デジタル環境を、受容する場所ではなく、ひたすら一方的に発言する場所に位置付けるだけでいい。


コロナの最中にあって、コミュニケーションが慢性的に不足している。普通に生きていたら、いろんな情報が入ってきて、いろんなことを考える。そうしてインプットがあると、アウトプットしたくなる。

ヒトと話す機会はとても貴重なアウトプットの機会にあたる。相手が聞いてくれると余計にアウトプットしている気になれる。だけど、実際にアウトプットしすぎてしまうとコミュニケーションのバランスが取れない。相手に興味を持つ余裕、話を聞く余裕、程よくターンテイキングする余裕。余裕が失われるのだ。

なので、ヒトと会話する前には、いろいろな溜まったものを吐き出しておいて、心の余裕を作る必要がある。そこで、デジタルでデトックスをしておこうと、いうことになる。

ネットは、SNSは弊害が多いが、一方的に、投げ捨てるように吐き捨てるように発言する分にはそんなに弊害がない。そこに他人との繋がりを求めていないからだ。ゴミ回収所でコミュニケーションなんか取れるかよ。ゴミを題材にして会話なんて広げようがない。広げたいと思わない。


思ったこと、考えたことを、空っぽになるまで、書き続ける。

この投稿もそうだ。まとまったものはnoteへ。もっと軽いものはTwitterとかに吐き出す。

珍しく外出したり、お取り寄せグルメをしたら、それも吐き出す。これはInstagramかもしれない。

ゴミも分別する必要がある。


数少ない、知人・友人と関わる時間を有効活用するために、相手により楽しんでもらうために、デトックスをしておこう。

ではでは。



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