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069武士道は損得勘定を取らない

新田が開発され尽くされてしまうと、やがて税収は頭打ちになってきます。しかし、いったんバブル化した財政は縮小しません。各藩では参勤交代や江戸屋敷での生活を維持するための出費がしだいに負担になり、幕府からの街道整備や河川改修などの土木工事への普請要請なども増えて、財政を圧迫していきます。
藩財政を運営するために有能な会計・財政担当者が求められるのですが、課題に応えられる優秀な勘定奉行は、家制度の上にあぐらをかいて、時間を無為に過ごしてきた高禄武士階級の中にはいません。
なによりも、新渡戸稲造が『武士道』(④岩波文庫)に書いたように、
 
「武士道には経済的ということがまったく欠けていた」
「武士道は非経済的である。貧困を誇る」
 
であり、成り行きとして、
 
「武士道は損得勘定をとらない。むしろ足らざることを誇りにする。武士道にあっては・・・
武人の徳とされている功名心は、汚れをまとった利益よりもむしろ損失をえらぶ」
(⑤「武士道」新渡戸稲造著、奈良本辰也訳・解説 三笠書房)
 
という精神が、勘定・計算という作業をいやしいものとして武士たちに忌避させてきたからです。
その結果、藩の財政を私物化しないという潔癖さは保証されたものの、財政を経営という視点で効率的に運営するという働きは期待できません。
一般の庶民を対象にした手習い所、寺子屋では「読み、書き、そろばん」を教えましたが、武士の教育に当たっては、「読み」「書き」は教えても「そろばん」を教えることはありませんでした。教養は、もっぱら四書(論語、大学、中庸、孟子)、五経(易経、書経、詩経、礼記、春秋)の素読と議論をたたかわすことで行われ、一貫して理財の道をいやしいものとして避けてきたのです。
その結果が、藩財政においても勘定意識の欠落につながります。
本来、幕府の金庫番を担当する勘定奉行は、德川家の家臣である旗本の重要な役職とされていましたから、家格の高い者が担当してきましたが(図7-1)、お目見え格の家臣は主君に近いだけに主君の言いなり、計算ができないうえに、細かなコスト意識は皆無ですから、緊縮財政・利殖・蓄財などというセンスは全くありません。
 
図7-1幕府勘定所の職階と基準役職高

(「武士道と日本型能力主義」笠谷和比古 新潮選書)

 
為政者として、自己を理財の道から遠ざけるという高潔さは、正しい政治を行うという面では重要な役割を果たしますが、それが行政という点で藩の運営においても財務会計を緻密に行うことから眼を背けるようになれば、行く末は明らかです。
高潔な者=武士が財政を担当するというのはある意味まっとうな考えなのですが、逆に利殖、蓄財という面では課題が残ります。計算が苦手で金銭・損得という面で高潔であることのプラスとマイナスの両面を見るようです。
戦国時代が終わって江戸幕府が成立して戦がなくなり社会が落ち着きます。各藩でも諸制度が整えられ、知行地内でさまざまな事業も行われ、行政的には収入と支出をしっかりと把握し、管理することが必要になってくるというのは当たり前の道理です。行政を担っている武士が財政から目を背けて、ではいったい誰が藩の財政のかじ取りをするのか。時代が進むにつれて各藩も苦悩することになり、藩の財政は次第に逼迫するようになってきます。
当時、ほとんどの藩が、幕府の図7-1ご紹介したような家格と役職の「家」制度を採用していました。
各役職に就く条件を、禄高を基準石高として設定し、その禄高を保有する身分の家臣だけがその役職に就くことができるとしていたのです。有能であっても、出身の家にその格式がなければ、役職に就けることはできません。
本来、金庫番を担当する勘定奉行は重要な役職とされていましたから、家格の高い家の者が担当してきましたが、数字がからきしダメなうえに、コスト意識がありません。

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