見出し画像

望まない新たな世界へ

こんばんは。暖かい日曜日でした。

私は、相変わらずカフェでボーっとしてたり、図書館に行ったりしていました。

学校は明日から始業式なんですかね?よく知りませんが。入学式はその後かな?

新しい学年、新しい学校。それぞれに胸を膨らませて、明日からを楽しみにしているのでしょうか?

偉そうなことを言える人間でも立場でもありませんが、新たなスタートを切る皆さん、それぞれに頑張ってください。

一方で、様々な事情でスタートを切れない皆さん。春の日差しや陽気がとても辛いと思います。自宅の前を走り抜ける足音や歓声に「置いていかれる」焦り、悔しさ、嫉妬、そして自分への失望などで、押し潰されそうな気分だと思います。

「かつて私もそうだった」というだけで、やはり偉そうなことを言える人間でも立場でもありませんが、言わせてください。

大丈夫。貴方もきっと素直に空を見上げられる日が来るから。大丈夫。

さて、残念かどうかわかりませんが、今回は若い人たちへのエールを贈るためにこの文章を書いているわけではありません。

あくまで私自身に向けて、明日からの日々をどう迎えるか。どう受けとめるか。どう過ごしていくか。どう進んでいくか。その心構え(?)のために文章を書いてみようとしています。

上手くいくか自信はありません。ただ「ノルウェイの森」のワタナベ君のように、私も文章にしてみなければ、自分の気持ちや考えを上手く表現し、理解することができないからです。

SNS あるいは note に書くことに多少の躊躇いや心理的抵抗はあります。自分自身の考えを纏めたければ、パソコンのハードディスクにでも記載して保存しておけばいいのですから。

それでも note に書こうというのは多少なりとも私の拙文を読んでくださる方々からの「Little Help」を期待している、いや切望しているからです。ハッキリ言えば「甘え」です。

私は今、そして「これから」、大変な問題に直面しています。正直怖くて不安で仕方ありません。しかし、避けることは不可能です。こうしている間にも時計の針は動き続け、明日が迫ってきています。

冒頭の辺りで、明日からの「新生活」を喜べない人たちへ、細やかながらエールを贈らさせていただきました。

しかし、明日からを喜べないのは私も同じなのです。もはや、学生などと呼べる年齢では到底ありませんが、私にとっても明日からは「今までと違う」毎日がやって来ます。

この週末に私の世界は大きくカタチを変えました。残念ながら、あまり望まない方向へと。

「世界が変わった」と書きました。つまり変わったのは「私」だけではなく、周りの人々、社会、その他諸々ありとあらゆる事がです。

「明日から」と先に書きましたが、もう私はこれまでの私ではありません。もう昔の自分には戻れません。望むと望まないのに関係なくです。

誰の人生にも起こり得ることだとは思います。世界は常に動いています。生きている我々に構うこともなく、無慈悲とも思えるスピードで動き、変わっていきます。

それが「人生だ」と言えるかもしれませんが、歓迎できるものでは到底ありません。それもまた「人生」なのでしょうが…。

抽象的な文章が続いて申し訳ありません。わかりにくいと思います。しかし、これもまた先に書きました通り、「私」だけでなく「私を取り巻く世界」全体の悩みなのです。

出来るだけ具体的に書きたいのは山々ですが、そうすると色々な方面に迷惑をかけてしまいますので、ある程度抽象的になってしまうのはご容赦ください。でも努力はしてみます。

まず週末に起こった出来事から始めます。

何度も書いていますが、私は「精神障害者」で現在「就労継続支援A型」の施設に在籍しています。もう7年目になります。

その施設がこの4月からの法改正で(厳密には違うでしょうが)実質なくなります。今私が在籍している事業所は残りますが、もうそこの事業所で「一般就労」に向けて訓練する、作業をするという事はもうないでしょう。

A型としての施設は残りますが、在籍できるのは「施設外就労」に就いている極一部の人間だけです(私も含まれる様ですが)。

多くの在籍者はB型へ移ることになるそうです。当然A型としての「雇用契約」はなくなり、「給与」ではなくB型の「工賃」へと変わることになります。

ご存知の方も多いでしょうが、B型の「工賃」は(色々あるそうですが)A型の「給与」より遥かに少ない額です(私もかつてはB型にいましたので知っています。1ヶ月働いても10,000円程しかもらえませんでした)。

我々は障害者です。けれど人間です。非難を承知で書きますが「社会的弱者」です。人として生きるためには現実的にサポートがなければかなり苦しい、あるいは無理なのです。

「障害年金」もありますが、誰しも受給されるわけではありません。受給されるとしても、それまでに気の遠くなる様な、ハッキリ言うと面倒で複雑な書類が必要です。私も実体験で知っています。諦めかけたのも一度ではありません。

B型へと移る人々はもちろん、人それぞれ様々でしょうが、なにもしなければ「生活」は成り立ちません。何かしても成り立たないかもしれません。

「生活保護」はありますが、残念ながら私はこれに関しては無知なので詳しいことはなにも知りません。しかし、多くの在籍者が「生活保護」を選択せざるを得ない状況なのではないかと思います。

また、「しかし」ですが、「障害年金」も「生活保護」も結局は「国のお金」です。それを言うなら「A型」の給与も国の補助金あっての事だったでしょうが。

この借金だらけの「日本」という国にそこまでの余裕があるのでしょうか?「ない」ではすみませんが、現実は言うまでもなく容赦ないものです。

「私」、「私たち」は今、こういう事態に直面しています。こうしている間にも事態は止まる事なく進んでいます。

なにも「援助」だけを求めているわけではありません。これからも(大きくカタチを変えるでしょうが)我々は障害者ですが、働いていきます。ですが、それだけでは本当に「生活」が成り立たない。そんな状況です。

そして「仕事」です。先に書きました通り、私も含まれる極一部の在籍者はこれまでの「仕事」を続けていけます。A型継続になりますので「給与」も今まで通りいただける筈です。

しかし「だったらいいじゃないか」というわけにもいかないでしょう。今までだってそうでしたが「崖っぷち」です。精神的ストレス(勿論肉体的ストレスも)はかなりのモノになるでしょう。言い訳はしたくありませんが、我々は障害者です。メンタルはとても弱いのです。現に今私は「これからの恐怖」に慄いています。

勿論、それでも必死で頑張って働きます。それ以外に道はないのですから。けれど茨の道です。かなりの困難が待っているでしょう。

そして、心配を重ねてもキリがありませんが、A型に残れる者とB型に移らねばならない者、今までの仕事仲間(勿論一枚岩ではありませんでしたが)の間に決定的な亀裂が入るのではないかと心配しています。恐らくなんらかのトラブルは避けられないものではないかと思います。

また、今まで本当によく頑張ってくださったスタッフとの間にもなんの波風も立たないと思うのはあまりにも楽観的過ぎるでしょう。少なくとも以前の様な「信頼関係、信頼感」を取り戻すのは、また大変な苦労が伴うでしょう。

スタッフとて人間であり、一人一人に人生、生活があります。今までその恩恵を受けて生きて来ながら、恥ずかしながら「福祉関係」の給与等、内部事情に関しては無知です。

「辛い」上に「充分な給与が出ない」、そんな職場を(やむを得ないにせよ)去ってしまわれたとしても誰が責められるでしょうか?

去られると、更に我々障害者は苦しい状況に陥ってしまうわけなのですが…。

さて、長々と書いて来ましたが、やはり上手くはいきませんでした。

結局、嘆いているだけで何の解決策も方針も見出せませんでした。

ただの愚痴です。駄文です。

もう夜も更けてきましたし、さすがに書くのも疲れました。

明日からに備えなければいけません。

状況がどう悪化しようと、望むと望まないに関わらず、我々も生きていかねばなりません。

今、ふと思い出しましたが以前「終わるカフェの片隅で」とかいうタイトルで文章を書いたと思います。

いい加減な人間ですから内容はあまり覚えていませんが、そこで危惧していた事が現実になってしまいました。

ひょっとしたら、随分傲慢な事を書いていたかもしれません。

怖くて読み返す気にはなれませんが、因果応報と言いますか、人生甘くみていましたね。

後悔も反省も、もはや遅過ぎます。

それでも生きていかねばなりませんが…。

確か、以前もこんな終わり方をしたと思います。

「これは私だけの問題ではありません」

「貴方の問題でもあるのです」

この記事が参加している募集

仕事について話そう

お金について考える

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?