見出し画像

大瓦徹次郎の事件簿④ 春の恋バナ


 その幻想的な女性の名は谷川真波といった。

 私は高校を卒業した後どこにも就職しないで暫くぶらぶらして暮らしていた。
全くの無気力で将来の希望などもなく、ただ人間は何のために生きているんだろう?などとという青臭いことばかり考えながら生きていた。おそらく誰もが経験することかもしれないが。
ただなんとなく探偵みたいなことをしたいなと漠然と考えていた。
働いて社会の厳しさを知らないの青二才の夢想である。


 ある時私は人間の市をうろつきながら探偵修行と称して人間観察を行っていた。
そしてビルとビルを間のスペースにテーブルと椅子を置いてベールを被った若い女が水晶玉の前で座っているのを見つけた。
その若い占い師を見たときなぜか時空が歪んだような奇妙な感覚がした。
ようく見ると色の白い目鼻立ちの整った美しい女性だった。
立て札には各種占い承りますと書かれていた。
私は馬鹿馬鹿しくもあったが好奇心が勝り、なけなしの五千円を渡して占って貰うことにした。
「すいません。占って貰えませんか」
「ええ。それでは手相を見せて貰います」
暫く私の手のひらを見てから占い師は言った。
「貴方は今無職ですね?」
「はい」
私の格好を見ればそれぐらいの見当はつくだろう。
「貴方は探偵になりたいと思ってますね」
おや、と思った。何かヒントがあっただろうか?
「まあなんとなくそんなことを考えてはいましたが。なぜ分かったんですか?」
「私には未来が見えるんですよ」
「本当ですか?その占いによって?」
「いえ違います。私は占い師ではありません。ずっとここで貴方が来るのを待っていたのです」
やはりそうか、と思った。水晶があるのに手相を見たりなんだか格好もコスプレめいている。それになんだか若すぎる。
でも私を待っていたというのはなぜだろう?
「それは一体どういうことなんです?」
「いいですか。説明しましょう。私たちの目に見える世界は整然と過去から未来へ時間が流れているように見えます。しかし物質の最小単位である素粒子の世界は違います。過去と未来が重なりあっているのです。不確定性原理は知ってますか?」
ちょうど量子力学の本を図書館で借りて読んでいたので大体知っていた。
「たしか素粒子の位置と運動量は確率でしか表せない、でしたっけ?」
「そうすべては確率的。ですが素粒子の運動を観察していると偏った数値が現れることがあります」
私はなぜ占い師とこんな話しているのだろう。
いや偽の占い師だっけ。
「それはどういうことなんです?」
「過去や未来の出来事が現在の素粒子の運動に影響を与えるからです。つまり量子の世界では過去も未来も現在と重なりあって存在しているのです」
「なんとなく解ります。量子の奇妙な振る舞いについては本で読んだことがあります」
「過去も未来も不変ではなく相互作用して揺らめいています。我々の知らない間に教科書の内容も書き換っているかもしれない…」
「にわかには信じられない話ですね。貴方は一体何者なんです?」
「私は未来の私が過去へ滲み出した幻影です。過去と未来は密接に相互作用してますから」
「じゃ今こうやって話している貴女は幻影なのですか?」
「ええそうよ」
なぜか私はこの女性に急に親しみを感じ始めた。
まるで百年の知己を得たかのように。
この女性となら何でも話せそうな気がした。
「未来の貴方が起こした行動によって過去が書き換えられようとしています」
「一体どういうことですか?」
「貴方の思考パターンにはいくつか特異な点が認められます。未来で私は貴方に注目しある仕事を依頼しました。その結果貴方はある秘密を解き明かし、その影響で過去の一部が改変されました。私もその影響で貴方と話しているのです」
「未来の私は探偵になって貴女の依頼を受けている?まるでSFですね」
「ええ。しかし科学の急速な発展はかつてSFと呼ばれたことを次々と実現して来ました」
たしかに…百年前の人間から見れば今の世界はSFかもしれない…しかし、本当にこんなことが起こり得るのだろうか?
未来の人間と対話してるなんて。
彼女は少し頬を赤らめうつむいて言った。
「大瓦徹次郎さん…。未来で私は貴方のパートナーとなります」
「…それは…光栄ですね」
それが谷川真波との運命的な出会いだった。
その瞬間茫洋たる私の人生が一つの方向に向かって動き始めたような気がした。
きっと彼女は私の知らない世界の秘密を知っているのだろう。


 気がつくとビルとビルのスペースには机もテーブルも無くなっていた。さっきまで話していた彼女の姿はどこにも見当たらなかった。
谷川真波…そういえばなぜ彼女の名前を知っているのだろうか?これも未来の影響だろうか。
パートナーと言ったとき彼女は頬を赤らめていたようだった。だとすれば恋人という意味だろうか?
本当に彼女と未来でまた出会えるのであれば……人生捨てたものではないのかもしれない。

「何のために生きているのか?」
私はその答えを掴んだような気がした。
空には一番星が輝き始めていた。



この記事が参加している募集

新生活をたのしく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?