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二人の転校生 音楽祭の夕べ 【春弦サビ小説】


 県立能戸高校は辺鄙な漁師町に一つしかない高校で、漁船の停泊する湾を見下ろす高台にあり、西側には低い山々が連なっている風光明媚な場所にあった。
 僕が転校したのは二年生になったばかりの4月で、陽に焼けてなまりの強い同級生たちとは中々打ち解けずにいた。
 僕は内気な性格なので、自分から同級生に話しかけることは滅多になかった。そんな都会から来た愛想のない僕を、みんなは敬遠して近付かないように思われた。
 けれども下駄箱に2、3回ラブレターが置かれていたことがあった。名前が書かれていないのでただの悪戯かもしれないけど。
 そんな僕は、幼い頃から両親の影響でクラシックピアノを弾いていたため、この学校でもすぐに音楽部に入った。他の部員はみなブラスバンド部と軽音楽部に所属していたため、音楽室にあるピアノは僕一人で自由に弾くことができた。
 音楽室は三階の東側奥の突き当たりにある。
 窓からは遠く太平洋が一望できた。
 一応将来の夢は、ピアニストかシンガーソングライターということにしていたけど、それとてぼんやりとした夢のようなもので、シャカリキに練習してコンクールを目指したことは一度もない。
 ただピアノを弾くのが楽しくて、気まぐれに作ったメロディに歌詞を付けて遊んでいた。
 あるとき練習を見にきた顧問の相田冬二先生に「小見泉(こみせ)くん。きみ中々ええ腕しとるようやから、5月の連休中に開かれる4校合同音楽祭に個人でエントリーしたらどうや?」
と言われた。かなり迷ったがせっかくの機会だし参加することにした。合併した隣街にある市民ホールに、近隣4つの高校の音楽関連の部が集まって合同演奏を披露する。
 昼の部と夜の部に分かれている大掛かりなイベントだ。
うちの高校からはブラスバンド部と軽音楽部がエントリーするが、音楽部からは僕個人でピアノの演奏を披露することになった。
「本格的にピアノを弾くやつはあまりおらんからえらい盛り上がるで。音楽室は好きに使ったらええ」
度の強い眼鏡をかけた関西出身というこの初老の教師は、昔ピアニストを目指したことがあるらしい。
「しかし相田先生。僕一人音楽室を占有したら、ブラスバンド部と軽音部の人がよく思わないんじゃないでしょうか?」
「かまへんかまへん。他の連中は一階の空き教室を使っとるけん気ぃ遣かわんときばりぃや。まあうちの学校には、グランドピアノを弾きこなすもんがおらんっちゅうことやな」
そう言って僕の肩を叩くのだった。
 さすがにこれはちゃんとやらなきゃいけないと思い、それから毎日放課後、下校時間ギリギリまで音楽室でピアノの練習をした。
 相田先生からは、得意のドビュッシーのベルガマスク組曲を弾いてはどうかと言われたが、せっかくの音楽祭だしたくさん作った自作の中から、気に入ったものを弾き語りしてみようと思った。
 本当はピアノにあまりよくないのだが、たまに窓を開けると、潮風と裏山から吹き下りてくる若葉の薫りが混ざり合い、とても気持ち良かった。
 そうやって練習に励んでいるうちは、孤独の寂しさを忘れることができた。


 ある日いつものように弾き語りの練習して、辺りが暗くなってきたのでそろそろ切り上げて帰ろうとした時だった。
 ふと背後に人の気配がしてゾクリとした。
振り向くとそこには、青白くて目鼻立ちの整ったひょろ長い美少年がいた。ポケットに手を入れたまま、背後の壁にもたれ掛かってうつむいている。
 こんな生徒は見たことがない。
彼は呆気にとられている僕に気づくとパチパチと拍手をした。
「歌はいいね。歌は心を潤してくれる。そう思わないか?小見泉真治くん」
「き、きみは……?」
「僕は凪沢薫。きみと同じ転校生さ」
「そう……なんだ。知らなかったよ。きみもピアノの弾くの?」
「うん、僕も音楽部に入ろうと思ってね。ここの連中はみなブラスバンドと軽音しかやってないから、ピアノは使い放題と聞いたからさ」
「ああそうだよ。音楽部は実質僕一人さ。……ようこそ凪沢薫くん」
そう言って僕は近づいてきた彼と固い握手を交わした。
「きみとは友達になれそうな気がする。僕はピアノの他にギターも弾くけど、よかったらきみのピアノとセッションしてみない?」
そう言って薫くんは太陽のように笑った。
 そのときずっと孤独だった僕の心に、甘やかな一陣の風が吹き抜けていったような気がした。
 そして彼と一緒にセッション出来るということに、予感めいたときめきを覚えた。
後から考えるとそれは「恋」に近い感情だったのかもしれない。
 

 それから放課後、毎日のように二人でピアノとギターの練習をした。
 いくつかある自作曲の中から、どれを音楽祭にエントリーするか迷ったので、気に入ったものをいくつか選んで薫くんに聴いて貰った。
すると薫くんは「春は希望」が春らしくていいねと言ってくれたので、この曲でエントリーすることにした。
 この曲は僕が幼いころ、両親と電車に乗って公園へ花見に行ったことを書いたものだ。
 僕は「春は希望」を歌おうと思うのだが、元々相田先生は僕にドビュッシーのベルガマスク組曲を弾いて欲しかったのだ。
 その先生の頼みを断って自作を弾くことに、ちょっとしたためらいを感じたので、そのことを薫くんに話した。
「なんだ。そういうことなら僕が弾いてやってもいいよ」
「え?薫くんベルガマスク組曲弾けるの?」
「ああ僕もドビュッシーは好きでよく弾くからね。というかこれが弾きたくてクラシックピアノを習ったようなもんさ」
「そっか、僕と同じだね」
「どうせ弾くなら一番有名な月の光にしようか」
「うん」
「じゃあ弾いてみるね」
たまたま、そうまったくの偶然だったのだが、その日はちょうど満月の日で、放課後辺りが暗くなった音楽室に、窓から月の光が射し込みはじめていた。下校時間は過ぎてしまったけど相田先生に言えば問題ないだろう。
 そして彼は「月の光」を弾きはじめた。
……清冽はアルペジオに乗って、雲間から射し込む月の光が徐々に輝きを増してゆく……それは今まで聴いたどんな月の光よりも深い感動を僕に与えた。
 僕の弾く月の光や、CDで聴く他のピアニストの演奏よりもテンポがやや早く、若さと儚さを表しているようだった。
その一音一音には深い感情と意味が込められているように思えた。
 窓辺から射す月光を反射して、ぼんやり浮かび上がった薫くんの白い横顔は、この世の者とは思えないほど美しかった。
彼は……ひょっとしたら本当にこの世の者ではないのかもしれない……でも、だとしても僕だけは彼の友達でいよう。





 薫くんとは練習が終わった後、一緒に帰宅するようになった。
彼の家は町の南端にあり、駅から電車で帰っている。
 僕は通学路から少し逸れているが、学校から駅まで30分ほどの海沿いの道を、彼と話しながら帰るのが楽しみになった。
 遠く漁船の明かりが灯りはじめた海を見ながら、音楽や人生について語り合った。
 彼はクラシック音楽についてとても深い知識を持っていて、熱っぽく話してくれた。
 僕もクラシック音楽が好きだったので話が合った。シューベルトの孤独やシューマンの憂鬱。シューマンとクララとブラームスの三角関係などについて。
 あるとき彼は、シューベルトの「冬の旅」のように、いつか一人で当てもない旅をしてみたいと語った。
 僕も「冬の旅」は父がCDを持っていたので聴いたことがあるが、なんだかとても暗いイメージの曲だった気がする。
彼はシューベルトにとてもシンパシーを感じているようだ。
 たしかに僕も明朗で愉しげなモーツァルトやイタリアの作曲家に較べて、シューベルトの暗さは日本人に合っているような気がした。
 そういえば有名な歌曲「菩提樹」も「冬の旅」の連作歌曲集の中の一曲だ。
そのことを薫くんに言うと「ああ、あの歌はいいね。今度の音楽祭では『月の光』の後に『菩提樹』を歌おう」と言った。
 薫くんがリートを歌うと聞いて、その音楽の素養の豊かさに軽い嫉妬すら覚えた。ピアノの腕前だってプロ級だというのに……。よほどの英才教育を受けてきたのだろうか。
 彼は音楽だの人生についてはあんなに熱っぽく語るのに、なぜか自分のことについてはあまり多くを語らなかった。
 ただ親の転勤でしょっちゅう転校してること。そのミステリアスな容貌と雰囲気のせいか女子からラブレターを貰うことはあるけど、男子からは敬遠されること。
 僕と同じで友達がいないこと。つまり彼にとっては僕が唯一の友達のようだった。
それを聞いて僕は、百年の知己を得たようにうれしかった。今まで、クラシック音楽の話をした人なんて一人もいなかったからだ。
 僕はつい彼に悩みを打ち明けてしまった。こんな内向的な性格だから、いつも他人との間に葛藤を感じてしまう。このままでは将来ちゃんと生きていけるか不安だと。
 そしたら彼は言ってくれたのだ。
「真治くん……。きみはこの先何があっても大丈夫。そのままのきみでいいんだ。……きっとうまくいくよ」と。
その予言めいた言葉は僕の胸を温めてくれた。



 その日僕は家に帰ってから、CDがぎっしり詰まっている父の棚をほじくり返した。
 やっと見つけたアルバム「冬の旅」の解説文にはこう書かれていた。
歌曲集「冬の旅」は、恋に敗れ、一人で荒野を旅をする若者の心の風景を描いた作品……と書いてあった。 作詞はドイツの詩人ミュラーで、全部で24曲からなる。 第1曲は「おやすみ」。 この曲は、恋人に別れも告げず、街を出ていく決意を歌っている。
 僕は隣町の駅前通りの楽器店で「冬の旅」の楽譜を買い、それから「菩提樹」だけを何度も練習した。
 放課後、楽譜を見ながらたどたどしく弾く僕の伴奏に合わせて、薫くんは「菩提樹」を歌った。
彼はとても深みのある端正なバリトンで歌い、僕に深い感動を与えた。
 いつも話している優しげな声とはまるで別人のようだった。
彼の歌声なら本当に声楽家になれるかもしれない。僕の拙い歌声とは全然レベルが違った。
 当初「冬の旅」だから彼が先に歌い僕が「春の希望」を歌う予定だったが、これは逆のほうがいいと思い順番を入れ替えた。
つまり最初薫くんの「月の光」僕と薫くんの「春と希望」のセッション、そして最後に僕の伴奏で薫くんが歌う「菩提樹」でエントリーすることに決めた。
 そのことを相田先生に報告したら「なんやええ選曲やな。凪沢くんのピアノもプロ並みやさかい絶対受けるで」と太鼓判を押してくれた。


 そして本番当日、僕らは4校の中でも一番最後の出番だったけど、その中でも軽音とブラスバンドの後だったので、文字通りトリを務めることになった。
 最初に薫くんの弾いた「月の光」に会場は静寂に包まれた。
みな息を飲むかのように咳払い一つしない。その叙情的な演奏が終わっても、しばらくその余韻に浸っているのように静まりかえっていた。
 やがて一人二人とまばらに拍手が起こると、それに釣られて拍手が湧き起こり、割れんばかりの万雷の拍手へと変わっていった。
 僕はとても誇らしかった。みんなが薫くんのピアノを聴いてくれたことに。
 そして僕の出番……。緊張して少し声が上ずったけど、薫くんのギターに励まされて、なんとか最後まで歌いきることが出来た。
畏れ多いことにみんな拍手喝采してくれた。
 そして最後に薫くんの「菩提樹」。
 完璧なドイツ語の抑制の効いた端正なバリトンに聴衆は酔いしれているようだった。
 歌い終わった後、いつまでも拍手が鳴り止まず、立ち上がってスタンディングオベーションする人や、ブラボーと言う人もいた。
 薫くんと二人で手を繋ぎ聴衆に向かってお辞儀するとき、目の前の席に座る老夫婦が涙を流しているのが見えた。
後で聞いたらこんなに盛り上がった音楽祭はかつてないことだという。



 あの夢のような音楽祭の夕べから2週間過ぎたころ、薫くんに突然転校すると言われた。
 今度は遥か関西の学校へ転校するらしい。残念なことに彼は携帯を持っていなかったので彼の家の電話番号を聞いた。
 彼が転校してから一ヶ月ほど経ったとき、物寂しくなった僕は思いきってその番号に電話してみたが、どういう訳か繋がらなかった。
 それならばと、教えられた引越先に手紙を書いて送ったけれど、宛先不明で送り返されてしまった。
それきり彼とは音信不通になってしまったのだ。


 大人になった僕は、本当にシンガーソングライターになってしまった。まだ無名で兼業だけど。
 あれから7年の歳月が過ぎていったけどまだ彼とは会っていない。
時々あの出来事は全部夢だったんじゃないかと思うときがある。
でもたしかに彼は別れ際、不覚にも涙ぐんだ僕に向かって言ってくれたのだ。
「そんな顔しないで、真治くん……きっとまた会えるよ」と。

 だから僕は今でも彼にまた会えると信じている。


※森真沙子の転校生(角川ホラー文庫)と新世紀エヴァンゲリオンのパロディです。(一部セリフを引用しました)


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