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介護教員が専門職になる学生に向けて最後に伝える話

教員をやっていると、よく「ご専門は?」や「◯◯の専門性とは?」という質問を投げかけられます。やたらと「専門」を気にする人が多いなぁという印象とともに「…我は資格保持者なり」と専門外の人とレスバを繰り広げる姿もSNSで稀に見かけます。今回は僕が卒業間際の学生に話す「専門性」のちょっと真面目なお話をお送りします。ちなみ卒業式っぽい感動エピソードは一個も出てきません。

専門職という人々

日本に限らず多くの国では学校制度の中で何かの資格を取得して「ある技術や知識を持つ者」になる人が数多く存在しています。業務独占・名称独占の違いはあるものの、その専門性(資格・学問)の下に何かを決定することができたり、何かを否定することができたり、何かを生み出すことができたりします。その知識・技術は専門職に(制度化された)特権を与えることにもなっています。

人智を超越した専門家のみが到達できる世界

専門性をこじらせる

専門職と呼ばれる人もそれ以前に一人の人間、他者からの承認を求めることもあれば、一つの専門にのめり込んで周りが見えなくなることもあります。でも、それがおかしな方向に行くと…
「人生をかけてその専門性を守り通すことだけ」
にとらわれてしまう人が発生することも事実です。専門性をこじらせるってわけです。専門職は自分の軸となる学問やその領域に示されたエビデンス(科学的根拠)に沿って物事を決定します。しかし、自分の領域や知識の範囲内だけにとらわれると視野が狭くなります。専門職というペルソナに支配されてしまうと一人の人間としての自分や専門職として取り組むべき本当の目標を見失い、結果的に対象者の不利益につながることもありえます。
ハンナ・アーレントの言葉を借りると

「自分の能力の奴隷・囚人」

になってしまうケースです。

専門職の言葉は、重い

イヴァン・イリイチは、専門職化が進んだことによって人々が「自分は病気だ」と言明する権利を失ってしまっていると指摘しています。つまり、医師に診断されてはじめて「自分は病気だ」と言える状態になるというような意味合いです。それが必要なケースももちろん多くありますが、専門職化が進んだことで、人生の多くを専門職に委ねることになってしまいかねないという危機感をイリイチは伝えています。これは生活を支える専門職にも同じことが言えます。専門職がその職域の中で学んだことのみが好ましい事実であり、科学的根拠の有無だけで事象を語ってしまえばそこから外れたものや対象者個人の嗜好・思想、ひいては生活そのものが潰されてしまうことになりかねません。例えば…

対象者「毎朝この運動をすると体調がとってもよくなるんだ」
専門職「それは身体に悪いです、◯◯先生の論文にエビデンスがあります」
対象者「これを食べると元気になるんだ」
専門職「科学的根拠がないので、関係ないです。ていうかむしろダメです」

確かに科学的根拠は大事ですし、それに基づいた支援も必要です。そして専門職の言葉は良くも悪しくも重くなりがちです。では、根拠以上に求められるものとはなにか…?

人類を進化させてきた、科学的態度

某市販栄養ドリンクを「これ飲むと病気にならないんだ」と大事そうに飲んでいる高齢者と何人も関わりましたが「そんなものにエビデンスはありません、お金の無駄です」と栄養学の本を片手に話すのは「科学的根拠」に基づいた姿勢とも言えるでしょう。科学的根拠という言葉は何かを否定する時、提供する時、非常に便利なものです。

エビデンス警察のみなさん

が、専門職である以上、あらゆる事象を疑い可能性を広げる姿勢、つまり「科学的態度」が根拠以上に求められます。ニュートン力学を例にあげるまでもなく、科学的態度を持つことで人類は進化してきたのです。科学というものは特殊なもので「この先生がこう言っている」「この本にこう書いてある」という先人の遺産を脈々とベルトコンベアに載せて受け継いでいくことができます。専門職はその遺産を容易に持ち出すことができますが、遺産を活用しながらも疑い、考え、他分野を取り込みながら可能性を広げて行くことが大切です。自分の知識を超えたもの、新しいもの、専門職以外の人が作り上げたものを「現時点で科学的根拠がないから」と否定するよりも、可能性と起きている事象に目を向けることに価値があります。

一つの専門性からはみ出した学際性

目の前で起きていることを一つの学問や専門性だけで捉えていると可能性を見逃します。認知症についても同様で、医療福祉の専門職だけでは視野が狭くなりがちです。病院にも施設にもいない他分野の専門職、例えば近所のラーメン屋さん、コンビニの店員さん、隣のおばあちゃん……が関わることで一気に物事が解決することもあれば我々医療福祉の人間が思いもつかないアイデアを提供してくれることもあるでしょう。

今までは高齢者に向かないとされていた運動や食事も、他分野の視点を取り入れることでむしろ好ましいものになる可能性は大いにあります。一つの学問や先人の業績にこだわり過ぎるより「自ら動く・作り出す」ことが専門職には求められます。自分の専門や知識に誇りを持ちつつも、自由な発想の「非専門職としての私」を持つこと、前述の「科学的態度を持つこと」が大切です。よくいわれる多職種連携も、医療福祉だけでないあらゆる職種が共存することで、社会がよくなっていくのではないでしょうか。なんていうことを、学生さんには最後に伝えたりもしています。タイトルから連想するような感動エピソード、ありませんでしたね…。


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