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日米交渉1941 -16- (草稿)

日米開戦の前日。アメリカ東部時間、1941年(昭和16年)12月6日。
ワシントンのホワイトハウスでは、フランクリン=ルーズベルト アメリカ合衆国大統領が、政府当局者より日本の外務省本省から、ワシントンの在米日本大使館宛に送られた、13通の対米覚書の電報を傍受し、既に解読も終わったとの報告を受けておりました。

事態は、正に最終局面であると悟った、ルーズベルトは、コーデル=ハル国務長官に対し、在日駐米大使ジョセフ=グルー宛てに

「出来るだけ早く、貴下が最も適当と思われる方法で、次の大統領メッセージを天皇に伝達せられたい。」

との内容の電報を打つ様に命じます。

ハルは、ルーズベルトの指令を受け、電報を打つ前に、午後7時40分に新聞発表。そして、ついに午後9時、ルーズベルトの親電がハルの手によって日本に向けて打電されます。

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