スポーツに役立ちそうな仏教の教え。僕からの緩い遺言

2023年の夏、「バカ親父とうとう呆けちまったよ!」と弟から電話があった。

その瞬間、悔しさを覚えた。それは父親が呆けたことへの悔しさではなく、これからいくら見返してもその事を理解できない人間に父親がなってしまったことである。僕の人生のモチベーションは物心がついた時から”バカ親父を見返してやる!”であった。

最高に恨んでいる人間に対して、見返したと思えることが出来ても無意味なこと。それを理解した瞬間に僕の身体は崩壊した。幼少期に虐待されたことのフラッシュバックが始まり、不眠に摂食障害…。3週間余りで約12キロ痩せた。あまりに苦しくて何度か自死を試みようとしたが、その度に試みを止める助けが入ったのであった。
「俺、近いうちに死ぬな…」と思って遺言書を作成して弟に保管場所を伝えた。

今(2023年末)では尊敬できる知人達から、「お前はこれからの人生、幸せになる義務がある!」、「もう父親ではない、自分が主語の人生を歩め!」の言葉をいただき、

俺は必ず幸せを掴む!

これがモチベーションとなり心理的には前向きになっているが、依然としてフラッシュバックと摂食障害が続いていて体調は良くない。

そんな理由からか、最近お世話になったスポーツ界に貢献したいという気持ちが出てきた。先ずは僕らしさで何か遺せるものはないかと考えたら、”坊さん兼プロボクサー”を活かすべきと結論になった。そこで、僕が坊さんになったきっかけの『歎異抄』から学んだことを中心に、主にスポーツ選手と指導者が使える仏教の教えを記したものである。(スポーツとは無縁の方にも人生のお役にたてると思います。)

<被告を経験して『歎異抄』に出会った>

先ずは少し僕のことを。
僕はお寺の子ではない。それどころか、歎異抄と出会うまでは大多数のお坊さんは国会議員と同じで”世襲のク◯坊主”だと思っていた。そんな僕がク◯坊主になるのだから、人生とはわからないものである。

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