見出し画像

半世紀前から普通の人生に挑戦して、普通のおばあちゃんになった車椅子ユーザーの物語⑪

ぶりの照り焼き、いなだ?

とりあえず、お買い物
昭和55年(1980年)
ネットスーパーもAmazonもありませんでしたが、
団地のすぐ裏手にはお肉屋さんとお米屋さんがあり、
少し先のバス通りには小さな商店街もありました。
お肉屋さんは車椅子でも行ける距離だったので、
夕方帰宅してからポテトサラダやコロッケ、
生姜焼き用の豚肉や合いびき肉などを買い夕食に間に合わせ、
お米屋さんはすぐ近くですが配達して頂けたので、
ついでにプラッシーとか、ネクターとかの飲み物や、
冬には暖房用の灯油もお願いできてとてもたすかりました。

バス通りの商店街では、お魚屋さんと八百屋さん
初めてのお使いはちょっとドキドキしながら、
車を店先につけて
「すみませ~ん」
お店の方が怪訝そうにこちらを見ます
私、おもいっきりの笑顔で手招きをします。
「すみません、車いすで降りられないんですけど、じゃがいもと玉ねぎとにんじんが欲しいんです」
「車までもってきていただけませか?」
八百屋さんのお兄ちゃんは、
「あ~、はいはい、ちょっと待ってね~」
と、
「どれがいい?」
「あ、なんでもいいです適当にお願いします」
じゃがいもと玉ねぎとにんじんを袋に入れて車まで届けてくださいました。
「はい、000円ね」
お金を支払って
「どうもありがとうございました」
「ありがとね~」
「また、いつでもいってね~」
 
そんな調子で、ある日のお魚屋さんでのことです、
夫が「ぶりの照り焼きが食べたい」と言っていたので
いつもの通りお魚屋さんの店先に車を停めると
お魚屋のおじさんが気がついて
「今日はなんにする?」
と近づいてきてくれます
「ブリください!」
おじさんはちょっと困ったように
「今ブリないんだけど、イナダならあるよ」
「イナダ?」
「ブリの照り焼き作りたいんですけど」
「じゃあ、イナダの切り身でいいね」

イナダじゃなくてブリなんだけど~
と思いながら
まあいいやと買って帰り、職場の栄養士さんに教えて頂いた通り
フライパンでイナダの照り焼きを作り、夕食に出しました。
「うまい!」
(ふふん、聡明な女は料理がうまい。と自画自賛)
イナダとブリは同じ魚で、大きさとかで呼び名が変わるそうです。
そんなことも初めて知りました。
 
こうして、どうにかこうにか毎日の夕食作りというミッションを果たしていました。
そうそう、お肉屋さんのそばには「ことぶき食堂」という大衆食堂もあって
よく出前をお願いして、お世話になっていました。美味しかったですよ。
麻婆豆腐丼とか
 
夕方、毎日のように実家の電話が鳴っていました。
「あ、〇子だな」
と母
「もしもし~」
「あ、ママ?」
「ねぇ、お味噌汁ってどうやって作るの?」
「先にお湯沸かすの?」
「お味噌はいつ入れるの?」
「きゅうりって洗うの?」
「生姜焼きの味付けってなに?」
毎日こんな調子でした
母はひとつひとつ教えてくれましたが、結婚する前に習っておけばよかったなあ
と、つくづく何もしたことがなかったと思うのでした。
 
お掃除も、特に水回りの掃除など考えてもいませんでした。
お風呂は夫の担当だったのですが、台所は私です。ガス台の油汚れやら、
流し台の水垢やら、カビっぽいものやら
掃除をしなければ汚れていく一方です。
「いつの間にかきれいになっている!」
なんていうことはありませんでした。
たま~に母が来たときに見かねて…ということはありましたが
 
極めつけは、
あの、汲み取り式の和式トイレです。
まあ、ここは想像にお任せします。
あまりにもいろいろショッキングで言葉にできません。
あしからず。

家事初心者、先が思いやられます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?