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『終のステラ』感想

 どうもです。

 今回は、2022年9月30日にKeyより発売された『終のステラ』の感想になります。昨年5月の『LOOPERS』、同年12月の『LUNARiA』に続く、3作目のキネティックノベル作品になります。これにて当初予定されていた3作品が全て出揃いました。

 OP曲「breath of stella」はズバリ、切なカッコイイ曲。王道ロックナンバーですが、サビのストリングスがオシャレで壮大で好き。フル尺も、Cメロ、ラスサビ共々素晴らしかったです。
 プレイのキッカケですが、単純に自分がKeyのオタクである事、先述したキネティックノベル2作品が良かった事、本作のライターである田中ロミオ先生の最新作に触れたかった事、イラスト担当のSWAV先生の大ファンである事、等々です。プレイする以外の選択肢無しw

 では、感想に移りますが、受け取ったメッセージと、雑感をなるべく簡潔に書けたらなと。こっからネタバレ全開なんで自己責任でお願いします。


1.受け取ったメッセージ

 色々考えたんですが、サブタイトル?の英文が何だかんだイチバン綺麗にまとまっている気がしました。

Even if humanity dies, the machines we have created will inherit our love and create the future. (例え人類が滅亡しても、私たちの作った機械が愛を受け継ぎ、未来を創っていく)

『終のステラ』

 なので、こちらをお借りして、少しずつ展開していけたらなと。
"愛を受け継ぎ~"、については言い換えればジュード(人類代表)が未来までフィリア(愛)を運び切った事でしょう。では、具体的に"愛"とは何だったのか。ここを掘り下げていきたいと思います。

 ズバリですが、人間が人間たり得る根源的な感情かなと。それこそ、五感による喜怒哀楽や倫理観、自己愛、隣人愛と云った部分、一言で括ってしまえば"本能"の“ようなモノ”。"本能"と云うと定義が難しいですが、喜怒哀楽や欲求みたいな利己的な性質と、倫理観や隣人愛みたいな利他的な性質、2つあると思います。んで、コレはお気付きの通り度々衝突コンフリクトを起こすものです。どちらを優先し選択すべきか…このどちらにも振り切れず間で考えて考えて、葛藤している時の感情がとても根源的な感情だと思っています。ジュードも以下の様な事を言っていましたね。

いいか、本能には後付けでもいいから考えを伴わせろ。それが人間だ

ジュード-『終のステラ』

 この感情が特に際立ったシーンとして本作では、

①フィリアがジュードに銃口を向けられたシーン
ジュードが人類ではなく、フィリアを選び、ウィレムを射殺するシーン

この2つでした。
 ①については、フィリアが"恐怖"を抱くシーンとして印象深かった様に思います。眼も赤く光っていましたが、あれが死の恐怖を感じたサインであり、シンギュラリティマシンにそれを計測され「人間である」と認知された証拠でした。また、ウィレムが次のような事も言っていましたね。

『そうだ……読んだことがある……人類最盛期のAI研究でも、機械が心を得るためには、本能と恐怖に値するものが必要だと』
「恐怖?」
『人を進化させる必須要因だ。それなくして精神文化は成立しないといってもいい。そして筐体におさまった機械にも、心は生じない。本能や恐怖と体を通じて対面できないからだ。彼女は恐怖するかね?』

ウィレム-『終のステラ』

 やはり"恐怖"無くして根源的な感情は語れないんだと思います。ジュードに銃口を向けられ恐怖し、同時に、人間を傷つけそうになって更に恐怖に襲われる。フィリアには防衛本能や生存本能が働いたに違いないです。ですが、ここで彼女は考えて考えて、自身の気持ちに折り合いを付けました
 この時の彼女からも解る通り、人間って、"恐怖"を誤魔化して取り扱うのが上手な生き物です(ネガティブな感情全般かもですが)。んで、ジュードも勿論、デリアがその筆頭として描かれた様に思います。ウィレムの証言に偽りはなく、父からの暴力は事実だった。でも、父の事を愛してもいた。愛していたからこそ抱いた恐怖を奥底に無い事にしてしまって、彼女の中には愛だけが残っているかの様な状態だったのかなと。このある種の矛盾した、表裏一体的な精神性こそが非常に人間たり得ると思います。
 因みに、登場したAIマシンと、フィリアやデリアにもあったロボット三原則。これは通常プログラムの最深部にあり、書き換える事ができないモノ。だとすれば人間で云う処の"本能"に他ならないのではないかと思います。彼女達Ae型を製造したのはAIだったので、尚更。第一原則:人間への危害を回避しようとする衝動と、第三原則:自身を守ろうとする衝動、この狭間でフィリアは葛藤していたのですね。第一原則優先である事を無視して。


 続いて②について、こちらはセカイ系作品によくある選択ですが、それで片付けるのは余りに可哀想なので、同様に深掘りしていきます。
 ここでは、ジュードがある意味人類代表として選択を迫られる場面でありました。彼は現実的、倫理的な判断を問われた訳ですが、ここでの葛藤は先述した利己的な本能 vs 利他的な本能だったのかなと。
 ①でも書いた、ロボット三原則。三原則は人間の"本能"に当ると書きました。つまり、ロボットにおける"倫理観"であるとも言えるのではないかと。これに従うのであれば、三原則は第一⇒第二⇒第三と優先順位は初めから決まっているので、ロボットであればすぐに人類救済を選択するはずですね。
 でも、人間の場合そう簡単にはいかない。自己と他者のどちらを優先するか。人間はヒューマンエラーなんて言葉がある位よく間違える生き物でもあり、何より感情が邪魔をします。優先順位が狂って当然。何が彼を狂わせているのか、言わずもがな"フィリアの存在"ですよね。フィリアに想い入れができたからこそ彼は葛藤します。本能(倫理観)だけでは判断が下せないのは、本能由来じゃないモノ、フィリアへの愛が芽生えているから。彼自身がそれをイチバン理解しているはずです。

「何年もいっしょに暮らせば、本能由来じゃない愛も混ざってくる。そういう愛情なら、俺も理解せんでもない」

ジュード-『終のステラ』

 仕事をこなし感謝される事で自分を肯定してきたジュード。あの時救えなかった妻と子の背景があり今度こそはと…人類救済の偉業を夢見て運び屋の仕事を全うするつもりだった。でも、放棄した。旅の間のフィリアとの記憶を掘り起こし、本能を掻い潜って最終的に残ったモノこそ、フィリアを救うと云う根源的な感情だったのでしょう。AIは総当たり攻撃で答えを導くと本編でも語られていましたが、それでも到達できず残った答えと云うモノが、人間が無くしていけない根源的な感情なのでしょう。

 人間が人間たり得る根源的な感情については、以上です。結局、人間は元々"孤独"を感じる、"利己的な存在"なのでしょう。それでも、他者を必要としてしまう、葛藤や矛盾なんて当たり前のどうしようもない生き物で。でも、そんな姿を"人間らしい"と"人間臭い"と認めてしまうんだと思います。

 最後に、フィリアを未来へ運び切ったラストシーンについて。ジュードが最期を迎え、フィリアはお墓に花飾りを手向けて旅立ちました。彼女が愛される側から愛する側へ、機械から人間へとなった象徴ですね。ジュードの荷物も引き継いで旅立つ様子は、切なくも力強い、本能に訴えかけてくるエンディングでした。また、この"継承"については、人類⇒AIだけでなく、父⇒娘と云う次世代(未来)を意識した関係性も良かったです。

 まとめです。文化や芸術、科学技術が未来へ継承されていくのであれば、それらを生み出した人間の根源的な感情だって継承されて然るべきだと、本作は伝えていた様に思います。それはとても人間らしいモノだから。未来永劫、大事に共有していって欲しいと。滅んだであろう人類にとって最後で最大の希望がフィリアと云う存在。バッドエンドかもしれないけれど、確かな希望を孕んだ一級品の余韻でした。

 受け取ったメッセージは以上になります。あまり綺麗にまとまらず、理解が浅いとか、読みづらいとか多々あるかもですが、何か少しでも感じ取って頂けたり、考えのヒントになっていたりしたら幸いです。



2.雑感

 文句無しの名作。小難しい事を散々書きましたが、プレイ中はこんな事ちっとも考える暇はなく、どんどん読み進めてしまいました。田中ロミオ先生流石の筆力です。退廃的・荒廃した世界観が好きなので、相性も良かったです。AIとの共存等を描くのではなく、シンギュラリティが既に起きてしまった物語は、この手のテーマでは珍しいタイプだった様に思います。遠い遠い未来、こーゆー世界が絶対に訪れないとは言い切れない訳で、純粋にワクワクもしました。機械に心を持たせる分野の研究は実際にありますし。
 個人的ピークはフィリアがジュードに銃口を向けられたシーン。「名前をつけてやるんじゃなかった」からボロ泣き。本能に訴えかけてくるシーンである事は、フィリアが「人間である」証拠とも言える気がしますね。あそこでちゃんと泣けたのも、フィリアに情が移っていく過程を何てことない日常シーンと共に丁寧に描いてくれたからでした。好きなタイプの"泣き"。
 田中ロミオ先生が脚本を手掛けた作品をプレイするのは、個人的には今年3月の『CROSS†CHANNEL』ぶりでした。"根源的な感情"みたいな、脆くて歪で不完全とも云える部分。この人間性に真摯に向き合った心理描写の数々は、両作品に通ずる処で田中ロミオさんらしいなと感じてました。

 イラストは、"SWAV"先生。個展に足を運ぶ位には元々大ファンだったので、ノベルゲームでステキなイラストを沢山見れて最高でした。映画のワンシーンを思わせるバチッと決まった構図が魅力的な方だったので、本作の世界観とも相性よく、CGが出る度に見惚れてました。衣装や武器などの質感もとても良かったです。一枚選ぶなら海で遊んでる笑顔のフィリアが好き。あと、サントラのジャケットイラストも好きです。

 声優さんは、木村良平さん、指出毬亜さん、郷田ほづみさん、花守ゆみりさん、全員良かったです。木村良平さん演じるジュードは、どっしり太く迫力のある演技が特に好きでした。指出毬亜さん演じるフィリアは、ピュアで感情豊かで、愛くるしさを感じざるを得なかったです。「ジュード」と名前を呼ぶ声が脳内再生余裕な位しっかりと記憶と共に刻まれております。

 音楽は流石Keyと云った処。いつも高いハードルを優に超えてきてくれて好き。Iceさんの楽曲は「White Flower」「Vast Forests」「Shadow of the Almighty」「Almighty」「Maze in the Mist」「Yearning for my F/D」が特に好きです。大橋柊平さんの楽曲「Quietude」も好き。
 そして忘れてはならない名曲。ボロ泣きシーンで流れた「終の祈り」rionosさん…っ!ガチで素晴らしい曲でした。サマポケやさよ朝などでも、涙腺が大変お世話になりましたが、本作でも"泣き"を後押ししてくださいました。大感謝。優しさに溢れてんだよなぁ…ブレスとメロディ特に。

 とゆーことで、感想は以上になります。
改めて制作に関わった全ての方々に感謝申し上げます。ありがとうございました。Keyのノベルゲーム次回作はフルプライスですかね…。サマポケのアニメ化や、ヘブバンの展開も楽しみですが、ノベルゲームをやっぱりイチバン楽しみに待っております!

 ではまた!



©VISUAL ARTS / Key

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