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イギリスで学んだ「指導者としてするべき挨拶」

「挨拶」を教育・スポーツの場で最も重視している国はどこだろうか?

我が国、日本だ。

日本のスポーツ界では「挨拶」は競技の参加資格を得るためのパスポートである。「出国時と入国時に提示する」ように「始まりに挨拶し、終わりに再度挨拶する」のが一般的だ。挨拶は出来ることが大前提であり「挨拶ができなければ試合に出場することさえ許されない」なんて事もある。この挨拶の文化は、他国にはない独自性を持ち、時代によるスポーツの変化に関わらず守られるべき貴重な財産だ。国際大会などでは、試合前後のお辞儀が高く評価され、日本の挨拶は非常にクールな文化として世界からも認知されている。

イギリスで学んだ挨拶

私自身は日本で育ち、自分の挨拶には自信があった。学校やサッカーを通して学んだ挨拶を場合に応じて完璧にできると思っていた。

しかし、私はイギリスに来てから、日本では学べなかった挨拶を学んだ。

それは

「"指導者"としてするべき挨拶」

である。

「指導者としてするべき挨拶」とは「会った時・別れる時に必ず一人一人に握手をする」ということを指す。

ここでいう握手とは、下ではなく上でするタイプ

これを儀礼的な行為でなく、自然なコミュニケーションの手段として捉えられると理想的だ。「おはよう」「こんにちは」という挨拶以上のもの。その先に、握手と共に「あれ、髪切ったね」とか「なんか嬉しそうじゃん、学校で良いことあったの?」と、聞くこと。日本では、そもそもボディータッチを避ける文化があるので、少し違和感を感じるかもしれない。しかし、この指導者としての挨拶は、指導力以上に重要だと言っても過言ではない。なぜなら、この細やかな一人一人への挨拶には大きな意味があるからだ。

何故、この細かい一人一人に対する挨拶が重要なのか。

大きな理由は2つだ。

①選手個人のその日のコンディションチェック

この握手を練習前にすると「あ、学校で良いことあったな」とか「あ、ちょっとベストな体調ではないな」などが興味深く感じ取れる。

僕の現役時代。コーチや監督から全体集合時に「やる気のないやつがいる」「ヘラヘラしてる奴がいる」などの批判をされるのが嫌いだった。

「いや、こっちはテスト勉強で疲れているんだ」「昨夜は部室の掃除と用具の手入れが思ったよりも時間がかかって、終電で帰ったんだ」なんて思っていた。女性絡みで調子が変わるなんて事もあっただろう。

一部の指導者は「私情はグラウンドに入ったら関係ない」と考えますが、中学生や高校生の私にとってはそれは不可能なことだったのかもしれない。外部的要因によるモチベーションの変化を自在にコントロールできる能力や時間を持つのは、おそらくプロや大学生ぐらいだろう。

しかし、もしコーチが練習前に軽く様子を聞いてくれていたら、どうだっただろうか。もし数十人の選手全員が「コーチは俺たちの事情を理解した上で、厳しく接してくれている」という認識を持っていたら、組織としてのモチベーションを操ることは少しは簡単になるかもしれない

②「気にかけてくれる」という認識から生まれる、コーチ/人間としての信頼

加えて、各選手が「〇〇コーチは僕の事を気にかけてくれてるんだな」と感じるだろう。

現役時代に「最近〇〇コーチから無視されてるなあ」とか「Aは毎回〇〇コーチに声掛けられててお気に入りだなあ」などと思ったことはないだろうか。

おそらく、選手自身がそう感じる原因は2つある。「コーチが意識的に距離を置いているか、見放されている」ということ、もしくは「数十人のチームの中で単純に挨拶が行き届かなかった」ということだ。

後者の原因で選手が誤解することは、私たち指導者が一人一人に挨拶をすることで避けられるものではないだろうか。そして、この「気にかけてくれている」という認識は、指導者だけでなくあなたの人間としての信頼度を向上させる。

終わりに

今回は、私自身がイギリスで学んだ「指導者としての挨拶」を簡潔に紹介した。

些細なことかもしれませんが、私自身はこの挨拶を徹底して行うようにしている。それは、先述した2つの理由に加えて、選手一人一人と真摯でクリアな人間関係を築きたかったからだ。

是非、みなさんも明日から意識的に「指導者としての挨拶」を始めてみてはいかがだろうか。

小さな変化が大きな違いを生むはずだ。




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