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ジャノメ食堂へようこそ!第4話 雲を喰む(5)

「ジャノメ!」
 オモチは、叫ぶも魔蝗アバドンからの攻撃に追いかけることが出来ない。
 アケは、木の根の外に出ると魔蝗アバドンの群れに攻撃を受ける木の根を見て「ごめん!」と言って駆け出す。
 小麦は、ほんの数分の間に殆どが食い荒らされていた。
 種子は散らばり、葉は千切れ、茎は踏み潰されている。
 アケは、どこかに無事な小麦がないかを探す。
 蛇の目を動かし、唯一の恩恵とも言える視力で草の隙間を覗くように探す。
 視界の端が輝く。
 岩の影から小麦の頭が僅かに見える。
 アケは、走る。
 息が切れ、肺が痛い。
 それでもアケは走った。
 そして皮膚が傷つくのも構わず岩に飛びついて駆け上ると小さな小麦の草原が広がっていた。
 アケの表情がばっと輝く。
 刹那。
 黒い影が空を覆い、アケの身体を黒く染める。
 背中に衝撃が走る。
 アケは、痛みと衝撃に岩から転げ、小麦の中に落ちる。
 小麦のおかげで落下の衝撃が緩和され、頭を打たずに済んだ。
 それでも痛みは激しく、アケは小さく呻きながら身体を起こす。
 何が起きた?
 アケは、グラグラする視界を上げる。
 複眼を赤黒く染めた魔蝗アバドンが岩の上に乗ってアケを見下ろしていた。
 アケの痛む背中が冷たくなる。
 大切な食事を邪魔された魔蝗アバドンは明らかに怒り狂っていた。
 魔蝗アバドンは、岩の上から降り立つと外敵・・アケに向けて赤黒く変色した複眼を向ける。
 仮面のような貌が割れて牙が露出する。
 アケは、恐怖に身体を震わせ、今すぐにも逃げたくなる。
 しかし・・・。
 蛇の目に小麦が映る。
 雲を食べたいと訴えるぬりかべスプリガンのがっかりとした顔が浮かぶ。
 そして夢を作れ、足掻けと優しく言う男の姿が浮かぶ。
「お・・・」
 アケは、震える声を絞り出す。
「お願い・・・」
 アケは、蛇の目を怒れる魔蝗アバドンに向ける。
「全部とは言わない。小麦を譲って・・」
 震えが止まらない。
 今すぐにも逃げ出したい。
 でも、逃げない!
「ちょっとでいいの。この小麦があったらあの人の夢が叶うかもしれないの・・・だから」
 アケは、必死に訴える。
 例え、傷つけられても、殺されても小麦を持ち帰る。
 その一心で訴える。
 魔蝗アバドンは、怒る複眼でじっとアケを見る。
 アケも魔蝗アバドンから目を反らさない。
 魔蝗アバドンは、顎を鳴らす。
 じっとアケを睨む。
 そして・・・。
 魔蝗アバドンは、複眼を反らす。
 アケは、驚き、蛇の目を開く。
 魔蝗アバドンは、アケに背を向け、小さく羽を震わす。
 まるでアケの訴えを許すように。
 認めるように。
 アケは、全身から力が抜けるのを感じ、地べたにお尻を付ける。
 魔蝗アバドンは、飛び跳ね、岩の上に登る。
「・・・ありがとう・・」
 アケは、小さな笑みを浮かべて言う。
 魔蝗アバドンは、岩の上から飛び立つ。
 グシャッ。
 魔蝗アバドンがアケの前に落ちる。
 腹が潰れ、茶色い汁が流れ、卵が流れ落ちる。
 アケは、何が起きたか分からなかった。
 腹の潰れた魔蝗アバドンの上に魔蝗アバドンが落ちてくる。
 仮面のような貌から牙を滾らせ、赤黒い複眼でアケを睨む。
 魔蝗アバドンは、アケを許した魔蝗アバドンを許さなかった。
 そして魔蝗アバドンを誑かしたアケを許さなかった。
 アケは、後ずさろうとする。
 しかし、一度力が抜けた身体は言うことを聞かない。
 魔蝗アバドンは、後ろ脚を跳ね上がらせて、アケに襲いかかる。
 もうダメだ。
 アケは、自らの死を覚悟した。

 月曜霊扉セカンド・ゲート

 どこからか声が聞こえ、蛇の目の端に眩い黄金の光が輝く。

 開放オープン

 黒い鎖の波が視界を埋める。
 赤黒く変色した魔蝗アバドンの複眼に恐怖が走る。
 黒い鎖は荒れ狂って宙を走り、空気を叩き、渦を巻く。
(これは・・⁉︎)
 アケは、何が起きたか分からず混乱する。
 黒い鎖は貫くように蛇の目の端を走ってその身を伸ばしていく。
 それはアケの頭の横を抜けているのではない。
 蛇の目の隣、アケの額から伸びているのだ。
 もし、アケが自分の顔を見ることが出来たなら蛇の目の隣に複雑な紋様を描いた小さな黄金の円が浮かび、そこから黒い鎖が伸びているのが確認出来たろう。
 しかし、アケに黄金の円は見えない。
 分かったのは黒い鎖が自分から伸びていること、そして鎖が出ているのはあの男の口が触れた場所であると言うことだ。
 アケの脳裏に男の優しい笑みが浮かぶ。
 魔蝗アバドンは、逃げようと後ろ脚で地面を蹴り、後方に跳躍する。
 しかし、鎖は逃さない。
 地面を蹴り上げ、飛び跳ねながら逃げようとする魔蝗アバドンを執拗に追いかけ、その身体を締め上げる。
 魔蝗アバドンの仮面乃ような顔が割れるように縦に開き、口から茶色い体液が吐き出させる。硬い殻がひび割れ、足が折れ、腹が潰されそうになっている。
 アケは、我に変える。
「やめて!」
 アケは、喉が裂けんばかりに叫ぶ。
 黒い鎖の動きが止まる。
 緩んだ鎖から魔蝗アバドンの身体が土くれのように落ちる。
 魔蝗アバドンは、体液に汚れたひび割れた身体を起こし、逃げていく。
 黒い鎖は、黄金の円に吸い込まれて消える。
 音が食われたように静まる。
 アケは、数拍、呆然とした後、力なく起き上がるとよろけながら横たわる魔蝗アバドンに近寄る。
 魔蝗アバドンは、死に絶えていた。
 茶色い体液に汚れ、敗れた腹から大量の丸い卵を流して死んでいた。
 アケは、その場に膝を付く。
「ごめんなさい・・」
 アケは、声を震わせ、魔蝗アバドンに謝る。
 自分がここに来なかったら。
 意地なんて張らなければ。
 足掻こうとしなければ彼女は小麦を食べて栄養を摂って、元気な子どもを産んでいたのだ。
 でも、それはもう出来ない。
 自分のせいで。
「ごめんなさい・・・」
 アケは、小さく、力なく呟いた。
「彼女達は死んでないよ」
 子どものような声が空から降りてくる。
 アケの後ろにオモチが音もなく落ちてくる。
「オモチ・・」
「彼女達は死んでない」
 オモチは、赤目でじっとアケを見る。
「死んで・・ない?」
 アケは、オモチの言ってることが分からなかった。
 しかし、オモチは、小さく頷くとアケの横を通り過ぎ、魔蝗アバドンの死骸の上に何かを撒いた。
 それは小麦の頭から零れ落ちた種子だった。
「彼女達は死んでない」
 オモチは、もう一度呟く。
「命は・・巡るものだから」
 オモチは、手のひらを下に向けて魔蝗アバドンに翳す。
木曜霊扉ファイブ・ゲート
 緑の円が展開し、複雑な紋様を描く。
開放オープン
 緑の円が大きく広がり、ゆっくりと下りて魔蝗アバドンの死骸を包み込む。
 魔蝗アバドンの死骸が淡く光り、腹の上に乗った種子が動く。
 種子の表面が割れ、白い根が伸び、魔蝗アバドンの腹に潜り込む。割れた種子が芽吹き、黄緑の葉を剣のように伸ばす。
 緑の円が消える。
 魔蝗アバドンの身体が小麦の若芽に覆われ、小さな山となる。
「命は死して終わりじゃない」
 オモチは、ふうっと息を吐く。
「死してもその魂は自然の中に還り、残された身体は次の命を育てていく。命は新たな命に継がれていく。それが摂理」
 オモチは、ずんぐりとした人差し指で魔蝗アバドンだったモノの腹を指差す。
 アケの蛇の目が大きく開く。
 腹からこぼれ落ちた卵が音もなく割れ、小指の先くらい小さな白い魔蝗アバドンが現れる。
 小さな魔蝗アバドンは、母だったものを一瞥するとそれぞれ別の方向に飛び跳ね、消えていく。
「命は・・巡る」
 アケは、小さく呟く。
 蛇の目から一筋の涙が落ち、気がついたら両手を合わせていた。
 彼女の命が子ども達に、この大地に巡ることを心から祈った。
 オモチは、赤目でじっとアケを見る。
「さぁ、ジャノメ」
 オモチは、ずんぐりとした手を優しくアケの肩に置く。
「僕たちは僕たちのすべき事をしよう」
 その表情は変わっていないのに笑っているようだった。
 アケは、蛇の目を擦って涙を拭く。
「はいっ」
 アケは、力強く頷いた。

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