考古学の公共性~地域とメディア~

少し前の記事になるようだが、非常に興味深い内容だった。

今回の事例について、記事の内容を踏まえた所見をまとめておくことにする。(厳密な現状整理でも、分析でもないことをはじめに断っておく。)

1.文化財行政と地域開発

 日本の埋蔵文化財行政を取り巻く現状は、芳しいものであるとは言えない。市の方針や予算によって文化財技師の雇用が難しく、各地の文化財センターなど各種施設の維持費も削減されている。これは、埋蔵文化財行政に限ったことではない。全国の博物館や美術館の運営·維持においても同様の状況にあり、教育·文化·芸術を取り巻く困難な現状は明らかだ。

 そうした状況にありながら、地域経済開発と埋蔵文化財行政の関係は切り離せない。日本中にブームを巻き起こした佐賀県の吉野ヶ里遺跡も、当初は大規模商業施設の開発を企図していた。市民の多くが地域経済の復興を夢に見ていたし、実際に現場で発掘作業に従事した地元の方々もいた。そうした状況下で、何度も市民に説明責任を果たし、遺跡の保存·活用が実現したのである。

 しかし、この事例は、珍しい事例なのであって大半の遺跡が開発によって喪失されることを免れない。埋蔵文化財は地域の土地に根差した不動の遺産であり、本来「その場所にある」ということに大きな意義がある。一度失われた場所は二度と戻ることはできないのである。

 一方、遺産を保存するということはその土地での人々の生活、ないし時代観を固定化し、変化することを妨げる危険性も孕んでいる。それを多くの文化財行政、否、文化財に親しむ人々も理解している。だから、調査区域が狭められ、予算は少なく、工期が前倒しになろうと最大限の質で調査に臨むのである。

2.考古学とメディア

 著名な日本の考古学者であった故·佐原真氏が各種メディアの取材に対し、現場に脚を運びもしないで遺跡の重要性を議論することに苦言を呈したという話を思い出す。

 発掘調査の現場は、掘り出し物を発見するということ以上の知恵を与えてくれるものだ。周辺の自然環境や、地域住民の生活、作業員·調査員を通じた刺激的な交流などがある。そこに足を踏み入れて初めて得られる知恵があるのだ。

 だが、考古学研究において発掘調査はあくまで氷山の一角に過ぎない。調査·記録方法それ自体への検討や発掘資料の長年に渡る整理と分析が蓄積される一連の過程を含んでいる。ここが抜け落ちた考古学は、最早学問としての存在意義を失ったトレジャーハントであり、破壊だ。

 今回のメディアが取り上げた問題は、氷山の一角であるだけでなく、多分な誤解をも煽動する可能性があった。もちろん、メディアによる発信が多大な恩恵をもたらすことは事実である。だが、現場で調査にあたった調査員·作業員への慎重さに欠ける取材や、市民を味方に付けるような正義の煽動は、埋蔵文化財行政の現状認識を歪めてしまう。

 嘗て旧石器捏造事件において、メディアはゴッドハンドと称して一人の考古学者を祀り上げた。「すごいものが出た」と散々煽った挙げ句、そこに再検討や批判の声を挙げた当時の学者達の声は黙殺されていた。多くの考古学者達が、学問的な方法論の吟味や批判を怠ったことは、紛れもなく反省に値するものがある。未だに贖罪を続け、この事件を風化させない人達がいる。

 富雄丸山古墳の蛇行剣·鼉龍文盾形銅鏡や吉野ヶ里遺跡の石棺墓など昨今の目覚ましい発掘調査成果が大々的にメディアで話題になっている。だが、メディアが大仰に市民に掘り出し物というサーカスを提供するだけの状況になってしまわないことを願う。本当に大切なのは、物それ自体に限らない。

 発見された他の遺物、層位や遺構、緩衝地帯の他の遺跡分布や土地利用の歴史的変遷等々、取り上げることは山程ある。ここにこそ考古学の面白さが凝縮されているのだから、刹那的なムーブメントだけでは勿体無いではないか。


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