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エストニアで暮らして半年が経ちました


カレンダーを見るとエストニアに到着したのは去年11月の7日だった。このnoteを書いている時点では、ちょうど6ヶ月と少し経っていることになる。

先日、先んじて海外就職をした友人が書いたブログに触発されたので、自分も何をしてきたかをまとめて、振り返って所感を書いていこうと思う。

この半年していたこと

仕事を見つけるまで
去年の10月、仕事を辞めたその週末に日本を発った。
エストニアに着く前は1ヶ月ほど色んな国で遊んだり最近会っていない友達に会ったりしていた。

フランスで食べた牡蠣はとても美味しかった

到着後は、1ヶ月程を期限にして、その間受けたオファーの中で一番良いところに行く予定で就活を始めた。
思っていたよりも感触が良かったので、もう1ヶ月就職活動を続けた。そこで非常にいいオファーをくれた今勤めている会社で働く事にした。

試用期間
会社はとても労働条件が良かった。給与や福利厚生はもちろんだが、加えて使われている技術も自分にとって最も専門性が高いものだった。成果を出せば出すほど自分のキャリアにとってもプラスになる環境だった。

何より、今までで最も大きい権限とクリエイティビティを発揮できる場があり、とにかく仕事そのものが楽しかったので、試用期間の4ヶ月間はとにかく仕事に打ち込んだ。
「レイオフされたらビザが無くなりこの国から出ざるを得なくなる」という状況がより一層仕事に自分を向かわせていたようにも思う。

Youtubeでおすすめのプレイリストを選んでるとき (仕事はしてない)


試用期間の最期〜現在
安請け合いはしない、納期は必ず守るといったことを絶やさず行い、成果も積もってチームに貢献してると自信がついてきた。
少なくともレイオフされることはないだろうと安心は出来ていたので、試用期間が終わる直前にタイで1週間ひたすら友達と遊んだり日本食を食べたりしていた。
(タイは日本食が豊富にあって最高だった。ドン・キホーテの惣菜コーナーは日本のスーパーそのものだった😋)

その後無事試用期間はパスした。
同時期に、これまでずっと挑戦したいと思っていたフロントエンド開発を重点的に行うチャンスを得た。
今はその仕事に毎日楽しく打ち込んでいる。

タイで見た暁の寺はすごく綺麗だった

予想外だったこと

ふとしたきっかけで自分のチームと他チームとの間のコミュニケーションを改善する役回りになった。
実務としては、現状のコミュニケーションの不具合の原因をまとめ、APIの仕様やデザインにおける意思決定のステークホルダーを明確化し、変更があって共有が必要になった際は何をどこまでするべきなのかといったルールを決め、ドキュメントを整理した。

コーディングのみに集中したいところではあったが、後にアーキテクトになって仕事をしたいと思っているので、この経験が積めたのはありがたかった。

つらかったこと

異国の地で独りだったので常に孤独感はあったが、忙しさのせいで  (おかげで、とも言えるかもしれない) つらいとまで感じる瞬間はあまりなかったように思う。
現地に着いて仕事を探しはじめてから試用期間が終わるまでの間は、人生で最もチャレンジングでかつ最もエキサイティングな期間だった。常に脳にアドレナリンがみなぎっているような感覚だったので、興奮以外の感情があまり起こらないようになっていたんじゃないかと振り返って思う。

時折パーティに誘ってくれたり遊びに付き合ってくれた友人たちのお陰でもあった

むしろ一番精神的に負荷がかかったのは、試用期間が終わる前後だったかもしれない。大きなチャレンジが終わり、次に何をすればいいか思い浮かばずなんだか心にポッカリ穴が空いたような気分になっていた。
どうやら、海外に住んだ経験が無いということは自分の中である種コンプレックスの根本であったようで、それが解消されてしまって「自分はこれからなんのために生きればいいんだろう?」と今までにない苦しさを味わった。当時していた友人とのLINEなんかを見ても、あんまり精神状態がよろしくなかったんだなという感じがする。

今は結構落ち着いて、次のチャレンジは何にしようかというのを漠然と考え始められるようになってきている。

出国前との心境の変化

技術者としてキャリアを深めたくなった
それまではあまり固まっていなかったが、今になって明確に「これからも技術者としてビジネス要件を達成していく仕事がしたい」と考えるようになった。言い換えると、現場を離れずにコードを書いたり技術選定の意思決定に携わり続けたい。
今はWebフロントエンド開発が面白いのでプログラマーの一人としてそこに集中しているが、数年後にはアーキテクトにチャレンジしてみたいと思っている。

大きな目標だった海外移住を、手段と思うようになった
今回初めて外国に住んだ。「そもそも日本の外で自分は生きていけるのか?」という所はそれまでずっと疑問だった。
今回自分でイチから生活環境を整えた中で、問題なく過ごすのに必要な最低限の要素が大体把握できた。それら条件が満たせていれば国が変わっても大丈夫だと思えるようになったので、自分が住む国を変えるということに対するハードルはかなり低くなったように思う。

自分一人でやっていく分には、いい環境が得られるのなら別に住む国はどこでも構わないと思うようになったとも言えるかもしれない。
以前は外国、つまり日本以外に住むことが自分にとって非常に大事だったが、目的に沿うなら住む場所は日本を含めどこでも、ベストな場所が選べるのであればそこに住むようにすればいい、と思うようになった。

人生のフェーズが進んだ気がする
海外に住むことは長い間人生の大きな目標だった。また可能であれば、自分の好きなことで充分な収入を得続けられるようにも出来たらいいなと思っていた。
今回の移住で上記の2つが満たされて、自分の人生のフェーズが一つ進んだように感じている。

それまでは「これをするまでは死ねない・安心できない」といった事をがむしゃらに追いかけて自分の好きにやっていたが、それなりに余裕ができたので今後は誰かのために何かをしていきたいと思うようになった。
教育事業に携わって世の中を良くするために頑張ったり、今は全く予定は無いが、誰かが望んでくれるような事があれば結婚をして子供を育てたりしてみたい。


暗くて寒いエストニアの冬が過ぎ、日がとても長い春がやってきた。
太陽が沈まないせいで眠りにつきづらく最近は夜型になってきてしまっているが、健康には気を配りつつこれからの季節を楽しんでいきたいなと思う。