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どうしても認めたくない部分

先日、以下の番組を見た。劇団四季でオペラ座の怪人のファントム役を務める佐野正幸さんの言葉が心に残った。

ファントムは、自分の醜い顔を絶対に認めたくないから隠す、彼の仮面は真実を隠す仮面だそうだ。
ファントム役として、常に顔の傷を意識して演技をするということだ。

どうしても認めたくない部分

どうしても認めたくない部分は、多くの人にあるだろう。
特に若い方は多いのではないか。
年齢を重ねると、ある程度どうでもよくなってくる。

僕も今はマシだが、昔からたくさんの認めたくない部分があった。
体毛が濃くて、夏の制服のシャツや体育の時間の半袖半ズボンは、なんだか気が進まないものだった。

ほかにもキツめのくせ毛や、足の短さ、極度の汗かき、自分の好きな服が似合わないなど、たくさんある。

なぜどうしても認めたくないのか

どうしても認めたくないのはなぜだろうか。
最終的には「自分が」認めたくないからだが、「世間が」「友人が」「大切な人が」認めてくれないだろうから「自分が」認めたくなくなるのだろう。

しかもそれは、ちょっとやそっとの努力ではどうしようもない部分だろう。美容医療などの手を借りるのは、お金はもちろん、顔にメスを入れるということに、ありのままの自分や親族の否定のようなうしろめたさも感じる。そのうえ、変化させたらそのことを他人から指摘される。

自分に関係のある人が快く思わない、自分の魅力を損ねているだろう部分があって、それを克服することさえできない状態が苦しみをうむ。

なぜどうしても認めたくない部分ができるのか

きっかけはちょっとしたものだろう。

世の中の当たり前とされていることと自分を比較したときに、ネガティブな差を恥じて、気になり始める。それをどうにかしようと隠したり、巷の商品を試したり。

なんとなく気にしていたことを指摘されたり、時にはバカにされたり、ひどいときにはいじめられたり。

そうしているうちに、確固たる自分の隠したい部分になってしまう。

きっかけは、考えすぎや勘違い、不寛容で狭小な他人の目なのに、いつの間にかそれを自分でしょい込んでしまった状態になってしまう。

どうしたらよいのだろうか

以前書いたように、隠すことは一つの手段だ。
世間の目はそう簡単に変わらないし、それで苦しむのなら隠したり逃げたりするのはよいことだ。仕方がない。

あとは、時がどうにかすることもある
自分の悩みは、中学生から大学生までの、不特定多数に対して自分が開かれている時に大きかった。この時期は、自分をつなぐ安心できる場所のようなものをうまく作ることが出来なかった。

成長するにつれ、変えられない自分のことを割り切ったり、認めたり、いいところを見つけることが出来たりする。

さらに、家庭や安心できる仲間を持つことも重要だ。帰る場所があれば、不安定な場所でもどうにかやっていける。
家庭や仲間はとても大事だ。その中で過ごさせてもらえるよう、自分は努力する。



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