見出し画像

「オフレコ勢」の失望『NOPE ノープ』

まずこの映画を一言で表すと

相川、待ってくれよ。


相川、どうしたんだよ。


なんじゃあぁ!こりゃあぁ!

生き物のようなUFOと主人公たちが戦う話なのだが、内容がはちゃめちゃで、一見、ストーリーだけを追うと出来の悪い娯楽映画の様に見えてしまう。だがそれは違う。実はもっと本質的な問いが示されており、それを紐解いていくと見方が一気に変わっていく作品になっている。監督は『ゲット・アウト』のジョーダン・ピール。主演は『ゲット・アウト』でも主演を果たしたダニエル・カルーヤだ。本作も黒人の視点から描かれた社会派のエンタメ作品になっている。

あらすじ

何者かによる空からの攻撃によって父を亡くした、OJことオーティスジュニアは、家族で経営するヘイウッド・ハリウッド牧場の代表として馬を扱うCM撮影に参加するも、現場をまとめることができず、馬が暴れ出し出演者を後ろ蹴りしてしまうという事態を起こしてしまう。仕事が上手くいかず、ジュピターパークを訪れ、また馬を売りに出すことに。そんなある日、消えた馬のゴーストをきっかけにUFOの存在に気づき、メディアに写真を売り込むため決死の戦いを繰り広げる。


見世物としての存在

映画の冒頭
私はあなたに汚物をかけあなたを辱めあなたを見せ物とする ナホム書 3章6節 と旧約聖書の引用から始まるように、この映画『NOPE ノープ』には、本当の意味での実在を包み隠されて来た人や物がたくさん登場する。例えるならばエンドロールに名前が載らない登場人物だ。物語には出演して映像にもきちっと映っているにも関わらず、個人として(役者としての)存在は名前すら残っていない。要するに、この作品の登場人物なり動物は「オフレコとしての存在」として描かれているということが言えるのではないだろうか。

「オフレコとしての存在」として描かれている劇中の登場人物。

①黒人の馬の調教師 
映画の序盤、CM撮影の安全講習係として遅れてやって来た妹エメラルドのレクチャーシーンで触れられている。世界で初めて作られた動画は馬に乗った黒人のたった2秒間の映像作品で、監督はエドワード・マイブリッジ。馬に乗っていたジョッキーは調教師のバハマ人騎手、アリスターヘイウッドという人物らしいが、エドワード・マイブリッジという人物は検索しても出てくるのだが、騎手の名前は出てこない。まさにオフレコの存在だ。

②チンパンジーのゴーディ
ホームコメディドラマに出演していたチンパンジーのゴーディ。しかし、シーズン2の「ゴーディの誕生日」にてブチギレしてしまいドラマは打ち切りに。そしてそれ以来映画にはチンパンジーが出なくなったとか。

③UFO
今ではほとんどの人がUFOを実際に見たことがなくてもその存在を知識として知っているだろう。しかし、それは見世物としてのUFOであり、公式に存在を認められたものではない。

④ジュープの最初の恋人
ジュピターパークにて星との遭遇体験のイベント会場に来ていた女性。顔には花嫁が被るウエディングベールの様な物が覆われていて素顔が隠れているが、風が吹くと被れた皮膚が露わになる。観客にはそれ以上のことはなにも知らされない。「あぁ、なんか今映った人、顔被れてなかった?」と思うだけだ。まさに観客の見世物になっている。

⑤スコーピオンキング
スコーピオンキングはOJが初めて父親と現場に行ったときに面倒を見た馬。結局はラクダに変えられてしまう。

⑥ヘルメットを被ったバイク乗り
映画の終盤、UFOの噂を聞きつけたTMZの記者が取材に訪れ、スクープを横取りしようとするが、UFOに飲み込まれ、オフレコの存在になってしまう。


なぜそこまでして写真を撮ることにこだわるのか?

ヘイウッド兄妹のほか最終的には、家電店員のエンジェルとカメラマンのホルストの4人でグループを組んで写真撮影に挑戦するのだが、途中、カメラマンのホルストが撮影に成功するも陽の光を見て、また撮影すると言い、UFOに近づいて行き飲み込まれてしまう。皮肉にもUFOを記録したホルスト自体がオフレコになってしまう。なんのためにここまで犠牲を払い写真を撮ることにこだわり続けるのか。それは率直に言って「記録に残すため」だろう。もちろん金銭的な目的もあるのだろうが、消してお金にかえることができない、UFOを撮影した人物として、後世の歴史に自分たちを残すためなのではないだろうか。

記録に残るのか、記憶に残るのか。

今ではSNSや動画配信など、誰でも簡単に情報発信できるようになった。しかしその一方で、多くの人が認知の対象から外れていることは、間違いない。言うまでもなく筆者を含む多くのnoteユーザーもその内に含まれるだろう。こういった「オフレコ勢」としての虚しさや、悲しさから救うのが、記憶としての価値になってくるのだろう。この映画ではそのことにも触れている。劇中、兄のOJは妹のエメラルドに2回あるジェスチャーを送っている。1回目は初めての馬、ジージャンを取られ、自分の存在が無視されていると感じた時、窓から送っている。2回目はUFOに食われそうになった時だ。「オフレコになっても俺がしっかり見ているよ。」決してどちらに優劣があるというわけではなく、どちらも大切な事だということをOJは伝えようとしていたのではないだろうか。

この記事が参加している募集

おすすめ名作映画

映画感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?