見出し画像

アカシックレコードに幸せの花束を。

先日投稿した記事で、アカシックレコードについて、少し書かせていただきました。
一般にはそれほど定着していない言葉ですが、精神世界に関心のある方には、馴染みの深いものだと思います。

先日の記事を投稿したあと、そのアカシックレコードに興味を持ってくださった方、どうしたらアカシックレコードとつながれるだろう、と感じてくださった方もいらしたようで……それならば、いまわたしにお伝えできることを書いてみようと思いました。

本題に入る前に、アカシックレコードという言葉の概念について、あらためて書き添えます。
これは、宇宙が始まってからのすべての事象──起こった出来事や、知識、記憶など、すべてをひっくるめて保有している膨大なデータのことで、本来、わたしたちはここに自由にアクセスして情報を得ることができるといわれています。
それはちょうど、わたしたちがインターネットから自分の欲しい情報を、「ぽちっ」という指先の動きひとつでダウンロードできることに似ています。

そういう万能な情報ですから、このアカシックレコードにつながって、必要な情報を好きなときにダウンロードできたらいいな……と考えるのは自然なことです。
わたしも、前述の記事で、
「わたしは瞑想を趣味にしていますが、その時間に、アカシックレコードから情報を受けとるのは、わたしにとっては日常的な出来事です。」
と書きましたので、それはいったいどんなふうに?と思われた方もいらしたと思います。

いまのわたしに可能な限り、それを言語化してみたいと思いますが、大前提として、これはあくまでわたしの「つながり方」であるとお伝えさせてください。
山の頂に登るのにいくつものルートがあるように、アカシックレコードにアクセスする方法もひとつではあり得ません。おそらく生命の数だけ、魂の数だけ道がある。ですからひとつの参考に、この記事をお読みくださればと願います。

さて、実はみなさんは誰ひとり例外なく、アカシックレコードに既につながり、生まれてこの方途切れることなく、そこから情報をダウンロードしています。
そうでなければ、勝手に心臓が動き、酸素と二酸化炭素が体内で交換され、全身に張り巡らされた神経から無数の情報が脳に伝えられ、筋肉が伸び縮みし、体温も血圧も安定し、歌うことができて、背伸びをすることもできて、スキップすることも、絵を描くことも、計算することも、人を愛することも、笑うこともできて、自分という存在を、昨日も今日も、おそらく明日も同じように感じることができる……そんなことは起こりません。
わたしたちが、日々あたりまえに生きているということ、それがつまり、わたしたちが日々アカシックレコードにつながっていることの証です。

実はこの「あたりまえ」こそが、最も大事な第一歩です。このことへの圧倒的な実感なくしては、そもそもアカシックレコードを認知することができません。認知できなければ、意識的なアクセスは不可能です。
アカシックレコードは、ずっとわたしたちとともに在った。わたしたちはその恩恵に生かされていた。
それをまざまざと肌で感じられるようになったとき、寸分の疑いなく確信できたとき、そこに感謝が生まれます。そして、その感謝こそが、アカシックレコードに意識的にアクセスする、大切な「道」なのです。

アカシックレコードとつながる道には、必ず双方向に流れるエネルギーが同時に発生します。
わたしからアカシックレコードへ流れる、感謝のエネルギー。
それに応じるように、アカシックレコードから降りてくるわたしへの情報。
双方向に流れる、その美しいエネルギーの道を、わたしは「感謝の道」と呼んでいます。

「感謝の道」は、わたしたちが、大地の恵みを押しいただく、その行為にも似ています。謙虚さを保ち、必要なものを必要な分だけ、心からの感謝をもって受けとる。
それは、例えば地中の資源を過剰に搾取して枯渇させるようなやり方とは対極にあるものだ……と、わたしは肝に銘じています。

ですから、瞑想のとき、「これこれこういうことを教えてください」とアカシックレコードにお願いをすることはありません。
ただ、心を静かにして、世界に向かってありがとうの念を持つ。もっと言えば、わたし自身が「ありがとうそのもの」になった氣持ちで、ただ座る。ありがとうの波がわたしから世界に放出される。
世界がそれを受けとる。それと同時に、わたしに答えを伝えてくれる。

何も質問していないのに、答えというとおかしくきこえるかもしれませんが、受けとった瞬間に、ああ、わたしはこれが知りたかったのだ、と腑に落ちます。
受けとるのは、最近はほとんど「世界の仕組み」──とりわけ、「わたしたちの体がどう世界とつながっているか」に関することです。
例えば、前述の記事「体の中のクリスタル」で著した「体の中の3つの水晶」の話も、そうして降りてきたことのひとつです。
わたしの心からの関心事が、いまそこにあるからなのだと思います。

もう少し前、たしか一年くらい前までは、もっと物理的な体に関する情報を、同じように受けとっていました。
繰り返し起こったパターンとして、瞑想のあと、ふいに体の一部が痛みだす、というのがありました。それまで、なんの異常もない場所だったのに、です。

プロフィールで触れているように、わたしは体に関して、強い関心を持っています。それはいまでもかわりませんが、その頃は、より端的に、体のことばかり考えて過ごしていました。
寝ても覚めても体の仕組みへの関心が頭から離れず、一日中、アプリで筋肉や神経の画像を眺めて過ごしていました。
そういう夢中な氣持ちが、やはり直結するのでしょう。
瞑想のあと、ふいに、「あれ?ここ痛い」となるのです。
痛みがでたら、直感のサポートを受けながら、自分の体を使って解決策を探ります。アプリも、自分の持てるすべての知識も総動員して取り組みます。
そうするうちに、すうっと自分の感覚が研ぎ澄まされ、直感と知識とがひとつの渦をつくって流れ始めます。わたしはその渦に身を包まれます。あるいは、松果体の中に、そういう竜巻みたいな渦が生まれる感じがします。
そして突然、はっとよい方法が「わかります」。

たいてい、痛みを経験したその数日後に、不調を抱えた知人がわたしの目の前に現れました。そして、「ここが痛いんだよね」と、不調の箇所を示すのです。
それはいつも、わたしが瞑想で受けとった痛みと、とてもよく似た不調でした。ですからわたしは、みつけたばかりの解決策を、その人に伝えることができる。
そういうことを、不思議なほどに繰り返した時期がありました。

そのお陰で、独学のみで成立しているわたしの体学なるものは、手前味噌ではありますが、ひととおり筋の通ったものになりました。
いま、わたしの体は、肩こり等含めて、ほぼ不調知らずといえますので、アカシックレコードさまさまです。

さて、体の話が少し長くなりましたが、実はこれにも理由があります。

記事の前半で、アカシックレコードと意識的につながることの第一歩は、アカシックレコードという存在への実感と感謝であるとお伝えしました。
その実感と感謝がご自分の中に満ち足りたら──次のステップは、体を整えることである、とわたしは思っています。
わたしは、と書きましたが、古今東西、ヨガであったり、太極拳であったり、武道であったり……肉体をコントロールすることで精神世界に通じようとする試みは綿々と続いています。

わたしはそれを、「情報の通る道を開放すること」だと解釈しています。
体について学べば学ぶほど、わたしたちの体にどれほどの道が通っているか、という事実に圧倒されます。
血管やリンパ管。神経。食道や腸などの消化管。気管や気管支。筋肉繊維。DNAも、そして経絡も。
これらの道は、お互いに関わりあい、役割を分担しあって、わたしたちの体のすみずみにまで、必要な物質と情報を届けてくれています。

なかでも、背骨は、体を通る最も重要な道のひとつです。全身を網羅する神経はすべて、一旦背骨を経由して情報を運ぶからです。
この背骨が、本来のゆがみのない自然な形を保てると、体はとても楽になります。神経が、歪んだ骨の隙間で圧迫されることも、不自然に引っ張られることもなくなるからです。
そして、この背骨の「波の形」が整うと、わたしたちは自分の情報を、アカシックレコードに届けやすくなります。

背骨の形を、一般にS字カーブと呼びますが、自然な背骨は美しくやさしい波を描いています。
この波を、例えば電波だとイメージしてみてください。するとわたしたちはその波を利用して、自分の情報を天にも地にも発信しやすくなります。

その背骨の整え方を、どう文章でお伝えするか。
アカシックレコードの助けも借りながら、次回以降、書くチャレンジをしてみたいと思っています。

今回は、少し抽象的な情報が多かったかもしれませんが、アカシックレコードへの意識的なアクセスに、実感と感謝の氣持ち、それだけは欠かせませんし、ここを通らずに「つながる」ことだけに拘ると、少々「重たいもの」にアクセスしてしまうこともあるといいます。
世界には、アカシックレコードに限らず、わたしたちに情報を送ってくれるたくさんの存在がいます。
前述の記事と同様、ここでは便宜上、そういう様々な存在を総称する形で、アカシックレコードという言葉を使っていますが、そういう存在の中には、いわゆる「負の感情」に共鳴するものもいるといわれます。
個人的には、負の感情を悪いものだとは思いませんが、天につながる電話をかけているつもりで、地表を漂う「重たいもの」に間違い電話をかけてしまうのは、みなさんの望むところではないだろうと推察します。

ですから、アカシックレコードにつながりたいと感じたなら、どうぞ、あらためて、わたしたちの身のまわりに広がる、生き生きした美しい世界に目を向けてください。堂々と立つ木々や、やさしいお花たち、小さな虫や爬虫類、もちろん身近なペット、そしてともに生きる「人」という存在にも。「ありがとう」の氣持ちを、言葉にして、あるいはみえない波を送って、世界に伝えてみてください。
感謝が持つのは軽い波動です
みなさん自身が軽い波を発していれば、重たい波動と共鳴することは、そうはありません。
ですから、「つながりたい」と感じたら、まず感謝の波でご自分を包んでください。間違い電話をかけないためにも。

そして、道は決して一方通行では存在し得ないことを、最後にもう一度伝えさせてください。
こちらから届けたものは、必ず同等のエネルギーを伴って返ってきます。
感謝には感謝が、不満には不満が。情報を届けたいと思ったなら、相手からも情報が届けられますし、情報を引き出したいと願うなら、相手も自分から情報を引き出します。

アカシックレコードから、自分に必要なものを受けとりたいと願うなら、まずは、ご自分がアカシックレコードに何を贈れるか、を大切にするのが近道です。
今日の一日を美しい花束にして、アカシックレコードに届けよう!
そんな氣持ちで過ごせる日々は、とても軽やかです。


文中でご紹介した、アカシックレコードを取りあげたわたしの記事はこちらです。よろしかったら、今回の記事と合わせてご覧ください。↓↓↓

この記事が参加している募集

宇宙SF

QOLあげてみた

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?